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【科学は人の導き手か?】オッペンハイマー【映画感想】

オッペンハイマーを見てきた。

早速感想に入ろうと思うのだが、まず率直に思ったのは私自身がアメリカの政治の歴史(共産党員や、左翼などについての知識)や事件(オッペンハイマー事件など)についてあまり知識がなかったために、中々細かな話の流れを掴むのが難しかったということだ。

なので、今回は細かな知識なしで見た大雑把な感想ということになる。演出についても無知であるので、ご了承願いたい。

それでは改めて、感想に入ろう。

大まかな流れで私が物語から感じたこと。それは、主人公であるオッペンハイマーが当初は「科学が人間を正しく導く」と信じていたのだということだ。彼は実験こそ苦手だったものの、理論においてはずば抜けて天才的だったという事が描かれている。

科学で世界を変えることが出来ると、本気で思っていた。実際に、彼の作り出した科学の産物である「核爆弾」は世界を変えてしまった。とても、最悪な形で。

彼は「科学の力が人間を正しくする」と思っていたのかもしれない。しかし、現実では様々な思惑が交錯していた。

アメリカは科学の力を武器に変えた。それからすぐに、水爆を開発する他国が現れた。ならばもっと強力な武器を作ればいいという者が出てきた。

オッペンハイマーは、核爆弾があれば戦争が終わると思っていた。だが、違った。戦争は終わらなかった。

今もなお、私達が生きている現代においても戦争は続いている。それは、武力衝突だけの事を指すのではない。互いが武器を持って睨み合う、静かな戦争は世界中で起き続けているのだ。

日本は核を保有していない。もちろんありえないことだが、核を手にすれば私達もまた他の国々のように睨み合わなくてはならなくなる。

人の領域を超えた力を所有する事は、「安心」などとは程遠い。この映画からは、核という力を持ってしまった人間の「危機」と「脅威」をリアルに感じられる。

オッペンハイマーを見て思う。確かに、科学は「人間を導く力」がある。だが、科学を使って人間を導けるのは人間しかいない。導き手の「正しさ」で、世界があっという間に変わってしまう事もある。

「正しさ」は、いつどのように変化するかわからない。そして、どう世界を破壊するかもわからない。

私達は、いつもそれを頭の片隅で考えていなければいけないのではないだろうか。

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