Kumi 別館

ツイッターでは長過ぎるし、ブログではテーマが違うような、考え事とかについて書きます。以…

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ツイッターでは長過ぎるし、ブログではテーマが違うような、考え事とかについて書きます。以前は自分の家庭内虐待とかについて書いていましたが、少しずつふつうの事も書いていこうと思う。

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最近の記事

毒親思い出話:お母さんがやさしかったときの事

なんか急に思い出したんだけど、Twitterに書くのもあれなのでここに書いておきます。 うちの母は言葉と物理の両方の暴力がすごかったんですけど、記憶の中でお母さんがやさしかった事って、片手で数えられるくらいはあって。 その中の一つのことをなぜか急に思い出して。 30代の時、「辛いことがあったら帰っておいで」みたいなことを言い出して、私はナイーブにも『お母さんがやさしい…嬉しい』とか思ってじーんとしていたんですが。 その前段階があったんだった。 私の母は、私の事を『東京に

    • 議論できるとき、できないときとその結果についての話

      少し前に、Twitterでちょっと揉めたことがあった。 知り合いの女性が初めてのフィリピンに行っていたのだけど、「フィリピンは東南アジアで一番アジアらしくて楽しい」とつぶやいていて。 私はフィリピンは東南アジアの中で一番アジアらしくない(というか無理やり西洋化された)とつねづね思っていたので、それを見て頭のなかが???となって、理由を知りたくて、どうしてそう思うのか訊いたのだ。 しかしその理由にもピンとこなくて(例えば「タイと違ってサイアムパラゴンやFacebookのよ

      • 世の中にはいろいろな人がいるのだなという話

        女と言ってもいろいろ違いがある。 頭では分かっているつもりでいたけど、でもどこかで「同じ人間なんだし」と共通の概念を持っていると信じているところもある。 もちろん「人のものを盗むのはいけないことだ」とか、「おいしいものを食べるのは楽しい」みたいな比較的大人数で共有している概念もあるのだけれど(それも全員じゃないけど)、もっとゆるい部分では人は本当にいろいろと違うのだなあ、ということが、来年40になろうとするこの歳になってようやく腹落ちしてきた気がする。 最近それを感じた

        • 赤ちゃんの時のケガについて未だに考えてしまう

          *** 注意:虐待についての話です *** すごくとりとめのない話になりそうなんですけど、 私が何度も思い出してしまうことの一つに、頭の後ろの傷があります。頭と首の付根くらいにあるんだけど。 大きくなってから傷がある事に気がついて、親に聞いたら赤ちゃんの時に間違えて階段から落としてしまった時についたんだって。 私はそれを何の気もなく疑わずにいたのだけど、 ふとある時、今まで母が私に振るった暴力性を考えるに、 『もしかして、間違えて落としてしまったんじゃなくて故意に落とし

        毒親思い出話:お母さんがやさしかったときの事

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        • 家庭内DVに関する文章
          3本

        記事

          『他人を傷つけないよう強くならなければ』というのは傷つけられた側の抑圧だったかもしれない、という話

          ふと、自分が20代前半の時に『強い人間は他人を傷つけない』という言葉を何度も自分に対して繰り返していたことを思い出し、違和感を覚えた。 その言葉自体は間違ってはいないとは、今でも思う。 他人を傷つける強さより他人を傷つけない強さのほうが難しいし、より価値があると思っている。言い直すと、他人を傷つけるのは心が弱いからで、傷つけないようにするほうがずっと強さを求められると思っている。 しかし、その言葉を自戒的に20代前半当時の私が繰り返していたのは、なんとも妙だ。 どうして

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          『他人を傷つけないよう強くならなければ』というのは傷つ…

          人の辛かった感情を否定する人

          *** 注意:虐待についての話です *** 今日思ったことを書き出す。これは割といつも何度も考えること。傷を舐める。 家庭内虐待の経験を説明すると(家庭内虐待という明確なラベリングはしておらず、大抵は『家族の問題』とか『母親との関係性』とかいう包装紙にくるまれているんだけど)、割と高確率で『こちらの辛かった感情を否定してくる』人が出てくる。 ・それはあなたの考え過ぎなんじゃない? ・それは思い込みなんじゃない? ・お母さんも辛かったんじゃない? ・お母さんはあなたのこと

          人の辛かった感情を否定する人

          『許してあげなよ』に対する違和感の正体

          *** 注意:虐待についての話です *** 今日も心に浮かんできたことの記録です。Twitterに書く代わりに。 家庭問題を引きずっていると、周りから言われることが何パターンかあるんですけど、その中の1つに「親を許してあげなよ」があります。 これずっと違和感があって、『許すとか許さないとかそういう問題…?』と思うんですけど、うまく相手に納得させられるよう自分の気持ちを論理だてて言語化出来ず、いつもヘラヘラ笑ってそうですね〜というか感情的になって反論するかのどちらかになって

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          『許してあげなよ』に対する違和感の正体

          『自己責任論』の原因を自分のトラウマから考えた

          *** 注意:虐待についての話です *** こんにちは。 いつもはTwitterで過去のことなどを垂れ流していたのですが、そういうのを読みたくて私をフォローしている人ばかりでもないと思うので、こちらに切り離そうと思い新規にnoteアカウントを作りました。吐き出しを兼ねるので、とりとめない文章になるかもしれない事を最初にお詫びします。 今日は『自己責任論』から自分の過去の出来事を思い出していました。 自分が責められた経験から、被害者を責める人は『被害に遭うという可能性から

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          『自己責任論』の原因を自分のトラウマから考えた