ファンレターのすゝめ
私はファンレターというものを書くのが好きだ。
最初にファンレターを書いたのは誰だったろうか。たぶん、福士蒼汰さんのファンイベントだったと思う。当時からキスマイオタクだった姉に「直接手渡しできるタイミングあるかもしれないから書いて行け」と言われた覚えがある。プレゼントボックスに1通と、手渡しできるかもしれないように1通。合計2通書いた。結局手渡しはできず、どちらもプレゼントボックスに入れた。
それ以降、私は割と頻繁に、ファンレターを書くことになる。
仮面ライダーのキャストイベントの際には、多い時には1回のイベントで6人分くらい書いたのではないだろうか。広島―東京間は、新幹線で4時間かかる。あれこれ書くには十分だった。けして綺麗な文字ではなかったので、申し訳ないと思っている。日本語もぐちゃぐちゃで、内容もとんでもなかったはずだ。
ただし、私は綺麗な文字ではなくてもいい、内容だって失礼でなければとんでもなくてもいいと思っている。私のファンレターは読まれる前提では書いていない。
私の好きな人が「世の中には、自分に手紙を書いてくれる人がいるのだ」と実感できさえすればいい。そういうスタンスのファンレターである。
イベントが終わった時、プレゼントボックスがカラでなければいい。事務所にで「〇〇さん宛てのファンレターですよ」と言われて渡されるものが1つでも多ければいい。そういうスタンスのファンレター。
だから私のファンレターを書く事へのハードルは、いつも低い。
低すぎるゆえにテンションで内容を書き、封筒にマジックで宛名諸々を記載したファンレターを送ったことがる。「まぁ私のファンレターなんて山のひとつよぉ~」と笑っていたら、役者さんがツイッターにアップしたプレゼント受け取りました報告の写真にばっちり写ってしまったこともある。めちゃくちゃダサかった。もう二度と、宛名をマジックで書くような無粋な真似はするまい。当時もなんでマジックで書いたのか。宛名は目立つほうがいいだろ!精神だったのか。同じタイミングで別の役者さんにも、マジックで宛名を書いた手紙を送っていた。その人は受け取りました報告をするタイプではなかったので、ツイッター等で私のダサい宛名書きが晒されてはいない。ひっそり安堵している。
イベント1日目(プレゼントボックスへ)イベント2日目(プレゼントボックスへ)イベント終了次の日(事務所宛てに郵送)と、3日続けて書いたこと。あまりの感動で便箋8枚にもおよぶ長文を書いたこと。思い出はたくさんある。
そんな私が今、ファンレターが書けなくなってしまっている。書きたい人はいる。でも便箋を前にすると、なぜか、書けない。困っている。
読んでもらえることを前提に考えていなければ、大抵のことは恐れずに書けるはずなのに。
今日も便箋を前に、悩んでしまった。
「手紙をいくら書いても腹の足しにはならない」と、ひどく卑屈なことが頭をよぎる。
確かに、今の私はいろんな面でギリギリで、できることが限られている。グッズを頻繁に買うことはできない。イベントやコンサートに行けない。今までにも何度か、いろんなことがギリギリになってしまったゆえに諦めたことはあった。今だってそういう時なのだ。
腹の足しになるかどうか、決めるのは私じゃない。ファンレターが届くのを見て、事務所の人が「人気があるからもっと仕事を取って来よう」と思うかもしれないし、本人が手紙が届いたことを受けて「誰かが見てくれてるならこれにもチャンレジしよう」と思うかもしれない。
私自身、ほそぼそと書いていた時にもらったメッセージに泣くほど喜んだことがある。誰も見てないと思った配信にコメントがきて、ドキドキしてしまったことがある。
買えないグッズの数を嘆いて何もしないより、一通ファンレターを書いて送ったほうが、何かした分誰かには届く。きっと届く。何かにはなる。
私はネットでも基本的に「好き」なものは「好き」というタイプだ。ハッシュタグとか、そういうもので調べた時に、作り手に「好き」という気持ちが届くだろうと思うから。でも、エゴサでは悪意のある言葉の中に隠れてしまうかもしれない。悪意のある言葉は、純粋な「好き」よりも鋭くてやっかいだ。直接「好き」を届けられるファンレターの力を、私はもっと素直に信用していい。
こうやってまとめてみることで、私の心を固めてみる。
明日になったらもしかしたら書けるかもしれない。
書きたいと、思う。
お前はもっとできると、教えてください。