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自分の人生を取り戻した話

「会社を辞めたいのに辞められない」ーー先日書いた「辞める練習が足りない」にはたくさんの反響があった。そして世の中には、仕事が辛くて、こんなに苦しんでいる人が大勢いるのかと驚いた。私もかつて同じ罠に落ちた一人。お金や勤務条件だけで就職してしまった挙句、合わない仕事に苦しんた。5年かけて大企業を辞めたが、やり直しにも苦労した。そんな記憶を振り返ってみる。
・たくさん読んでいただきありがとうございます! 6月10日、少し追記と訂正しました。
・7月7日、有料化しました。

ーー

就職した当時は、毎日が後悔の連続だった。

私の就職先は名前を聞けば誰もが知っている、損害保険会社だった。

法学部だった私。いつかは司法試験を受けようと、法律の知識を活かして働ける保険会社を選んだ。
この会社は、女性の勤続年数が長く給与が高く、福利厚生が充実していた。就職情報誌の情報は良いことばかりで、いわゆる「評判の良い」会社だった。

そんなわけで、内定したときは、ちょっと自慢だった。
みんなに羨ましがられたし、親も安心してくれた。
体裁が良いし、条件もよかった。

しかし体裁や条件で会社を選んだのは、完全に失敗だった。
自分の向き・不向きを完全に見誤っていた。

まず、初日から嫌な予感はした。朝礼、強制される社歌、行事。女性は全員制服を着ていて、活躍しているように見える人は一人もいなかった。

しかし、「この仕事に向いてない」と決定的に悟ったのは、入社して交通事故の示談交渉をする部署に配属され、半年ほど経ってからだ。

交通事故の現場は殺伐としている。

契約者から怒鳴られたり、ときにはヤクザが出てきたりもする。電話に出れば、お客さんは、新人だろうがなんだろうが、交通事故の悲しみや相手への怒りをぶつけて来た。
私はそもそも、争いごと自体が苦手だった。交通事故の相手側に電話するのもひたすら憂鬱だった。

法律家になろうと思って入ったし、法律の知識が活かせたのも事実だった。しかし、争いごとが苦手な私は、多分法律家には向いてない。向いていない仕事は苦痛でしかない。そんなことに、遅ればせながら気がついた。

そもそも大学の選択を失敗したなと悟った。
だからと言って、どこからやり直せばいいのかわからない。

道があるのかもわからなかった。ストレートに大学に入ったので、挫折らしい挫折もなく、何かを途中で外れるという経験をほとんどしていなかった。

さらに辛かったのは、仕事ができなかったことだ。
事務作業が壊滅的にダメだった。
計算が遅い。字を書くのが嫌い。

他の人がわかることが、私には理解できない。特に計算は壊滅的に遅く、ミスばかりした。

そういえば、私は中学でも高校でも落ちこぼれていた。方程式もアルファベットもわからないまま中3になった。学校の授業はいつでも途中でわからなくなり、つまらないので全く聞いていなかった。聞いてないから質問すらできない。

そんなことを思い出した。

やりたくない仕事はいつまで経っても終わらず、残業ばかり。
課長は「お前それでも早稲田か」と嫌味を言う。

お給料が良く、勤続年数が長い女性が多いのは本当だった。

当時は同僚たちは、先輩たちの腕時計を眺めながら、
「この会社お給料いいから、ロレックスの腕時計が買える」
「ボーナスは3回出るし、いい結婚相手を見つけられる」
などと楽しそうだった。
話題は結婚と芸能、お買い物のことばかり。

正直、私はなんの興味もなかった。
いい人が多かったけれど、自分はここに一生いるのか、と思うとゾッとした。まるで鳥かごにいる感じだった。

けれども、みんな優しかった。毎日、暗い顔をして会社に行く私を見て、先輩たちは心配してくれた。
そんな頃、本社で女子社員が自殺する事件が起きた。その翌朝、「お前、大丈夫か?」と言われた。
追い詰められた顔をしていたのかもしれない。

実際、何もかも嫌だった。
こんなことのために大学に入ったのかなー。
思えば、大学時代には、海外に行ったり、専門学校に行ったり、英語を勉強したりして、将来に備えている人たちがいたっけ。
自分はひたすらクラブ活動に夢中で、英語も一切勉強しなかった。就職活動まで、将来のことはこれっぽっちも考えなかった。バイトとクラブ活動。ただ周りに流されていた。

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