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理不尽と不条理は突然やってくる。

フランツ・カフカの小説『変身』では、主人公のザムザがある日突然巨大な虫に変身してしまう話が描かれる。

ちなみにこの記事は『変身』のあらすじを知っているほうが理解がしやすい。だから少し『変身』がどんな話かを書きたい。

小説『変身』の中のザムザは、家の借金を返済しようと家族を大切にしながら一生懸命働いてきた男性として描写されている。ある日突然自分が虫に変身してしまったことにより家族はパニックとなる。

虫となった自分と周囲のいざこざ話が展開されたかと思えば、最終的には見放され「あれだけ尽くしてきたのに」と絶望のうちに死んでしまう。残された家族は不幸になるかと思ったら真逆で、なんやかんや主人公がいなくても人生が好転する。

バッドエンドな話である。


カフカの『変身』では、具体的になんの虫に変身したのかは明言されていない。「甲虫」ということになっているが、作者のフランツ・カフカはこの物語が書籍化されるにあたり、本の表紙には「虫を描かないように」と指示した。

つまりカフカの『変身』の中で描かれる「虫」とは、何かのメタファーであるように解釈できる。「醜いもの」「不条理なもの」の比喩として虫が選ばれているわけだ。



カフカの『変身』と同じように、カミュの小説『ペスト』も世界を代表する不条理小説として有名である。

私は『ペスト』を読んだことはないのだけど、これらの不条理小説は第二次世界大戦期、経済の混迷期によく読まれた。時代背景を考えると、そういった不条理なものがヒットする要因もわかる気がする。今も変わらないがこの世界は理不尽で不条理だ。



私が保険の営業マンだったとき、お客さんに対して「カフカの『変身』は何を訴えたかったのか?」という話をたまにした。

『変身』の中では主人公が巨大な虫に変わってしまった理由が描かれない。それまで善良な市民だった男がある日突然醜い虫に変身してしまうのだ。

カフカの『変身』に出てくる虫が何を表しているのか、という議論は散々されてきたと思うし、私が知らないだけで答えは出ているのかもしれないが、当時の私はこれを「介護問題」と紐づけた。


どういうことかというと。


『変身』はまんま現代日本の介護問題に置き換えられるのである。


小説では、家族のために一生懸命に働いてきた主人公が突然虫に変身する。家族は主人公の面倒を見るハメになり、最初こそはきちんとした介抱をするのだけど、日が経つにつれて扱いが雑になっていく。

そんな状況でも、虫に変身した主人公は日々の楽しみみたいなものを見つけていくのだが、本当にこれでいいのだろうか、という悩みを抱えていく。

最終的にザムザは家族以外の第三者からも小馬鹿にされ、失意にうちに亡くなる。しかし、主人公亡きあとの残された家族はなんやかんや幸せな方向に進む。

...


『変身』と介護問題を紐づけるのはやや乱暴である気がするが、この世にある「理不尽」や「不条理」を考えてみると、あながちカフカの『変身』はバカにはできない。

「虫」=「抗えないもの」と考えれば、それこそ「理不尽」や「不条理」になる。私たちがふつうの善良な生活、慎ましくも幸せな生活をしていたとしても、突然にして理不尽・不条理は襲ってくるわけだ。


理不尽で不条理なもの。それはたとえば、


台風、地震、津波。

身体の病気、心の病気。

苦労して授かった子どもの発達問題。

よかれと思ってやった仕事が招くトラブル。

一生懸命書いてきた文章が評価されない。

身近な人の介護、そして死。

SNSでのいわゆるクソリプ。

一生添い遂げると思っていた伴侶の不貞行為。

ヒーローの友人による裏切り。


今あげた不条理は、ある日突然襲いかかってくる。ほとんどが予測不可能に近い。「まさか自分たちの身に起こるとは」とみな言うのである。繰り返し書くが、理不尽と不条理はある日突然やってくる。


昨日と一昨日、私はnoteに意味不明の話を2日連続で書いた。自宅の壁に昆布が張りついてる話と、飼い犬が突然猫になる話

読んでくださる方を混乱に陥れる意味不明、真偽不明のエッセイを書いた。コメントだけでなく、身近な友人からも「意味がわからなかった」「よくわからなくて2回読んだ」「あれは何かの例え話なの?」など、ありがたい連絡がきた。


あの2本のエッセイで訴えたかったのは「理不尽なことや不条理なことは本当に突然やってくる」ということで。

理不尽はもらい事故のようにやってくるのだ。


理不尽・不条理に対しての接し方を私たちは学校で学んでいない。結論、私たちは不条理なるものを受け入れるしかないわけで、その対処の仕方は自分たちで情報を収集し考えるしかないということである。


いまもしも理不尽なものや不条理なものに襲われている方は、容赦なく周りに助けを求めたほうがいいし、その不条理さを発信することで心労を発散させたほうがいい。

そしてそういう人を周りで見かけたのであれば、ただ黙って見ているのではなく、できる範囲で助けてあげたいと思うのである。



ちなみに、


私の家の壁には昆布は張りついていないし、自宅マンションはペット禁止だ。


<あとがき>
この数日間で、不条理シリーズを書こうと思えば、いくらでも書けるんじゃないかと思っている自分がいます。意味不明で荒唐無稽ないわゆるナンセンス系なやつですね。たしか、この不条理を書こうと思ったのは、ネタがなさすぎて「家の壁に昆布が張りついてたら俺はどうするだろうか?」と思ったことがきっかけでした。今日も最後までありがとうございました。

【関連記事】不条理2作品
「昆布だらけの家」
「猫になったエジソン」

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