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羊角の蛇神像 私の中学生日記⑬

私がまじめであるなら、地域の学校へ毎日通っている子どもたちはどんなに優秀だろう。学校へ普通に通い、多少の人間関係の軋轢やつらいことがあっても、当たり前に学校へ行ける子どもたちがどんなに偉く尊いか。
私のような落伍者がまじめであろうはずがなかった。

煙草と黒い犬

しかし、学園の子どもたちの多くが、手のつけられない不良だったということを、徐々に私は理解した。

煙草を吸う。
シンナーを吸う。
カツアゲをする。
暴力を振るう。
器物を破壊する。
バイクを盗む(ハサミを使うらしい)。
盗んだバイクで暴走する。
そして、セックスをする。

悪事のオンパレードではないか。
特に、最後の悪事は許されないことだ。

しかし、自慢ではないが、私は彼らよりもずっと早く煙草を吸っているはずだ。
私が煙草を吸ったのは、小学校に上がるより前のことだった。

当時、私は長崎に住んでいた。
父が単身赴任で、母とふたりで住んでいた。あの、首を絞められた町だ。
近所に、同い年くらいの女の子と年下の男の子の姉弟がいて、私は彼らとよく遊んでいた。
彼らの家に招き入れられた時、その家の大人たちは出払っていた。
弟くんが、慣れた手つきで父親の煙草に火をつけて、私にも勧めてくれたのだった。
結果的にこの経験に感謝している。
盛大にむせた私は、その後ずっと煙草を吸うことに全く関心が持てなくなったからだ。

彼ら姉弟との思い出をもうひとつ話そう。

当時の世の中には、今よりもずっと迷い犬やそれらが野犬化したようなのをよく見かけた。
ある時彼らのアパートの前で遊んでいると、ドーベルマンのような黒っぽい犬が、タッタッタッとコンクリート道に爪を軽やかに鳴らしながら現れた。
犬に気づいた私たちは凍りついたが、一瞬我に帰った私は彼らの背に触れながらこう言った。

入って!早く家の中に入って!

そうして彼らをドアの中に押し込んで、私はドアをバタンと閉めた。
ドアの外側から。

「北斗の拳」より

トキのこのシーンを観るよりも何年か前のことだった。

自らとった行動ではあるが、外にひとりで取り残された形の私は、肩越しに見える犬に怯えながら「開けて!ぼくも入れて!」と声の限り叫び、ドアを叩いた。
たぶん、かっこつけたかったのだろう。
結果的にはすごくかっこ悪かったが。
姉弟のみならず、その犬でさえ首を傾げたことだろう。

カレンダーを描く

保護観察で送致されていないニュータイプの学童たる私は、他の子たちよりは勉強ができた。
あと、絵が得意だったので先生や他の子どもたちに感心されることが多かった。

入ってすぐの頃、学園の美術担当の先生と一緒に、アニメを作ろうという話が持ち上がった。
私はおしゃれな感性を持っていたので、レオ・レオニの「スイミー」をアニメ化したいと考えていたが、先生とふたりでアニメを作るのは現実的ではないとあきらめて、来年のカレンダーを作ることになった。

題材は、先生の3人の娘さんをモデルにしたどんぐり帽子の少女たちが、無人島で不思議な体験をするお話だった。
先生が描いた無人島の地図をモチーフに、ふたりで分担してカレンダーのひと月の絵を描くことになり、私は本館だけではなく、寮の余暇時間にも進んで絵を描いた。

先生は私の絵をほめて、「君にはかなわない」「完全に負けた」としきりに言ってくれた。

結局そのカレンダーは完成しなかった。
私のアレンジがかなり緻密で、例えばドラゴンと出会うシーンを描く際に、機械で作られた偽ドラゴンにして、メカ部分を異常な細かさで描くなどした。
あまりにも時間がかかったせいで、カレンダーの絵が全く揃わないうちに年が変わったと思う。

その先生はその後、別の施設に移ったが、卒業後に一度会いに行ったことがあった。
しかし、その次に会いに行くために連絡をとった所、「私はあなたのことを知らない。人違いだろう」というようなことを言われてしまい、その後連絡をするのをやめた。

本当に話が通じなかったのか、認知症になったのか、あるいは私のことを嫌ったかのいずれかだったが、先生が愛娘たちをモデルに描いたかわいい世界を、勝手にいろいろアレンジされて不快だったのかも知れない。

悲しいことだが、好きな相手からそんな風に距離を取られることが、人生にはある。
思いがけず人を傷つけたりすることもあるのだ。

従姉が飼っていた犬たち
右のシーズーは私のことを死ぬほど嫌っていた

変態行為の夜

「トンコ」とか、「むがい」という言葉を耳にした時、それがどういう表記でどんな意味を持つ言葉か、見当がつかなかった。

私ひとりだけの寮には、他に何人かの先輩たちがいて、彼らは「トンコ」中か、鑑別所にいると言うことを周りの子たちに聞いた。

無外とは無断外出の略であり、トンコはその隠語であった。

私のように希望して入所した子どもと違い、学園の暮らしをネガティヴに捉える子どもたちがいた。
自由が制限され、運動や作業や規則正しい生活を強いられるつらい生活だと感じる子どもがいるのだった。
そういった子どもたちが無断で外へ飛び出し、警察や先生たちの捜索の手を逃れながら、煙草やシンナーを吸ったり、バイクを盗んで暴走したりするなどの悪事や非行をすることがあった。
学園は、私がそれまで触れたことの無い、ヤンキー的価値観が蔓延る修羅の園だった。

話は前後するが、その後私は無断外出や鑑別所から戻ってきた先輩たちと生活を共にした。

ある夜、先輩と同室で寝ている時のことだった。
暗闇と静寂の中で、聴いたことの無い異様な音で私は目覚めた。
うっすらと見える先輩の口元に目を凝らすと、彼はビニール袋を口に当てて、中の空気を吸ったり吐いたりを繰り返しているようだった。
風船を膨らます時の、バリバリという音に似ていた。

私は寝ぼけながら少しの戦慄を覚えて彼にたずねた。
「何してるの?」
私はこの時なぜか、彼がビニール袋の中に放尿し、その臭気を吸ったり吐いたりする変態行為に耽っていると思ったので、「お前もやるか?」と言われた時に、「いらんわ!汚いなっ!」と荒い口調でなじり、布団に潜り込んだ。
信じられない悪夢の所業がすぐ隣で行われている。
私はその状況から意識を断つように強く目をつぶった。

後日不意に、その夜の彼の行為に私は納得した。
シンナーを吸っていたのだ。

変態行為の誤解のもとに「汚い」となじったことを申し訳なく思うと同時に、私のすぐ側に非現実的な状況があったことを知り、ひとり戦慄いた。

運命の歯車

ひとりの寮生活が1週間ほど経った頃、ひとりの先輩が無外から帰ってくることを知った私は、これこら始まる集団生活に期待していた。

夜のことだった気がする。
入浴を済ませた私はAくんと挨拶をした。
ドスの効いた話し方をする強面の人で、地元では相当悪いと噂で聞いていた。

私は当初彼を、ひとつ年上の、外で会ったら目を伏せるであろういかつい彼のことを、あろうことか呼び捨てにしていた。

その夏、一時保護所にいた時、私たちは学年に関係なくお互いを呼び捨てにしていた。
年下に呼び捨てにされても気にしなかった。
児童福祉の世界独自の暗黙の了解くらいに感じていた。

その流れでAくんを呼び捨てにした私には全く悪意や挑発の意思など無かったが、Aくんの顔が途端に険しくなり、そばにいた寮長先生は咎める口調で私の名を呼んだ。

ASD的だったのだ。私は。
ある程度の社会性が備わった子どもであれば、上級生を呼び捨てにする環境とそうでない環境を慎重に見極めることができるだろう。小学生でもそれができるだろう。
しかし、14歳の私には、その判断能力が備わっていなかったのだ。

そして、そのASD的傾向がもたらした私の失敗を、私の独特な認知特性として見極める者は誰ひとりいなかったと思う。
先生も、Aくんも、私自身でさえも。

上下関係を重んじ、弱肉強食の世界を生きているAくんは、不良ではない私の呼び捨てに戸惑ったことだろう。
この、私の認知特性による悲しい失敗が、私とAくんや寮長先生や、これから出会う幾人かの運命の歯車を大きく狂わすことになることを、この時の私は知るよしも無かった。

濡れた刃物のように冷たい目と声で私に迫るAくん。
狼狽する先生と。
その状況が理解できず、私は混乱するばかりであった。

羊角の蛇神像⑭へ続く

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