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『禅という名の日本丸』山田奨治著 | 弘文堂

 昔、作務衣で或る航空会社に乗った際、空の景色を窓から眺めていると、客室乗務員が手紙を渡してきた。他の客にバレぬよう、靜かに最後尾まで来て欲しいとのことであった。暇だったので、足を運ぶと、客室乗務員たちがお茶をしており、その輪に加われという。茶や禅の話を尋ねられ、適当に答えていたら、紅茶とケーキにありつけた。似非和尚ぶりも、ここに極まれりだ。

 ところで今、第三の哲學が西欧では流行っており、日本の禅も人類の存亡を握る叡智としてさらに注目されている。西欧が東洋にようやく追いついてきたと視ることもできるが、実際のところ、我が國の禅はもちろんのこと、文化まるごと、すでに毀れてしまっている節がある。そのような中で、微かに残った文化の欠片を集めていくのも、惡くはなかろう。

 日本の禅を神格化したのは『弓と禅』の影響が大きい。本書はその『弓と禅』における「”それ”が射る」の表現に着目している。日本の弓道では、そのような教えはないのに、なぜか世界にはそのように宣伝されてしまったのだという。この視点は非常に興味深い。

 『弓と禅』がきっかけとなって、世界では様々な”禅”の本が誕生した。『禅とオートバイ修理技術』はその最たるものだけれども、それ以外に『禅とガーデニング』『禅とテーブル・サッカー』『禅とおむつ交換』といった日本人からすると、これは禅なのか?といったものである。

 まず先ほどの「”それ”が射る」の種明かしをしよう。

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私が棚に並べるのは、古風な日本人からたまたま譲りうけた古書ばかりで、元の持ち主が亡くなった方も少なくない。要は私の本棚で一時期お預かりして…

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