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頑張って取った結果には、やはり後悔よりも笑いが出てくるみたい。

頑張って結果を出すこと。
例えばテストで100点を取るために何日も前から練習したり、部活動で試合に勝つために何ヶ月もコツコツ練習したり、プロジェクトを進めるにあたってチームで仕事をしたり。頑張って結果を出すことに、達成感を感じる場面は多くの人が共感してくれるのではないだろうか。

そんな中で、
0点。
ものすごく不名誉な響き。
こんな点数取りたいなんて人はいないと思いますが、これを読んでいる人の中で取ったことがある人はいるでしょうか。

私は、あります。
この記事を書くくらいですから。
もちろん、そんな大っぴらにじゃないですが。

そもそも昔から私はどちらかと言うと勉強ができる方だったんです。
小4から塾でコツコツ勉強していたので、学校のテストでも好成績をマークしている人でした。
そんな子どもだったので、いきなり模試を受けても大コケはしたことなかったんです。

ところで、

今回の話題にしているのは、小5か6の頃に受けた、名前は確か、国語力検定という試験でのことです。

いつもそれなりに取れる模試の結果に、ドキドキしながら開ける封筒。
『ほうほう、総合得点はまずまず。』
『漢字は完璧。』
視線を左から右へ動かしていく。
そこで、五角形の形に違和感を感じる。

角の一つがすごい、凹んでる…

『あれ、もしかして何かやってしまった?』

詳しく見ていくと、国語力のいくつかの能力のうち、表現力の能力で0点を取ってしまっていました。

流石の"0"の数字に言葉も出ず、驚きでつい母親に見せてしまいました。

ドラえもんののび太くんじゃあるまいし。国語には苦手意識はあったものの、まさかのまさか。頑張って問題解いて、文章も書いたのに。文章もしっかり書いたのに…!

文章書いて表現力0点て、何を書いて0点をとってしまったのか。
今では見当もつきませんが、形容詞を使わずに文章書いたのでしょうか。それとも、気持ちを書かなかったのでしょうか。情景を表現したけど、全然伝わらなかった。とかでしょうか。

なかなか表現力0点の理由が、自分では見つけられないまま。

でも、結果を見て驚いたあとに、もう一つ、感情が湧き出ていました。

『ああ、自分には表現力が欠けているのだ』と。

驚きと諦めが合わさって、感動にも似た笑いがこみ上げてきました。

ちなみに、私の家では100点よりも頑張って取った0点の方が価値があるとされていて、0点取ったらお小遣いをもらえるシステムだったんです。
もちろん0点は取ったことなかったので、自分でももらえるとは思っていなかったのですが、
しっかりもらいました。一部だけだったので、500円。

そこからは、国語の苦手意識からくる肩の荷がスッと降りて、まあ、書けないなりに書いてみようかと思えるようになりました。どうせ0点だしと、ネタにできるようになってしまいました。

0点をとった後には、学校の先生にも作文の練習をしたほうがいいと言われ、小6の夏休みの最初の2週間くらいは、母の作文講座、1日1作文をやりました。母に聞くに、話が飛び飛びで意味がわからない文章を書いていたそうです。

そんな中で一番うまく書けた作文が、一つあったそうです。テーマは言いません。(恥ずかしいので。)でも、2週間の中で一番情景が表現されていて、気持ちがしっかりと書かれていたらしい。きっと、思いがこもっていたんでしょう。

晴れて、その作文で母の作文講座を卒業しました。

そして中学生になっても入試で作文の練習をして、高校生でも小論文の練習をして。

大学生になってからは、「デザインって面白い!広告って面白い!」と趣味と将来の夢が大きく広がっていきました。広告について調べたり、サークルで作ったりしている中で、再び出会ってしまった、

言葉で伝えること。

言葉で感動を作ること。

言葉で心を動かすこと。

小さい頃から苦手で、一番遠いところに置いてきた、言葉にして、文を作って、伝えること。短い人生の間だけでもずっと悩まされ続けている、言葉。

大学でも、また何の縁か、言葉と対峙できる機会があるのは、

私らしいのかもしれない。

言葉に悩んで、言葉と葛藤して、言葉で伝えていきたい。

最近はそう思えるようになったのも、大きな成長なのかもしれない。

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