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男性とふたりきりになるという事についての思い出

ゴシップや芸能ニュースには興味が無いのですが、
自分が被害側になったことが何度かあるため、性被害という面から今話題の話が目に入ってきます。

昨日Twitterで性被害について自分の思うことを書いていてふと思い出した出来事があるのですが、これ以上Twitterに流すのもちょっとためらわれるし、エッセイ的に人に読んでもらう文章を書くのは苦手なのですが、Noteに残してみることにしました。

タイの島に2ヶ月ほど滞在していた時のことです。
仲良くなったイギリス人の男性に、美味しいカレーを友人にもらったから家に食べに来ないか、と誘われました。

その男性に全く悪い印象はありません。むしろいつも笑顔でいい人という印象です。
少し性に奔放だけれど、この島はわりとそういう属性の人達が集まる島なので(私は誰ともそういう関係にならず犬やネコと遊んでいましたが)、その人が特に変わっているというわけでもなく。

だけど、私は幾度となく日本国内で性被害にあった経験があります。
その経験を公の場ですべて話すことは出来ないけれど(Twitterで書いていることは人に言える範囲のことです)、男性と閉鎖空間に二人きりになった時に自分が望まぬことをされたこと、(その男性がどんな関係であっても ー 例えばその人が自分の雇い主で、それが職場であっても)加害者ではなく自分が周りに責められるということは経験があります。

ましてやここはタイで、性に奔放な人が多い島で、相手は日本人ではなく。もし何かがあったら一体誰が私の側に立ってくれるだろうか?
ただ夕ご飯を一緒に食べるためだけに行ったのだとしても、
分かって行った、
合意で行った、
期待して行った、
その気があった、
そう言われることは火を見るより明らかだな、と思いました。

私はその人と性的な関係を持つ気は一切なかった。
本当に一切ありませんでした。
何かをされてもいいなんて少しも思っていない。
だから、日本の経験から来る前提(『男性と二人きりになる以上、性的なことをされても仕方がない』)に照らし合わせれば、行かないのが正解。
誰かを連れて行くのが次点。
だけど私は普通にその人との友達としての仲を深めたかったし、そんなに『呼べば来る便利な他人』なんていないし、男同士なら普通にご飯を食べて、一緒にお酒を飲んだって責められたりしないだろうし、何で女というだけでこんなに怯えて色々と考えなくちゃいけないんだろう。ただ夕食を自宅で食べようと誘われているだけなのに。

私は行ってみることにしました。

私は当時ビーチサイドのバンガローに滞在していて、そこには何匹か犬が住み着いていました。飼い主がいる犬もいればいない犬もいて、すべての犬は何にもつながれておらず、自由に浜辺を走ったり穴をほって寝たりして暮らしていました。
私はその犬たちと仲良くしていたのですが、イギリス人の男性の夕食に向かう途中、私の不安そうな空気を感じ取ったのか1匹の犬がついてきてくれました。その人の家は隣のビーチにあって、そこは他の犬のテリトリーなので普段はこちらのビーチの犬たちは絶対にそちらまで行きません。
だからきっとあの日は私を心配してついてきてくれたんだなと思っています。

一人と一匹で、その人の家にお邪魔しました。
ツリーハウスのように2階に居住区があるバンガローで、犬はちょっと登りにくそうだったけど、なんとか部屋に入ることができました。(部屋の中も土足なので犬が入ることは問題なかったです)

彼が食事を用意している間、おそらく私はずっとびくびくと警戒していたんだと思います。いざという時に反撃するために使えそうな道具や、逃走経路を探していたり、腰掛けてと言われたベッドに触れず床にそのまま座ったり。

「大丈夫?リラックスしてないようにみえるけど」
と言うようなことを聞かれたんだと思います。
私は正直に言ってみることにしました。

「正直に言うと緊張している、ただの友人であっても、日本では男性と二人きりになることで、本人が望んでなくても性的な行為の合意をしたということになったりするから。私も何度か自分の望まない目に遭っている。だから、あなたはきっと何もその気がなくて安全なのだと思うけど、日本では女性が男性と二人きりになってレイプされたりした時に責められるのは女性なので、どうしても怖いと感じている」

彼は一瞬黙って、それからこう言ってくれました。

「Oh Kumi、こんなにCuteなあなたがそんな目に遭ってきたなんて。」

性的被害について男性に労りの言葉をかけられたのは私が覚えている限り生まれて初めてだったので、ちょっとびっくりしていると、彼はこう続けました。

「もし自分があなたとセックスをしたいと思っているなら、したいとあなたに言うよ。その時あなたがしたければすればいいし、したくなければノーと言えばいい。
あなたがしたいと思うなら自分にそういえば、自分がしたいならするし、しなくなかったらしない。
あなたがしたくないと言えば、あなたはしなくていいんだよ。」

男性性を責められたような防衛反応でもなく、「こちらにも選ぶ権利がある、お前なんかに手を出すかよ」的な反応でもなく、「変なこと考えてるんだぁ?」みたいなニヤつきでもなく。
とても真面目に私の自分の身体をどうするか選ぶ権利について話してくれて、それを尊重してくれて、
その言葉が私の中の何か、多分それは人間不信だと思うのだけど、それを少し癒やしてくれた、と今でも思っています。
思い出すと真っ暗な海の闇の中に灯台の明かりが見えたような、そんな気持ちになります。

もしかすると、日本人のひとにはこの話でも責められるかもしれない。
タイの島で、外国人(日本人もタイに居るなら外国人ですけど)に誘われてのこのこと家まで行って、不用心な。何をされても文句は言えない。そう言われても仕方ない。

だけど私はその人が私の意思を尊重してくれた経験を持ててよかったと思ってる。
思い切って行ってよかった。
こういう概念が世の中にあるんだって、それを机上ではなくて実際の経験の中で聞けてよかった。

すごくほっとして、笑顔になって初めて、自分がこの家に来てずっと笑ってなかったこと、顔がこわばっていたことに気が付きました。

そのイギリス人の男性とはその後も友人づきあいをして、その次の年は今友人の家の留守番をしていて部屋が余っているからと私を泊めてくれて(家賃は払いましたけど)、ひとつ屋根の下ですけどもちろん何かをされることもなく。(あなたがしたいと言えば考えるけど、したくないなら何もないよ、と)
ただちょっと露出趣味のある人で、時々なにも着てなくて目のやり場に困ることはありましたけど。(それでも自分の身体をどうこうされるよりはずっと害がないな…と思ってしまう)

それで友人は信用するというスタンスに傾いて、信用しようとした日本人男性(友人の友人)に性加害を受けるという事も残念ながらその後あったので、今の私の中では『日本人には特に気をつける』という教訓になってしまっていますが…(共通の友人にも報告したのですが、「手を出さないと怒る女性もいるし…」と言われてしまいました。その人もどちらかというと信頼している方だったので、とてもショックでしたが、もうこれは日本の文化圏の問題なのかな…と諦める気持ちに)

もちろんイギリスであってもどこであっても性加害をする人はいるし(Tea Consentの動画が作られるということはあれが必要なのだということだから)、私の友人だって本国でマジョリティかどうか分からないし、だから日本人が危なくて外国人はそうじゃないと言いたいわけでもなく、私が得られたことと性被害を比べたらダメージの大きさの釣り合いが取れないので異性を信じるべきとも言えないです。
彼がいい人だったからよかったけど、私をレイプする可能性も相手によってはあったわけだし。

ただ、その友人とのやり取りを通して私が見た世界、
男であっても女であっても自分の身体と性に関する意思が尊重されて友人関係を築ける世界がとても暖かくて、あの世界が見えたのは自分には涙がでるくらい嬉しかった、あの世界に自分は住んでいたいな、という気持ちを今も持っています。
全男性との間でそんな関係を築くのは『世界から犯罪を無くしたい』と言うようなものだからもちろん無理だけど、せめて自分の友達に選んだ人とは、そういう世界に住みたいな。

写真は私を心配してついてきてくれたMimiちゃんです。

追記:


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