思想強め。日本人傭兵についてホモが語る

 昨今のウクライナ戦争には本当に心が痛むばかりか、被人道的な大量殺戮兵器を用いた広範囲攻撃や、悲惨な殺人現場があるそうで怒りすら覚える(予防線としてメディアの報道を全て鵜呑みにしているわけではないが)

 そんな中でもTwitter弁慶の私は日本人の傭兵のツイートを日々チェックしていて、現状の凄惨な現場を垣間見、一方で日本人傭兵への批判的なリプライも見受けられる。

 良く見受けられる批判として何故関係ない日本人がわざわざ人を殺しに行くのか。だとか、何故わざわざ命を捨てに行くのか、ミリオタ風情が命を粗末にするなと言った批判を目にする。

 まあ、そう言った意見は至極真っ当にも思えるが一方でそう言った意見に2つの観点から問題提起をしたいと思う。

 まずその傭兵個人に対する批判についてであるが、大前提その傭兵の何を知っているのか。と思ってしまう。彼には彼の正義があり、大義がある。彼の人格形成の中でウクライナという土地が、重要なファクターとして起因していた場合、傭兵として命をかけたいと思うことは決して批判できないものであるとも思う。そして、彼の行動の根底にあるものがミリオタだったとしても彼自身の行動の中には人殺しがしたいという動機は決して私たちの憶測で語ってはいけない領域だと思う。

第二に、どこの国でも大体は人を殺しては行けないと言う法律が適応された法治国家に在住しているため、当たり前の倫理観として捉えられているが、あくまでそれは、人間の、共通の倫理観の一致による多数決の結果に過ぎないと思う。(決して人殺しをしたいとか、危険思想を持っているわけではない。)
そのような共通の倫理観は戦場では通用せず、
あくまでパターナリズムに押し殺され、市民の感覚も麻痺し、主権者の暴力とも言えるプロパガンダによって洗脳された結果なのだ。
その渦中では倫理観など形骸化している。
今、自分たちの住んでいる日本という国は対岸の火事のように外野からウクライナ傭兵に対してヤジを飛ばしているが、それは先人たちが培って来た、0から1を生み出してくれた産物の上に成り立っているに過ぎない。
いつ日本が昭和の父権主義を再興させ、盲目の国民を大量生産し、多数決の原理という数の暴力によって正義を歪んだ形で形成するかなどわからない。

明日は我が身だということをゆめゆめ忘れないでいただきたい。そして、ある意味では正義なんてどこにも存在せず、最終的には自身の大義しか信じられるものはないのかもしれない。

このような記事を大分書いてましたが、
思想強くない??ってのと
あまりにネット論者感が出ててキショかったんで上げてませんでしたが、あげるものも無いので、アップしちゃいました。

いずれにせよ、
早く平和になってほしいですね。

※追記
話が尻切れ蜻蛉になってしまってますね。
下手に前の作文途中の上げてしまった故。。
結論としては下手に批判してないで明日は我が身だぞって筆者は言いたいみたいです

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