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私を 想って 第十話

 篤人のお父さんと妙さんが戻ってきたのは、だいぶ経ってからだった。和さんは、やはり長期入院になるらしい。お見舞いは和さんの様子を見ながらということになった。涼花さんは病院で手続きを終え、一度家に帰ってからお店に向かったと、妙さんから聞いた内容がスマホにも届いていた。
 帰り道にファミレスでお昼を食べ、篤人の家で夕食をもらってから家に帰った。

 誰もいない家は静かすぎるのになぜか耳が痛い。乱暴に水道の蛇口をひねると、ザーっと水の流れる音が耳に響く。その音を聞いて少し落ち着いた。シンクに置いてあったコップを手に取り、水を勢いよく飲み干すと大きなため息がでた。
 冷蔵庫に寄りかかるとジーっと機械音が全身に響き渡る。ぼんやりと台所を眺めていたら、涼花さんが書いたメモを見つけた。茶色いテーブルにパステルイエローの明るい色がどこかチグハグに感じた。

 和さんが倒れたときに見せた涼花さんの涙。
 それと、あれは、笑顔……だったのかな。
 どういう意味に受け取ればいいのか、私の中で消化しきれていない。なんとなく、涼花さんとは顔を合わせたくなかった。
 篤人の「可能性」と言う言葉を思い出し、不安にもなった。だけど、私の中では、最初から涼花さんが父に何かをしたとは思っていなかった。そんな風に思いたくない気持ちが強かった。
 昨日、篤人と苦いお茶を飲んだとき、私は涼花さんを信じたいのだと気がついた。
 父が戻ってこないのも、私のところに連絡がないのも、何か別の理由があるはずだ。たぶん、涼花さんは父の事情を少し知っている。
 そうでなければ、警察にも行かず、毎日の生活をあんな風に平然と続けることはできないと思う。

 涼花さんが、父のことをどれくらい好きでいるのか分からないけど、結婚してもいいくらいには、好意を持っているのは確かだろう。和さんや妙さん、それに私のことを気にかけてくれるし、父を全く心配しないなんてことはあり得ない、と思いたい。だけど、どんな顔をして会えばいいのかわからないでいた。
 涼花さんの真似をして、私もメモを残し、部屋に入った。

 スマホを買ってもらうまでは、ずっと父と、メモでやりとりしていた。ほんの少し前のことなのに、ずいぶん昔のことのように感じる。

「しばらく和さんの様子を見に行ったりバタバタすると思う。今日もお店のことがあって。ごめんね。篤人君とお祭り行くことは聞いてるから。夜だから気をつけてね。何かあったら遠慮せずに連絡してね」
 涼花さんはいつもより疲れた笑顔で朝早く出かけていった。

 一人で朝ご飯を食べ終えた頃に篤人が迎えに来て、お祭りが始まるまで篤人の家で過ごした。賑やかであたたかい空気を感じ、また少し、さびしくなる。
 篤人はまた、本をたくさん持ってきたので手にしてみたが、内容なんて頭に少しも入ってこなかった。

 田んぼの中の曲がりくねった道を、自転車を並べて篤人と神社へ向かう。身体のあちこちにぬるい風を感じ、Tシャツが肌にくっついている。空はまだ明るかったが、山に囲まれているために、辺りは暗くなり始めていた。
 山が自分を飲み込んでしまいそうで少し怖く感じたが、隣にいる篤人を見たら気持ちが落ち着いた。

 ずっと見上げていたら首が痛くなりそう。提灯で照らされた階段を眺めた。神社は山を登る長い階段の上にある。この階段が、不人気の理由の一つかもしれない。
 自転車であふれそうな臨時駐輪場に自転車をとめ、篤人と並んで歩きながら階段へ向かった。

「寧々。お待たせ」
 階段の下で、手を振る浴衣姿の寧々に、篤人が手を上げてこたえる。
「鞠毛、久しぶり。元気してた?」
 寧々がいることにビックリしたが顔には出さなかった。

 寧々は私に駆け寄ると、横に並んでからのぞき込むようにして、じっと顔を見つめてきた。
   いつものことだ。

「あれ、寧々の家って、この辺りだったっけ?」
「ううん、山向こう。今日はお祭りがあるから来たんだよ。篤人から鞠毛も行くよって聞いたし」

 寧々の言う山向こうは、ここからさらに北にある芦原市のことだ。この辺りの人には常識らしいが、慣れるまではどこのことを言っているのか分からなかった。
 寧々はバス通学組だ。きりっとした眉と、クッキリした大きな目。一度見たら忘れないくらい、印象的な顔をしている。顔に似たのか、性格もハッキリしていた。

「田舎だと思ってバカにしちゃいかんよ。生きる力は都会の人よりあるんだからね」

 市川寧々に話しかけられたのは、転校初日の昼休みのことだった。
 突然話しかけられたときはびっくりして、無言のままじっと顔を見つめてしまった。

「人の顔見すぎ」
 プイと顔をそむけ、急に照れた。素朴な感じがして可愛いなと思った。

 こんな風に話しかけてくる人は、今まで学校にはいなかった。だから、どんな風に対応していいのか、なんて返事をしていいのかわからなくて思わず黙って顔を見つめてしまったのだ。

 その日以降、寧々は頻繁に「鞠毛、鞠毛」と私の側にいるようになった。寧々が話しかけてくるときは、なぜかいつも、後ろから回り込むようにして話しかけてくる。
 正面からじっと見つめられたのは、最初だけだった。

 休み時間はほぼ寧々がそばにいた。だからと言って私から何かを話すことはなく、ほぼ寧々が一人で話しているのを聞いているような関係で、スマホの連絡先も交換していない。

 それまで友達という存在を持ったことがないので、寧々のことを友達と呼んでいいものかどうか、今も迷っている。
 寧々のことが好きじゃないからではなく、私が勝手に友達認定してしまっていいのか、わからないのだ。
 それに友達って、いつから、何をしたら友達になるのだろう?
 小学校のとき、一緒に登下校したり、遊んでいたみっちゃんや絵梨ちゃんは、友達と呼んでもいいかもしれない。でも、相手が私のことを友達だと思っていたかどうかは、謎のままだ。
 一緒に遊んだら友達なのか。
 恋人になるには、告白して付き合うというプロセスがある。でも、友達にはそれはない。
 世の中の人達は、どうやって友達とそうじゃない人を区別しているのか、私にはわからなかった。

「ところで、鞠毛と篤人って、そういう関係なの?」
 寧々は私と篤人の顔を見ながら、変な質問をしてきた。
「ま、私は鞠毛に会いにきたんだから、どうでもいいんだけどね」
 篤人と私が返事をする前に、寧々の中で自己完結したようで、目の前でニコニコしていた。篤人の答えを聞いてみたい気もしたが、どうせいつものように、わけのわからないことを言うだけだろう。
 さっき、寧々に手を上げていた篤人を見て、まるで二人が待ち合わせていたように見えた。そのとき感じたもやもやした気持ちは自然と薄れていた。

「鞠毛は明日、何か用事ある? なかったら、私の家にこない?」
「突然すぎるけど」
「その方が、先が読めなくて面白いでしょ。で、どう?」
「……行ってもいいかな」

 明日からまた涼花さんは家にいることになる。まだもう少し、涼花さんとは顔を合わせる時間を短くしたい。

「それじゃ決まり。私が誘ったから、バス代は出すよ」
「そんないいよ。バス代くらい出せるよ」
「それなら、お昼はこっちで何か用意するね」
「そこの女子達、そろそろ話しはまとまりましたでしょうか? よろしければ、お祭りの会場へ行きたいと思うのですが」

 すっかり取り残された感じの篤人が、少しすねた表情をしていた。こんな顔もするんだ。
 なかなか見られない篤人の表情を、密かに心に焼き付けた。




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