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羊角の蛇神像 私の中学生日記⑭

人の尿を浴びる

Aくんは、数日後に再び無断外出をして、寮はまた私ひとりになった。
程なくBくんという3年生が戻ってきた。

Bくんは、かわいい人だった。
いつも悪戯をしたり、冗談を言っては、周囲を和ませる優しい人だった。

鑑別所に入るような悪事に手を染めた彼らだったが、友人として関わっていると、皆それぞれに良い所があった。
外の世界では、私たちは全く別の属性の子どもたちだった。
盗んだバイクを改造して、エンジンをふかしながら6連ホーンでゴッドファーザーのテーマを鳴らす彼ら。
夕方のみんなの歌で目覚めて、ずっと家の中でテレビを観てすごし、朝のポンキッキを観て眠る私。
しかし、園の生活や作業の中では、助け合ったり教え合うようなことが必要だった。
その中で私たちは、属性の壁を越え、時には協力し、時には笑い合うようなことがあった。

ある時、Bくんがトイレ掃除をしている時に私は我慢できずに用を足した。私が小便器で用を足す、その隣の便器を彼はブラシでこすっていた。
私が用を足す間、離れてくれたら良かったのに、彼は「(小便が)かかるやろ!」と怒りながらそこを動かなかった。

その日の夜、私たちはふたりで入浴した。
シャワー付きのカランがふたつあり、浴槽も広かったので、ふたりずつ入るのに問題は無かったが、ふたり同時に入るのは、おそらくどの寮でも慣習だったはずだ。
なぜなら、入浴後に私たちは交代で自分たちの脱いだ服を二層式の洗濯機で洗っていた。
洗濯をして、それを干す時間を考慮して、私たちはできるだけ早く入浴したのだった。

Bくんと並んでカランの前にいた。私が坊主頭(当時、私が住んでいた市の公立中学では坊主頭が規則だった)をシャンプーで泡立てる隣で、Bくんが何やらそわそわとしているのが少し気になった。石けん箱を手に持って立ち上がる彼を不審に思いながら私はシャワーで髪をすすいだ。
次の瞬間、違和感を覚えた。そして、口に流れ込むお湯に、味わったことのある、ある液体が混ざっていることに気づいた私は声を荒げた。
「何してんのっ!」

Bくんは、石けん箱に尿を入れたものを、シャンプーを流す私の頭にかけたのだった。
「昼のお返しや」と彼は笑った。
トイレ掃除の時に多少はねることがあったかも知れないが、石けん箱分の尿をかぶるのは割りに合わないという内容の抗議をしたと思う。

そういうことがあったが、基本的に私はBくんが嫌いではなかった。

異食行為について

尿を味わった経験について、簡単に説明する。
小学校1年生の頃、道路に落ちて干からびた犬の糞を舐めたり、オタマジャクシを舌の上で潰して味わったことはこのシリーズのはじめの方で少し触れたと思う。

どういうキッカケで異食行為に及んだのか、全く思い出せないが、小学校の帰り道に、その辺に生えた雑草などを食べる私のうしろに4〜5人の女子がついて来て、私の異食行為を見てはキャアキャアと黄色い声をあげるという状況があった。
愚かな私はスターになった気分だった。
スター気分を味わうよりも、食べてはいけないものを味わうことの方が、より価値のあるものになっていた。
私はたったひとりでそれらの行為に及んだ。
そういった行為の中に、自分の尿を手にすくって飲む、ということがあった。
臭いそのままの臭みと、喉の奥が焼けるような酸味があった。

ちなみに、私の異食行為の目的は、おいしさを求めたり、気に入ったものを繰り返し摂取するような類のものではなかった。
あくまでも知的好奇心を満たすためのものであり、私は研究熱心な異食のソムリエだったのだ。

読者は私のことを汚らわしいと思うだろうか。
しかし、私は知っている。
他人の尿を味わったことのある人間がたくさんいることを。
意識的に味わうかどうかは別として、オーラルセックスをしたことのある人は皆、相手の尿道を直接舐めているではないか。

私は、虫歯の多い子どもだった。
ある時、虫歯によって穴の空いていた奥歯に、舌で舐めるとつるっとした触感のものがはまり込んでいるのに気がついた。
それは何かの野菜のかけらだったと思うが、6歳の私は、私が食べた雑草についていた何かしらの昆虫の卵が育っているものと推理した。
口の中である日孵化する虫のことを想像すると恐ろしかった。
そうして私の異食の研究は終わったのである。

世の中には食べて良いものとダメなものがある
これは食べて良いものの代表 おはぎ

再会

児童相談所の2度目の一時保護中に出会った、尾崎豊が好きな高校生を覚えているだろうか。

彼が私の寮に入ってきたのだった。
私は彼を覚えていたが、特に交流の無かった私のことを彼、「W」は忘れたようだった。

私はその頃、まだ上級生のことを呼び捨てにしていた。
私は、空気の読めない変なやつだとは思われていたはずだが、上級生の呼び捨てがASD的傾向由来であるとは誰も思わなかった。そもそも、当時の「自閉症」という概念は、引っ込み思案とか人見知りという程度の間違った認知をされていた。

ひょうきん者のWくんと、悪戯好きのBくんはすぐに仲良くなった。
そして、変わり者で生意気な私からは距離を取り、ふたりで私をからかったすることがあった。

しかし、彼らは基本的には穏やかだったので、私へのひどいいじめなどに発展することは無かったと思う。
Bくんは不良少年だったが、学園では本当に穏やかな良い人だった。
Wくんは少し裏表のありそうな、時としてイヤミを言ったりするような人だったが、不良少年というわけではなく、家庭の事情で入所したようだった。
学園は基本的には中学を卒業すると退園するが、中にはその後も保護の継続が必要だと認められて、学園に戻ってきたり、卒業してからも学園で暮らす人もいた。
一度出て戻ってくることを「出戻り」と言い、それは不名誉なことと言うのが学園での常識だった。
Wくんのように、高校生から入園するのはイレギュラーだったのではないだろうか。

話は逸れるが、私は高校生の一時期、学園でお世話になったことがある。高校でも学校を休みがちになった時、寮長先生の紹介で他市の牧場に住み込みで働いたり、その後別の施設に入ったりと、あちこちに出たり入ったりしたこともあり、記憶が曖昧になっているが、先程思い出した。
学園の給食を作ってくれるおばちゃんたちが私に弁当を持たせてくれたことがあった。
私も出戻りだったのだ。
お世話になりっ放しだったのである。

それで、BくんとWくんが私に対してやった行為で、あとから考えるとひどいなぁと思うことがあった。

ある夜、Wくんのあとで入浴した。
湯船に入ろうとした私の足の裏に、異様な感触があった。
全身の毛が逆立つような感覚と怒りの感情に襲われた私は、浴室のドアを開けて「W〜ッ!」と悲鳴に近い怒鳴り声を上げた。

浴槽の底には彼の精液が沈んでいたのである。

不穏な政治

精液沈澱事件は、Wくんひとりの犯行だったのか、Bくんと示し合わせて及んだのかはわからない。
内容的にはかなり悪質ないやがらせだったが、彼の歪んだ性癖だったかも知れない。
人はあまりにも大きな精神的な負荷を感じると、現実感が薄れてストレスが和らぐのかも知れない。
信じ難いことだが、私はその事件を意外に気にしなかったと思う。

今でも、大したことだと思っていない。
なぜなら、そのしばらくあとに、私たちはもっとつらい体験をするのだから。

日々の生活や作業を共にする中で、私は彼らと大きなトラブルも無く共生していた。
その内、先生か誰かに指摘されたのだろうか、私は上級生を呼び捨てにするのをやめた。

そんな折、Aくんが帰って来た。
ひとりぼっちだった寮が、4人になり、とても賑やかになった。
そして、私と面識の無いCくんが戻ってきた。
Cくんは、かなり頭の良い人だった。

その頃から私は、私たちのちいさな世界に、「政治」のようなものが生まれたことを感じた。
人が増えると、そこには暗黙のルールや力関係が生まれるものだ。
そして、その政治が、徐々に恐怖によって統治されて行くのを感じた。

私たちの世界にカーストのようなものが生まれた。

Aくんが恐怖を司っていたが、実質的なトップはCくんだったと思う。
穏やかなBくんは、おそらく不本意ながら自分の安全のために彼らの価値観に従うようになっていた。
そして、最下層にWくんがいた。
彼らはいつも4人で行動していた。
はじめはちいさなからかいや指示だったと思う。
3人の3年生のWくんへの仕打ちは、徐々にいじめや命令のようなものにエスカレートしていくのを、不安と共に感じていた。

私は、意識的に彼らと距離を置くようになった。
あるいは、不登校で入園した私を支配の対象にするのは、彼らの面子を傷つけるものだったかも知れない。
あるいは、年上のWくんの方が嗜虐心をくすぐるタイプだったのかも知れない。

しかし、私はいつか自分を呼び捨てにしたAくんが、私のことを嫌っていたことを知っていた。
私が彼に嫌われているということが、私たちの世界を大きく動かすことを、この時私たちはまだ知らずにいた。

羊角の蛇神像⑮へ続く

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