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『大河への道』

千葉県北東部に位置する香取市は『大日本沿海輿地全図』を作った事で知られる伊能忠敬の地.

しかし日本で最初の地図を作ったと思われていた伊能忠敬は本当は地図を完成させていなかった.文政4年(1821年)に完成された『大日本沿海輿地全図』に対し、伊能忠敬は文政元年(1818年)にすでに死んでいた.

しかし、伊能忠敬の死が公表されたのは『大日本沿海輿地全図』が発表された文政4年と同じ.何故、伊能忠敬の死を4年も隠したのか.その真相に迫った映画だった.

驚くのが、伊能忠敬の最初の目的は日本地図を完成させることではなく、地球の大きさを知る事だった事.地球の大きさは古代ギリシャ時代の天文学者エラトステネスが紀元前240年頃に推定した方法で簡単に知る事ができる.

エラトステネスはエジプトのアレクサンドリアの真南にあるシエネで夏至の日の正午だけ深い井戸の水面に日が差すことを見つけた.これは太陽が真上に来ることを証明しており、同じ日の同じ時刻にアレクサンドリアで影の長さを測り太陽の角度を測定する事ができる.

すると2拠点の長さと日の角度によって大体の地球の大きさを推定することができ、実際に現在知られる地球の大きさのわずか10%の誤差で地球の大きさを把握することに成功した.

これを江戸時代の伊能忠敬が行おうとしたが、当時の日本は幕府体制だったため藩による統治が行われていた.

すると藩が統治する領地内に入るためには幕府の通行許可証か、その土地の人間であることを証明しなければならず今ほど自由な移動はする事ができなかった.

そんなときに幕府が日本地図を作りたいという要望があり、伊能忠敬が立ち上がったというのが最初の目的だった.

しかし徐々に伊能忠敬は地球の大きさを理解する以上に日本地図を作る事で多くの人々の生活に利をもたらし、近代日本を作る上で重要な材料になると考え、日本地図作りに没頭するのである.

この映画で中心となっているのは先頭を走った伊能忠敬ではなく、伊能忠敬を支えてきた学者や助手たちである.

伊能忠敬の目指した目標を受け継ぎ、自分の命を懸けてまでも日本地図の完成に注力した熱い思いには感動することができる.

あの『大日本沿海輿地全図』制作の裏側では何があったのか.「そんな話があったのか」と驚きながら地図完成までのストーリーにハラハラしながら見る事ができる.

表に出てくることはない「高橋景保」とは一体なに者なのか.

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