建築学科が見た李禹煥展(~11/7)


今回は先日行った李禹煥展について書いてみようと思います。

まず、李禹煥は韓国出身ですが日本の大学に行ったりと日本に精通しています。彼はもの派と言われるグループというか思想というか、くくりに入れられることが多いです。もの派は素材感を通じてや素材の性質を使って表現することが得意な人たちかなというイメージで捉えるとわかりやすいかなと思います。
建築の観点から言いますと、ものを使って表現する人はあまり多くない(というか表現をすることがどういうなのかという点がありますが)ヘルツォークドムーロンのUNIQLO TOKYOが一番印象的です。この建築はガラスを天井に使うことで無限に近い広がりを表現していることが感じられます。ぜひ李禹煥に行った際の帰りなどにUNIQLO TOKYOのエレベーターに乗ってみてください。無限の広がりのような店舗の広がりを感じられると思います。

第一期

さて、本番の李禹煥ですが李禹煥の作風の変化を感じることができました。初めの頃は色の広がりを空間に落とし込んでどんどん色が侵食していく面白い空間で、そこからより素材感、素材の硬さ、色など関係項といわれる作品群で表現されています。いわれてみれば当たり前のような、ただ日頃考えることのないような素材についてわかりやすく、面白いと思います。もし私が現代アートを人にオススメするならば李禹煥のここら辺の作品が一番わかりやすくていいかなと思います。
さらにそこからフランスのラトゥーレット修道院で行ったインスタレーションアートと同じ空間が体験できます。建築的目線でいうと、修道院はモダニズムの巨匠コルビュジェの設計です。そのモダニズムという画一的な、非装飾的な、面的なコンテクストに対して石という素材を様々な形で存在し、我々の動きに呼応してカツカツと音がなる薄い石を配置するのがモダニズムに対するポストモダニズムの現代アート的解釈なのかと非常に参考になりました。建築のポストモダニズムは批判が多いと思いますが、こちらは非常に納得感のあるポストモダニズムにあるなという印象を持ちました。

第二期

そこから、鏡と川砂利を使った無限の印象のゾーン(先のヘルツォークはこのコンテクストと同じ構造)をすぎた後に門があります。

これについては「人は建てようとし、自然は戻そうとする。私はその両面の見える門を展示する」というような旨の発言を李禹煥は残しています。
建築学科の私にこの言葉は非常に刺さりました。自然を切り開くような鉄のアーチとそれを引き戻そうとする石、この二つの対立した関係を彼はどちらがいいなどの面を持たずにあくまで中立的に両義性を提示したアートだなと思います。写真に見えるように後ろに高いビルがそびえ立つことで自然に人が圧勝している点がこの写真からは見て取れますが、森の中などの自然の中に置いたらまた違う見え方をするのかなと思いました。(というか片側から都会、片側は自然みたいな場所に置くのがベストだと感じました。)

第三期

その後の李禹煥は「線より」「点より」「風より」など反復による垂直、水平、時間などの要素からアートの原点を試作しています。これは正直私はわかるようなわからないようなというような印象です。
これより前の作品は形而下、ここら辺は形而上のような印象です。大きく次元が上がっていると感じました。なのでここでは作品の解説はせずに実際に行ってみて感じてみてほしいです。
一応、建築の面から考えると建築は垂直、水平はモダニズムの時代に大きく発展し、時間についてはゴシックやロマネスクの時代(1600年とかもっと前)から論じられています。建築家にとって一生残る建築を作るのは夢ですし、そうゆう作品はマスターピースとなります。しかし李禹煥のものと明確に違う点があります。
1つめは建築は反復を嫌う旨があるという点です。
2つめは原点に戻ることはないことです。
そもそも建築は人の営みで原点に戻ることは建てないことになってしまうので矛盾してしまいます。なのでこの二項対立の形式を崩すような脱構築的な考え方の建築が求められます。例で言えば石上純也でしょうか。彼の建築は独特で山口にできたレストランや栃木の水の庭園みたいなやつはこの原点に非常に近いと感じます。


長くなりましたが、李禹煥展は建築と非常に似ていて面白かったです。
まだ期間中なので行ってみてください。
長くなりましたがありがとうございました。

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