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日々是くらげ379日目「自分の人生が半分も終わっても何もできていないという恐怖」という話

いつの間にか2月になっていた。1月は本当にいろいろあって心が折れてかなりダウナーになってしまってあまり仕事が進まなかった。かなりやばいので2月はどうにか立て直ししていきたい。

ここのところまた人生に迷走している感じがひどくてしんどい。もうすぐ40歳になろうというのに結局自分が何をしたいのかが未だにわからない。そのせいで何もかもが中途半端で終わってしまっていて「何をやってるんだろうか自分は」という自問自答ばかり繰り広げていて何も成し遂げていない悲しさがある。

折り返しどころかそろそろ人生のしまい方も意識しなければいけない年になろうとしているのに何をぐずぐずしているのか。同世代の人々と比べても努力できる量も質も全然違う気がする

そこまで悩むくらいなら手元にある仕事に必死になれば良いのだろうけどそれもなんとなく止まってしまう有様だ。救いようがない。

それと、常にここではないどこかに理想の地があってそこに行けば何とかなるのではないかという幻想が付きまとって仕方がない。もちろんそんな事はないのはわかっているのだけど感覚として今のところから逃げてしまえば何とかなるのではないかという甘えがある。なんとも締まりがない。

せめて何かしらの作品を作りたいと思うのだけど、ADHDの気質が邪魔して長期間にわたって同じテーマに取り組むということが大変苦手である。何日もかけて1つの作品に取り組むことができるようになれば少しは変わっていくのだろうけど、何度も何度もトライしては失敗しているので今更自分に継続力について期待するのをやめている。このままだと何1つ何も残さず死んでいくんだろうなという恐怖はあるのだけど、このへんも覚悟が足りないと思う。結局何をなんにつけても中途半端である。

そもそもあまり知的生産をする仕事をしていない。もちろんライティングの仕事をしている以上「知的生産」と見なされるだろう作業はしてるのだけど、それが果たして自分の頭でやっているかというと必ずしもそうではない。テーマや内容について深くコミットしているわけではないのでやはり手先でも何とかなってしまう事が多い。というかずっと小手先でやってきて頭をしっかり使うとことをサボってきたツケが今来ている。とりあえず日記を書く位には頭を使えるようになったので数日間は何とか動くだろう頭を使ってやれることはちゃんとやっておきたい。いつどのくらいちゃんと稼働するかわからないポンコツの頭を抱えると言うのも結構大変なことである。

妻のあおががてんかん再発とか体調の悪化とかで仕事をやめることになりました。障害者の自分で妻一人養うことはかなり厳しいのでコンテンツがオモシロかったらサポートしていただけると全裸で土下座マシンになります。