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戦争と平和_インパール作戦2:チャンドラ・ボースとインパール作戦

2.1 はじめに


前回のお話は、インパール作戦に参加した叔父大西昇のことでした。兵站を無視した無謀な作戦のため、多くの日本兵が倒れた悲惨な戦いでしたが、叔父はどうにか生きて帰ってこれました。日本の報道は、その無謀な作戦が強調されたものが多いですが、インパール作戦の真の目的は、なんだったのでしょうか。インパール作戦のそもそもの目的をよく知らない日本人が、多い気がします。先日、歴史研究同好会の友人N山さんから、次のようなメールを頂きました。N山さんは、仕事の関係で長年インドに駐在していた方です。そのN山さんから、多くのインド人は、日本がインパール作戦でインドの独立運動を支援してくれたことを、今も感謝しているという話を、次のように頂きました。
 

2.2 N山 様からのメール(2019.2.7)



 チャンドラ・ボース氏と、先生の叔父様が、インド独立支援のためのインパール作戦から九死に一生を得て生還したとのお話(1,2)をお聞きし、つい私もまた、返信メールを書いてしまいました。
 チャンドラ・ボース氏については、私も2011-3-27にインドから(日本の)本社にインドの状況報告を書きました。添付しましたのでご参照いただければ幸いです。
 日本人は、インパール作戦を太平洋戦争において、最も無謀で無計画かつ悲劇的な作戦と卑下した放送をNHK等で流し続けておりますが、その精神的な意義を再認識すべきであると私はいつも思い続けています。インド人は今でもインド独立支援のために一緒に戦ってくれた唯一の同盟国としての日本に敬意と感謝を忘れず、今も各地にチャンドラ・ボース氏と日本兵の銅像を建て崇拝しています(3,4)。また、日本にカレーを最初に紹介したのは、中村屋のボース氏(ラース・ビハリ・ボース氏)でした。
 

2.3 私からの返信(2019.2.8)

2.3.1 インドの諺:"Delhi is still far away"


 添付の報告書ありがとうございました。インドの諺、"Delhi is still far away", 大変興味深く拝読いたしました。このことわざを、チャンドラ・ボースも言っていたことを今回初めて知りました。
 このインドの諺“Delhi is still far away”の意味は、目的地にまだ到達していない、目標がまだ達成されていない状況を表します。チャンドラ・ボースは、イギリスからの独立はまだまだ達成されていない、各員一層奮励努力せよという意味で使ったものと思われます。
 私は、戦後の教育が、アメリカの洗脳やソ連と中国の工作により、極めていびつで、愛国心が持てないような状況になっていたと常々思っています。そのため、多くの日本人が独立心に乏しく、他力本願になっています。このような私の年代のものが受けたいびつな戦後教育について、いつか、実体験をもとに詳しく書き残しておこうと思っています。
 

2.3.2 反日日本人教師による歪んだ戦後教育


 
 一例だけを挙げますと、小学5年6年生の担任だったH原という先生は、私たち小学生に向かって授業中に、共産党がいいとはっきりと言っていました。私はこのことを父に話すと、「絶対に信じてはいけない。あのH原という先生と、教頭のH本という先生は、共産党に染まっている。H本先生は、一ノ谷村の奨学金をもらって師範学校に行った秀才だったが、ソ連に抑留されウラル山脈の近くにまで連れて行かれ、そこで何年も赤化教育を受けて、真っ赤になって帰ってきた人だ。彼らは、ソ連が理想の国だというように洗脳されているのだ。」といわれたのを覚えています。父は、戦後も長い間、50歳になるまで丸坊主のままでいて、いつでも招集があれば国のために、俺は外国と戦うつもりだと言っていました。丸坊主はその意思の表れでした。戦後の日本には外国から指示を受けたたくさんの日本人の工作員がいることも、当時、口にするのがほとんどタブーに近かったですが、父はちゃんと、現実を、子どもの私にも言っていました。このような工作員や共産主義者の教員に教えられたため、昭和15年から昭和25年まであたり生まれの日本人が一番、愛国心のない反日日本人になっている気がします。この世代は、もっとも学生運動が激しい時代でもありました。その後の世代は、徐々に、まともになってきていると思いますが、今も、外国からの勢力に惑わされている日本人が非常に多いことや、朝日新聞をはじめ、国営放送であるはずのNHKまでもが偏向報道をしていることは、嘆かわしい限りです。

2.3.3 戦後アジア各国に自主的に残留した日本軍人の大義


 
 大東亜戦争では、父たちの世代の人たちは、欧米白人の植民地となったアジアを、日本が率先して開放するんだという大義名分を信じて戦っていました。今、そのことをちゃんと言う人があまりにも少ない気がします。そのため、戦前、日本がシンガポールをイギリスから解放したり、独立を目指したチャンドラ・ボースが指揮するインド国民軍2万とともに日本軍7万8千がイギリスとインパールで戦ったりした大義は、今の日本ではあまりかえりみられていません(3)。また、戦後もインドネシアにたくさんの日本軍人が自主的に残って、一緒にオランダからの独立戦争を戦ったことや、ベトナムでも戦後日本軍人約700人が残って、ベトナム軍に協力して、ベトナム独立のためフランスと戦っていました。カンボジアにも、フランスと一緒に戦うそのような日本軍人が残留していたと聞いています。このようなことは、歴史で教えられるべきですし、もっと日本人は誇りにすべきだと私は思っています。

2.3.4 2017年に、天皇陛下がベトナムに行幸された訳


 
 その中にはベトナム人女性と結婚して妻子を持っていた日本軍人たちもいましたが、数年後に国際情勢が変わりベトナムから、単身帰国せざるを得なくなったそうです。2年前の2017年に、天皇陛下(現上皇陛下)がベトナムに行幸され、そのベトナムに残され老婆(93歳)となっていたベトナム人妻を、慰問されました(5,6)。その老婆は、陛下に会った後、私たちは日本の国に忘れさられたのではない、このように日本国の天皇陛下が今も覚えていてくれたのだとインタビューに答えていました。満足した彼女はその後1年もせずに亡くなりました。天皇陛下は、非常に良いことをされたと私は思います。ベトナム独立に加勢した日本軍人のことや現地に取り残された日系ベトナム人の家族のことは、多くの日本人が忘れていることです。

2.3.5 亡父の教え:戦後の歪んだ歴史観から脱却し真の独立を目指せ


 
 亡父が生前私によく言っていました。外国の軍隊が、日本に駐留している限り、真の独立国ではない。自分の国を自分の力で守れないようでは、属国である。赤化思想の教員が言うことも間違っている。
 最近、私よりも年が少し若い人たちから、百田さんのような人たちが、このようなことを声を上げれるようになったことは大変良いことだと、私は思っています。
 ただ、叔父が参加したインパール作戦は、兵站にあまりにも計画性がなく悲惨な状況で敗走しなければならなかったのは、牟田口中将のやはり責任だと私は思います。しかしながら、インパール作戦の大義、インドがイギリスから独立する戦いを日本が支援したことは、同じアジア人として誇るべきことです。日本が戦前も戦後も、アジア諸国が欧米の植民地支配からの脱却を支援したことを学校の歴史で正しく学ぶべきです。ただ、兵站を軽視したずさんなインパール作戦の計画が多くの将兵を苦しめました。NHKはこのことだけを取り上げ、インド独立を支援した大義について全く触れないのは問題だと、私も思います。

2.4 おわりに


 さて、私が国際学会の招待講演ためインドに出発するまでに、わずかとなってきました。これから、具体的な準備を整えていこうと思います。元気で行ってきます。帰りましたら、また、インドの歴史についてお話ししたいです。
 
*なお冒頭の写真は、東京都杉並区の蓮光寺にある「ボースの碑」の写真です。
Wikipediaから引用させていただきました。    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%90%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%B9
 
参考文献
(1) http://www13.ueda.ne.jp/~ko525l7/war7.htm
(2) https://note.com/ko52517/n/n4888831f8af0
(3) ISBN-13: 978-4569826103
(4) http://www13.ueda.ne.jp/~ko525l7/india1.htm
(5) 午前0時00分(70分) (NHK BS1)遥(はる)かなる父の国へ「ベトナム残留日本兵家族の旅」2018年4月15日(日)
(6) https://hanada-plus.jp/posts/654

2019年2月11日 随筆
2022年8月 5日 加筆

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