見出し画像

「海の日」に海に帰る

こんにちは。橘吉次たちばなきちじです。
本日2023年7月17日は「海の日」
「海の日」って1996年に国民の祝日!って決まったらしいんだけど…一体何を祝うのだか…?よーわからん休日だよね。
でも、まあ、休日になった理由なんかどーでもいい!
日頃「海」について考えている、とりとめもないことをまとめてみたよー!



生命誕生の現場


井上陽水いのうえようすいの「海へ来なさい」という唄をご存じだろうか?
シビレルほど素敵な歌詞だから、全文掲載しちゃうねー。

太陽に敗けない肌を持ちなさい
潮風にとけあう髪を持ちなさい
どこまでも 泳げる力と
いつまでも 唄える心と
魚に触れる様な
しなやかな指を持ちなさい
海へ来なさい 海へ来なさい
そして心から 幸福になりなさい

風上へ向える足を持ちなさい
貝がらと話せる耳を持ちなさい
暗闇をさえぎるまぶたと
星屑を数える瞳と
涙をぬぐえる様な
しなやかな指を持ちなさい
海へ来なさい 海へ来なさい
そして心から 幸福になりなさい

井上陽水「海へ来なさい」

海の女神が産まれたての人類にささやくような、誘いの言葉。
この歌を聴くと、60兆個の全細胞が「海に帰りたーい!」と叫び出して身体がザワザワする。

望郷ぼうきょうである。

望郷なんだけど、『生まれ育った土地に帰りたい!』という「ふるさと恋しや、ホーヤレホー」という感情とは、チト違う。
『生まれ育った土地に帰りたい!』っていうのは、この人生の記憶の範囲内なんだけど、『海に帰りたーい!』は、現世以前の胎内記憶、生命記憶なんだよなぁー…。

ご存じのように、生命は海から産まれた(らしい…)
約36憶年前、海水の養分を取り入れた単細胞生物が初代生命くん!(らしい…)
そこから生命は進化を続け、複雑細胞となり、魚類になり、爬虫類になり、哺乳類になり人類が誕生した(らしい…)

「らしい…らしい…って、ホントはどーなのよ?」と訊かないでね。
んなモン、わかるわけないじゃん!
だって人類誕生以前のことなんだからさー。

しかし、脊柱せきつい動物5億年の歴史はお母さんの子宮で育つ人間胎児の成長の過程を追うと、明らかになるんだよねー。
受精卵は、海水と同じ濃度の羊水に浮かびながら、脊柱動物5億年を体験する夢を見ているのだよ。

海草が密生している「マリモ」のような極小のタマ。
これが僕たちの最初の姿、人類の卵である。

三木成夫「海・呼吸・古代形象」うぶすな書院より

この海草が子宮の壁に食い込んで、母の血液から養分を吸い取り、へその緒をとおして胎児に流れ込む。
僕たちは、羊水の海に浮かび、母の血潮を潮騒として、生命36億年の夢を見て、この現世に生まれてきたんだよねー。

つまり36億年の最後に、ピチョンと生まれた生命が「私」ってこと。
大河ドラマなんて屁でもない!
壮大な物語だと思いませんか?


死んで「海」に帰る


「死んで土にかえる」
火葬が一般的になった現代では、あんまり使われなくなった言葉だけど、聞いたことはあるよね。

中世の日本ならば、行き倒れとか戦死者とかの遺体が腐敗して、土に戻っていく様子をリアルにみる機会があったんだろうね。
でも、海の中での出来事はリアルに見ることができないから「死んで海にかえる」って言葉が生まれなかったんだと思うのよ。

でも、生命発生の元をたどれば「海にかえる」が妥当なんじゃね?とおもうのさ。
特に日本人には海洋民族の血が必ず流れているんだから、「海」に対する望郷の念はヒトシオだ。

まあ、海だって「水を抜いたら大地」であることは間違いないから、土に返るでも海に帰るでも、どっちでも同じことなのだけど…。大事なことは、産み・はぐくみ・生かしてくれた「母なるもの」に還っていくっていう思想なんだよね。

最近「毒親」なる醜い言葉が流行して、自分の親を許せない人が激増中らしいけど、自分の「いのち」をタカダカ数十年に規定して、更に「いのち」というものを人間社会に限定している、とーっても貧しい発想だと思うんだよねー。

あなたの「いのち」はそんなチッポケなモノじゃない。
壮大で荘厳で、計り知れない「いのちの大河」を僕たちは生きているんだよ。

(いやー、今日は真面目に書いているなぁ…)


身体に刻印された生命記憶


今日は祝日だから、多くの日本人は仕事から解放されていることだろう。
この夏の太陽の下で、何を考えているのか?

「あっちー…。もう耐えられない暑さ…まだ7月なのに…」
「あー、三連休も今日でおわり…また明日から仕事だよ…」
「今夜の夕飯なにつくろー?あーメンドクサ」

日常は絶え間なく、ドンドンと未来への思考を促してくる。
それは仕方ない。

でも、タマには井上陽水の歌詞を思い出して欲しいとおもう。
「〇〇しなさい」と女神は命令形で囁くけど、これは「既に〇〇する力を与えてあるよー」ということなのだよ。

僕たちには、既に「どこまでも 泳げる力」や「風上へ向える足」が備わっているし、「涙をぬぐえるしなやかな指」も持っているのだ。
「心から幸せになる力」が与えられているのだよ。

これが生命記憶なんだよね。
僕らの身体に刻印された「生きる力」なんだよ。

僕らは、もっと、自分の中に眠る人類黎明期に与えられた生きるエネルギーを信じたほうがいい。

「いのち」は生きるために存在している。
だから、あなたがホッポラカシにしていても「いのち」は勝手に生きていくのだ。

僕らは思考で「もっと〇〇しなきゃ生きていけない」「ちゃんと〇〇しないと生きていけない」と心配するけれど、そんな心配は御無用なんだよ。

さあ、女神のお誘いを断らずにこの夏は「海」に行こう!
いや、この夏は「海に行く」といわずに、「海に帰る!」と言ってみてはいかがだろうか?

「よっしゃー!この夏は海に帰るよー!」

「海の日」にあたってのご提案でした!


最後までお読みいただきありがとうございました!

🐉生まれ直し開雲塾🐉公式LINEお友達募集中!

プレゼント
①電子書籍「本物のスピリチュアルで神とつながる方法」
②「人生後半どう生きる?」無料個人セッション受付中!


Twitterフォローしてくれると、とっても嬉しい!



kindle出版





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?