見出し画像

私を 想って 第六話

 週明けの月曜日は、涼花さんは「昨日はありがとう」と丁寧にお礼を言い、人に会う用事があるからと、朝から家を空けていた。そのお陰で、あまり顔を合わさずに済んだ。
 今日は砂山さんが朝から遊びに来ている。
 和さんのお世話を一人でできたことをすごく評価されたが、それほど喜べなかった。
 悶々としていたら、あっという間に時間が過ぎてしまい涼花さんが帰ってきた。いつもと変わらない様子の涼花さんを見て私も何事もない振りをする。
「ご飯にしましょう」
涼花さんの声に
「はい」と大きな声で返事をしたけれど、もやっとした心の中のわだかまりを残したまま台所へ向かった。

 篤人がやってきたのは火曜日の朝食後で、トウモロコシを持ってきたと、涼花さんに挨拶をし、バタバタと音を立てながら足早に私の部屋に入ってきた。
 篤人は「よいしょっ」と言い、床にあぐらをかき一息つくと、学校で使っているショルダーバックの中から分厚いノートを取り出した。

「あれから仁史さんや涼花さんのことを、他の人にも聞いたんだ。当事者からの話だけだと、客観性にかけるからさ。で、今までの内容をまとめたのが、これ。読んだら感想聞かせて」
 篤人からノートを受け取る。
 表紙には『失踪ミステリー/ノンフィクション 山中篤人』と書かれていた。
 ミステリーの文字が心に突き刺さる。終業式の日、篤人から父の失踪の謎を解くと聞いたときは、謎なんて一つもないと思っていた。
 それなのに、今は何もかもが謎に感じる。
 震えそうになる手を押さえながら、ノートを開いた。

『失踪者、鮎沢正臣。四十四歳。鮎沢家婿養子。旧姓長谷川。
 去年の十二月二十五日に、鮎沢涼花と再婚。鮎沢正臣になる。
 所有不動産はなし。
 正臣の前妻、長谷川早苗。年齢不明。旧姓不明。
 十四年前、癌により死亡。
 正臣と早苗の娘、鮎沢鞠毛。十七歳。旧姓長谷川。
 今年の四月から鮎沢家で暮らす。
 正臣、六月十五日水曜日に家を出てそのまま姿を消す。六月十七日金曜日。無事だけど、しばらく帰れないという内容のメールが、妻、鮎沢涼花に届く。それ以後、無事を知らせるメールは、毎週届いている』
 この前の夜、篤人が涼花さんを質問攻めにして聞き出した内容だった。

『失踪者の妻、鮎沢涼花。三十七歳。旧姓高畑。
 五年前、鮎沢仁史と結婚。
 鮎沢仁史。二年前、癌により死亡。享年三十八歳。生きていれば今年で四十歳。
 去年の十二月月二十五日に長谷川正臣と再婚。
 薬剤師として病院に勤務。そこで仁史と出会い、五年前に結婚。
 仁史と涼花の間に子供なし。
 結婚を機に病院を辞め、こちらで生活するようになる。仁史が経営していた店を改装し、ハーブ料理主体のオーガニックカフェにする。その店の経営者。
 カフェは金曜日から日曜日までの週末三日間のみ開店。朝十時から夜八時まで。ラストオーダーは七時。
 カフェの他に、地元野菜、米、パンなどの委託販売や、ハーブのネット通販も行っている。
 去年の初め、名古屋の遺族会で正臣と出会う』

『鮎沢和。七十八歳。鮎沢涼花の義母。鮎沢正臣の義母。仁史の母。
 認知症。診断されたのは、二年前に仁史が亡くなってから。
 実際は、それ以前から、認知症の兆候あったらしい。一人息子の仁史の死により、症状が悪化? 
 仁史が死んだとき、涼花が仁史を殺した。仁史は涼花に毒殺されたと、近所に触れ回っていた。
 五人姉弟の一番上。長女。一番下の妹、三女の妙以外の弟と妹とは、疎遠で付き合いなし』

『鮎沢幸太郎。享年五十一。鮎沢和の夫。鮎沢家婿養子。旧姓藤森。
 生きていれば七十九歳』

『小林妙。六十三歳。旧姓鮎沢。鮎沢和の妹。
 山向こうの桑沢地区へ嫁いだ。
 涼花がカフェを開いている週末の三日間、鮎沢家で姉和の世話をしている。平日も和の様子を見に来ることが多い。長男夫婦と同居。孫二人』

『鮎沢家の不動産について。
 仁史の生前に、仁史名義になっていた。仁史の死亡により、現在は鮎沢涼花名義になっていると思われる』

『失踪についての意見、感想。(七月二十五日時点)
 正臣はどうして失踪したのか?
 鮎沢の家は、土地持ちで、不動産収入がある。この辺りでは古くからある地主の一つ。
 八年前、国道のバイパス、通称高栗バイパスが開通。バイパスは鮎沢家の土地を通過している。用地買収による収入があった。バイパス開通に合わせ、仁史はバイパス沿いに地元物産品の販売店をオープン。売れ行きは良くなかったようだ。
 涼花がカフェに改装してからは、雑誌に取り上げられたり、積極的にSNSを利用して集客を計り、かなりの賑わいを見せている。
 鮎沢家に金銭面での問題はないと思われるため、保険金目当ての事件である可能性は低い。
 正臣に所有不動産はないため、正臣の財産目当ての事件である可能性は低い。
 毎週届くという正臣からのメール。確認しているのは、涼花のみ。涼花の口から聞いているだけで、証拠提出なし。
 本当にメールは届いているのか、確認の必要性アリ』

 篤人の分厚いノートは、まだ最初の部分しか使われていなかったし、その多くはまだ余白のままだった。
 和さんについて書かれていた箇所を読んだとき、心臓がドクンっと、音をたてたような気がした。

 この間の和さんの姿がよみがえる。あれは、記憶の混濁による、偶然の発言じゃなかったのかもしれない。和さんは、本気で、涼花さんが仁史さんを殺したと思っている。
 衝撃だった。火のない所に煙は立たない、の理論で言うなら、少なくとも、涼花さんが仁史さんを殺したと思わせる何かがあった。そう考えずにはいられない。
 それにしても、篤人は住民に聞いて回ったのだろうか。田舎で互いのプライバシーがない場所だから、きっとこの程度の内容なら、誰かに聞けば答えてくれる、そんな環境を怖く思った。

 ノートの記載内容で、一つだけ訂正できることがある。私は、父から涼花さんへ届いたメールを見たことがあるのだ。
「私、父が涼花さんへ送ったメール、見たことあるよ」
「そうなの? それって、いつ? 毎週確認してる?」
「見たのは、先月。最初に送られてきたメールかな」
「その後は、一度も見てないんだね」
「……うん、涼花さんから届いたって聞いただけ……」
「それと、これは言いにくいんだけど、娘である鞠毛の所へは、一度もメールが届いてないんだよね」
「うん」 
 その事実は、私をとても不安にさせた。
 顔から血の気が引いていくのがハッキリと分かるくらいに。視界が暗くなり、座っていた椅子から転げ落ちそうになった。
 篤人が慌てて私を支えてくれたが、気まずそうに、口はつぐんだまま。
 支えられた腕がじんっと熱くなり、とっさに体の向きを変えた。

「鞠毛さん、篤人くん、頂いたトウモロコシ茹で上がったから、好きなだけ食べてね。私はこの後用事があるから、少し留守にするけど、何かあったら連絡してね。お昼までには戻ると思うから」
 そう言って、涼花さんは今日も車で出かけて行く。どこへ行くのか聞くことなんて出来ない。形だけの娘、それが私という存在。
 一緒にいて、どう接すればいいのかわからないから、涼花さんが家を留守にしてくれることは、助かった。
「とにかく、ここの人達が知っているのと同じだけの情報は、これで私にも分かった」
 でも、ここから先は、どうしたらいいんだろう。
 黙って二人でトウモロコシを食べた。篤人も珍しく口数は少なく
「また来るよ」
 いつもより早く帰っていった。

 昨日父の所へ「元気?」とメールをしたが、返事はまだない。もしかしたら、メールをしない方がよかったのだろうか。とにかく不安ばかりが募っている。
 先週の篤人が来た夜、涼花さんから、薬剤師として勤めていた病院で、仁史さんと知り合ったと聞いた。

「子供の頃、高熱で苦しんでいたとき、病院で解熱剤を注射されたの。そうしたら、しばらくしてすっと熱が引いて、楽になって。ぐっすり寝たら次の日にはもう治っていた。注射って、魔法みたいだと思ったの」
 それが薬剤師を志したきっかけだと言っていた。
「普通はお医者さんに興味を持って、医者を目指すエピソードらしいんだけど、私は注射された薬の方が、気になったのよね」
 興味があるもの。好きなこと。それが職業につながっていた。薬剤師として働く中で、ハーブやアロマにも興味を持ち、今に至ったらしい。
 父も同じだろう。子供の頃から大型トラックが好きで、いつか運転したと思っていたと聞いたことがある。今の仕事は、それが叶ったと言っていた。

 それに比べ、私は、どうなんだろう。
 今まで興味を持って取り組んだことや、好きで夢中になったものが、一つも思い出せない。
 小学校のとき、名前でからかわれたことが本当に嫌だった。中学では、目をつけられないように。いじめに遭わないように。それだけを考えて生きてきた気がする。高校生になった今でも、それは続いている。
 今の高校に転校して、篤人のお陰で名前のコンプレックスは感じていないけど、それは今だけだ。

 高校を卒業したら、私はどうするのか。何がしたいのか。やりたいことがあるのか。
 働くとしたら、私に何ができるんだろう。
 私の取り柄は何?
 得意なことってあるの?
 何か見つかればいいけど、もし何もなかったら、私の存在する意味ってあるんだろうか。
 出口のあるトンネルじゃなくて先の分からない洞窟にいるような気分の中、未来のことを考えるのが怖くてたまらない。
 失礼なヤツだと思ったけど、なりたい自分を持っている篤人のことが、羨ましく思う。
 だから、自分にも何かできることを証明したくて、誰かの役に立てる人間なんだって自信を持ちたくて、和さんのお世話を一人でやろうとした。
 それなのに、こんな結果が待っているなんて。

 今は何をしてもバッドエンドしかないように思える。暗くて寂しい気持ちばかりが増え、なんの解決策も思い浮かばないまま、時間だけが過ぎていく。
 そんな中、父からは『無事だ』とだけメールの返信が来た。
 生きてる。本当にお父さんなの? 電話をしたのにつながらない。声を聞きたい。
 連絡が来たのに、安心はできなかった。かえって、最悪な想像ばかりが思い浮かび、落ち着かない気分になってしまった。
 父は私の事をどう思っているんだろう。そんなことばかり考えて時間が過ぎていく。
 ここにいるのに、ここにいる実感があまりわかないままだった。




第一話はこちらから


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?