【小説】初オフ中の人の顔を見ないオフだったの話

埼玉県某所、恥ずかしながら同じ県に住んでいるのに僕はこの駅の印象がさほどない。
隣町から乗り継ぎすること20分。高校生の時に部活の遠征の乗り換えとかには使ったことがある駅に20歳になって初めて降り立った。駅前はうちの地元よりも栄えているし、ここってゲーセンもある駅だったんだなぁ。何はともあれ今日は初めての着ぐるみオフ。

着ぐるみに関しては高校の時にはSNSとかで画像や動画を漁ったりはしていたし、これから会う人はそんなSNSでずっと追っていた人。何度かDMで話をすることがあって、ひょんなことからビジホでオフをすることになった。てかなんで家じゃないんだろう。いや家でもどうすりゃいいのか分かんないのはかわらんけど。ビジホでのオフ自体はそう珍しくないって聞いたこともある。

まぁまろさん(これから会う人のHNね)が言うには
「ちょっとまだ顔を見られるのが恥ずかしくて…」
との事でなんかそういう感じの流れにしたいらしい。
えっとつまり、そういうことだよね?
ドア開けたら居るって事だよね?
いやネットとかではそういう遊び方もあるって言うのは聞いてたけど…。
ぶっちゃけ今心臓と胃と肝臓が飛び出しそうなくらい緊張してる。

オフをするホテルはほんとに駅の目の前、改札を出て階段をおりたから取り敢えずDM入れとこうかな。
駅降りてすぐやれば良かったけど、緊張してすっかり忘れてた。
「今駅に着きました」
するとパッと既読がついた。
「お疲れ様です!部屋は407号室なのでエレベーターに乗ってそのまま部屋に来てください!」
この文面を送ってるタイミングではもうなんかその、そういうことなんだよね、着てるってことなんだよね?きっともう着てないと間に合わないもんね。経験ないからその辺はぶっちゃわかんない。

エレベーターが分かりにくいところにあってちょっと迷った。ビジホってそもそもひとりで来たことがない。1階にフロントがないホテルってあるんだね。とりあえず4階を押す。
いつもは気にならないエレベーターのうごく音が妙に頭に響く。
あ、なんか膵臓と腎臓も飛び出しそうな気がしてきた。
4階で降りる、ちょっと廊下が薄暗いのがまたドキドキを加速させる。
407号室の前に立って思いっきり深呼吸をした。あ、インターホンとかってないんだ。
あ、じゃあドアをノックしなきゃいけないのか。
あ、その前にDMしとこう。えっと。
「部屋の前に着きましたー」
するとまたすぐに既読がついた。
「はーい、今開けますね!」
え、ちょちょちょちょ、え、まだ心の準備が。

ガチャ

部屋の中から甘い香りがふわりと漂って廊下に拡がる。
ドア越しに鬼推しの石蕗香苗ちゃんがめちゃめちゃ可愛く手を振っていた。
うん、本物だ。今僕どんな顔してるんだろう。多分なんかぎこちない笑顔?みたいな顔だと思う。
「あっ、えと、あ、こ、こんにちは」
なんか声が出しづらい。
頭がぼーっとする。
てか何していいのか分かんない。
少し不自然な間が流れる。
すると香苗ちゃんが、ちょいちょいと手を招いて、部屋の中へと僕を誘ってくれた。
「お、お、お邪魔します…」
いや手汗がやーばい。

部屋にはベッドが2つ、香苗ちゃんはふんわりと部屋の奥側のベッドに腰をかけた。
僕もカバンをテーブルに置いて、反対側のベッドにとりあえず座る。
すると、香苗ちゃんベッドを右手とんとんと叩く。
「あ、えっと、あの…」
香苗ちゃんは口に手を当ててふふっと笑う仕草をしながら、もう一度ベッドを右手でさっきよりも少しだけ強く、とんとんと叩く。
さすがに緊張で頭に血が届いてない僕にもわかる。
香苗ちゃんの反対側のベッドから、香苗ちゃんと同じ側、香苗ちゃんの隣に僕は腰をかける。
この距離に来ると分かる。この部屋の香りって香苗ちゃんの匂いだったんだ…。そう思うとその…あんま言いたくないから内緒にしとく。

すると香苗ちゃんはおもむろにお絵描きボードを取り出し、さらさらと書くとグイッと僕に見せてきた。
「今日はいきなり誘っちゃってほんとにごめんなさい、でも来てくれてありがとう!はじめまして!香苗です!よろしくね!」
可愛すぎて鼻血が出そうだった。何なら垂れてたかも。
「あ、は、はじめまして…サワって言います。よろしくお願いします」
SNSを始めるときにHNが思いつかなくて本名のもじりでつけちゃった名前。
学生時代には友達にもこう呼ばれてたし馴染みのあるはずの名前なんだけど。
それを香苗ちゃん、もとい着ぐるみさん相手に言うとこんなにも恥ずかしいんだなって思った。

するとまた香苗ちゃんはさらさらと書いて、こっちにボードを見せる。
「そういえば年齢聞きそびれてた!サワくんっていくつなの?」
さっきからさらさらと書く仕草とこちらにボードを見せてくれるときの仕草ほんとにかわいい。
事前のDMでまろさんに「オレ男だよ!」って言われてたけど、正直まだ半信半疑。
「あ、僕はいま20歳、です」
香苗ちゃんは指をピッと伸ばして「あっ、そうなんだね!」みたいな反応をして、またさらさらとボードに書いてる。そうだよね、今更だけどそりゃあ喋らないよね。そしてボードをくるりと翻すと
「じゃあ私と同い年だね!」
だってさ、かわいい。
少しだけ香苗ちゃんの説明をすると、この子は大学を舞台にしたラブコメもののヒロインの一人。
自分も大学2年生なので同い年ということになるのだ。

「えっと、サワくんはこういうオフって初めてなんだよね?」
「あ、そ、うです。はじめてです」
「実際に目の前にしてみてどう?どう?」
グイッと見せたボードをサッとしまって、香苗ちゃんは腰に両手を当ててどややーってやってる。
「ふへ、あ、えと、す、すごいかわいいです」
それを聞くと香苗ちゃんはいよっしゃー!っていう感じでガッツポーズをして、そして両手の手のひらをこちらに向けてピタッと止まる。
ん?
…ん?
それで手のひらを前後にひょいひょい動かしてる。
あ!そっかそっか!
僕も両手の平を前に向けて、ぱちんとハイタッチをした。
なんか不思議な手触りがした。人生ではじめて肌タイ触っちゃった。
「そんなに長い時間ホテルの時間が取れなかったんだけど、ゆっくりしていってね!」
「は、はい、わかりました」
「ま、言っても特にすることもないんだけどねーなんかアニメでも見る?」

そう言うと香苗ちゃんは、リモコンを手に取り、すいすいと画面を動かす。
そして配信サービスから、香苗ちゃんの出ているアニメを流し始めた。
僕も当然1期も2期も原作の小説も履修済みでマジで何回リピートしたかわからない。受験のときは勉強のBGM替わりにテレビで流しては見入って勉強ができないのループを繰り返してたのも今ではいい思い出だ。
そして、僕の推しは当然香苗ちゃんだ。
香苗ちゃんと見るアニメの香苗ちゃん。頭の中で唱えてもまるで意味がわからないけどほんとにそうなんだから困る。

でも何度見てもこのアニメは本当に面白い。
正直何回も見ててセリフも全部覚えちゃってるけど、それでも面白い。
もはや何度見たかわからない一話。それでも僕はついつい見入ってしまった。
ついつい見入っちゃって1話のBパートに入った頃にふと気づく。勘違いじゃない。
…香苗ちゃん、僕によっかかってる。
なんかちょっと重いなって、なんか柔らかいなって、なんかあったかいなって思った。
急に1話の内容が頭に入らなくなった。
そして、1話のBパートの最後の方にアニメの香苗ちゃんは満を持して登場する。
始めてみたときのあの香苗ちゃん登場シーンの衝撃は忘れられない。高校のときに何度も鬼リピしたちょっとエッチな初登場シーン!
そう、ちょっとエッチな初登場シーン…。
ふと、腕にむにっと柔らかい感触。

香苗ちゃん、僕の腕をギュッとしてる。
心臓ばっくばく。
肋がバーっと開いてハトドケイみたいにそこから出てきそう。
そしてなんか香苗ちゃんは脚をすり合わせて少しモジモジしてる。
ちょっと気になったので聞いてみた。
「もしかして…はずかしい?」
香苗ちゃんは少しびくっ!と反応して、「う、うんっ」って感じで頷いた。
もう我慢できなかった。
絡まってた腕を振りほどいて思いっきりハグしてしまった。香苗ちゃんの優しい香りが鼻腔をくすぐる。
腕を背中に回した時に少しだけ「んっ…!」みたいな声が聞こえた気がした。ほんとにかわいい声だった。
まろさんが男なのってやっぱ嘘だったんだね。
ハッとふと我に返る。
ん?
あれ?
あっ!
やばい!やっちゃった!!!
「ご、ごご、ご、ごめんなさい!」
慌ててハグをやめて、ちょっとだけ距離を取る。
理性がフッと消えて、何も考えられなくなって、気づいたら、ハグしてた。
とんでもない自己嫌悪。
香苗ちゃん初対面なのに…。
マジでやっちゃった…。

すると、脇においてあったボードにさらさらと書いて、そろそろとボードをこちらに見せてくれた。
「こっちこそごめんね!あんまりにもその…」
「ん?その?」
すると香苗ちゃんはボードの文字を消して、隣に置いて。
思いっきり僕の胸に飛び込んできた。
ドーンと押されて、僕はベッドに倒れ込み、香苗ちゃんは僕の上に覆いかぶさる。
あったかい、柔らかい。
そして何よりも、息遣いを感じる。
ふと香苗ちゃんの頬と僕の頬が触れ合う。
すーっすーっていう静かな呼吸の音と、体温のないはずのその頬は仄かな熱を帯びていた。
このままずっとそうしていたいな…そう思って目を瞑った。

次に目を開けると時計の針はだいーぶ進んでいた!
やっちゃったぁ〜…
いつの間にか布団がかけられていて、すっかり僕は寝ちゃっていたらしい。
気がつくと香苗ちゃんはテーブルに座ってスマホをいじっていた。
あっとこちらに気が付き、淀みない手つきでお絵描きボードにさらさらと書く。さすがになんか見慣れてきた。
「ごめん!あまりにも気持ちよさそうだったから!」
「こっちこそごめんなさい!なんか寝ちゃってて!」
時計を確認するとそろそろ僕は帰らないといけない時間になっていた。
あーあ、もっとゆっくりしていたかったな…
気づかれないくらいの小さなため息を付いてるいると、香苗ちゃんはまたボードを見せてくれた。
「今度はうちでゆっくり遊ぼうね!」
「ありがとうございます!」
ようやく少しだけ自然な笑顔で笑えた気がした。

その後、一月もしないうちに、まろさんと対面をすることになる。
まろさんは僕の10個上だった。中性的な見た目で待ち合わせのときに同じ場所にいたのに10分見つからなかったのはいい思い出だ。
その後家まで案内してもらって、香苗ちゃんと再会をする。
初めて会ったときよりもほんの少しだけだったけどきちんと絡むことが出来て良かった。

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「っていうのが僕とまろさんの馴れ初めなんですよねー!」
「馴れ初めて!言い方よ!まぁ間違ってないけどさ!」
ここは都内の居酒屋
僕ことサワとまろさんとワラビさんとふるみくんは4人で酒を酌み交わしていた。
なんのかんのあのホテルでの初オフから5年。
あの時の話は今では飲みの席での鉄板ネタだ。
「ほんっとに初オフがまろさんで、ほんっとによかったですよ!」
「語彙力低下してるなぁ。サワちゃん酔うといつもそれだよねー」
「何度でも語りたいっす!けど語るたびに尾ヒレついてるかもっす!」
「いや、何度も聞いてるから分かるけどほぼそのまんまだよ。けどなんなら少し足らないかも」
最後のところがちょっとだけ聞こえなかった。
周りの客も声でかいしね。ともあれ僕はふるみくんに話を振る。
「そーいえばふるみ君の馴れ初めってどんな感じだったの?」
「えー俺の?俺のはね…」
ふるみくんはチラリとワラビさんを見やる。
「ぶふっ、お前その目やめろや!」
ワラビさんはハイボールを吹き出す。
この二人もまた、なんかその、ただならぬ仲なんだなぁとしみじみと思いながら、僕はぐいっとレモンサワーを煽るのだった。
酒の席でこの甘酸っぱい思い出を肴に飲むレモンサワーが、僕はどんなにお酒よりも好きなのだ。

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