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「ゴジラ-1.0」感想 ~「ゴジラALL/ZERO」ともいえる原点回帰にして総ざらい~(ネタバレ満載)


幼少期からゴジラをずっと見て育ってきた人間、念願かなって「ゴジラ-1.0」と対戦してきました。ネタバレだらけの感想ですので、ご注意ください。

山崎貴、ここまでオールゴジラをぶち込んできたか

監督は邦画のVFXをけん引するエンタメ大作旗手の山崎貴さん。「ALWAYS 三丁目の夕日」「永遠の0」「寄生獣」「STAND BY ME ドラえもん」「アルキメデスの大戦」など、迫力とリアリティーあふれるCGでSF・漫画・歴史ものまで幅広く手掛けるヒットメーカーですが、人間ドラマの中途半端さが足を引っ張ることも多く、常に賛否が付きまとう監督さんでもあります。
よくも悪くも王道ど真ん中、歴代ヒット作の正直すぎるオマージュにあふれた作風の山崎監督がゴジラを作るなら、初代ゴジラの正統なリブートにアツアツのクサい人間ドラマを合わせた、初心者向けのストレートなエンタメ作品になるだろうと思いました。
結果はおおむね予想通りでしたが、初代リブートのみならず、歴代シリーズの多くの要素をこれでもかとばかりに詰め込み、ライト層からコアなオタクまで巧みに取り込んだうえに山崎貴スパイスをまぶしまくったゴッテゴテの幕の内弁当!という印象でした。

要素その1 のっけから殺意むきだしのゴジラ

鑑賞した人たち何人もが口にしているのが「ゴジラめっちゃ怖い!」というもの。それもそのはず、今回のゴジラはとにかく人に対する執着心と殺意が半端じゃないのです。
通常ゴジラが街を破壊するとき、その視線は迎撃する自衛隊の戦闘機や戦車、ないし敵怪獣に向けられています。しかし例外的に、1954年の初代「ゴジラ」や、ガメラシリーズで有名な金子修介監督が怖いゴジラを追求した「ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃」(GMK)ではゴジラが市民を見下ろすような目線で襲う描写が多数見られ、「今でも初代が一番怖い」と言われる所以でもあります。今回の「ゴジラ1.0」では、どんな視点の映像でも作れるCG技術の利点を生かし、住民やカメラ越しの観客を上から横から正面からガン見するような視点で襲いかかるゴジラが何度も登場しますが、個人的に最もやばかったのが最初に登場したシーン。
まずこんな早いタイミングで出てくるのかよ!完全体ではないとはいえ、歴代でも最速クラスの現れ方ではないでしょうか。そしてジュラシックパークそのまんまに人をかじっては吹っ飛ばす残虐っぷり。この時点で「いいか!細かいことはいいからとにかく飛ばすぜ!」という山崎貴のメッセージを受け取りました。
また、本作が戦争を大きなテーマにしているおかげで影が薄れがちですが、この手の「ゴジラにトラウマを食らった若き主人公が再度対峙して乗り越える」というプロットはミレニアムシリーズ、とりわけ手塚昌明監督作の「ゴジラ×メガギラス」「ゴジラ×メカゴジラ」の影響を受けていると思われます。後述する人間ドラマのバランスのとり方として、この起承転結は今でも有効ですね。

要素その2 ゴジラの造形とBGMから感じられる通好みなオマージュ

本作のゴジラのビジュアルは、山崎貴監督自身が手掛けた西武園ゆうえんちの「ゴジラ・ザ・ライド」とほぼ同一のデザインで、元をたどると2014年のギャレス・エドワーズ監督版「ゴジラ」(ギャレゴジ)と似ています。熱線の発射回数の少なさ、背びれが徐々に発光する様子、軍艦の下を泳ぎながら移動するカットなど、その動きも明らかにギャレゴジのインスピレーションを受けたものと言えそうです。
一方で鳴き声は初代、そして作品中でも重要な「口の中を攻撃されると弱い」という性質は平成VSシリーズでも人気の根強い「ゴジラVSビオランテ」やGMKにも通じます。べらんめえ口調でシニカルな艇長(佐々木蔵之介)なんて、オランテに出てくる権藤一佐のおしゃべりバージョンでした。あの名台詞を言って欲しくて仕方なかったですが、さすがにそこまではしなかったか。ちょっと地味ながら堅実な海神作戦もビオランテに近いものを感じました。

そしてBGM、誰もが気になる伊福部昭作のゴジラのテーマが流れるタイミングですが…お見事でした。特に「ゴジラVSデストロイア」のエンディングでも流れた「キングコング対ゴジラ」とのマッシュアップには痺れました。まさか令和の時代に最新リミックスで聴けると思わなかったよ。ドルビーシネマの全方位音響だと心底楽しめるので、IMAXよりドルビーで鑑賞することをおすすめします。

要素その3 山崎貴あるあるキャラクターの活用

本作への評価として目立つのが「ゴジラがいない人間シーンがとにかく退屈」というもの。まあ間違っちゃいない。しかし心を静めてパンフレットなどを見返すと、まさに山崎貴イズムをゴジラの歴史の中に当てはめた巧みな設定とも思えてきます。
山崎貴作品に頻繁に登場するキャラクターの関係性として「疑似家族」「バディ」があります。例を挙げると
・デビュー作「ジュブナイル」の祐介とテトラ
・「リターナー」のヤマモトとミリィ(あるいはシーファン)
・「ALWAYS 三丁目の」の竜之介と淳之介、鈴木家と六ちゃん
などなど。毎度お決まりの説明過多、感情入れすぎな会話が繰り広げられるので批判の的にもなりやすいですが、本作の
・特攻隊員の生き残りであり、かつ戦争で家族、ゴジラで仲間を失った主人公(神木隆之介)
・戦災孤児を一人で育てるヒロイン(浜辺美波)
というキャラ設定は山崎貴らしさを出しつつも、怪獣と人間のドラマを結び付けるうえで非常に上手いのでは?と思いました。監督自身がパンフレットのインタビューで「怪獣と人間の物語が乖離してしまいがち」と語っていましたが、本作では主人公のトラウマ克服というテーマ・作品全体の戦争というテーマを緩やかに地続きにすることで、希望が見えてきたかと思いきや絶望のどん底に突き落とされる展開が出来上がっていたと思います。

赤の他人同士、無理やりなスタートの出会いだけど復興の描写とともに関係性の温かさも垣間見える。そろそろちゃんとした家族になりたい、と思ったところでヒロイン爆死。主人公完全復讐モードで本気出す。
こんな展開、現代日本が舞台だったら絶対不可能ですが、戦後すぐという設定のおかげでギリギリ成り立つラインになっています。お互いが嫌味を言ったりしながらもなんとか助け合って生きていくしかない時代だからこその、ファンタジックなリアリティーがありました(意地悪ばあさんキャラの安藤サクラも絶妙でした)。これまで監督自身が得意としてきた舞台設定に上手く持って行ったなあと。これで無駄に大げさな会話やモノローグ、さらには突然のPTSDからの押し倒し未遂がなければすごく上質だった。でもそうならないあたりがどこまでも山崎貴なんだよなあ…
そして、「シン・仮面ライダー」の本郷猛に続き、めちゃくちゃなイベントに巻き込まれて自信喪失する残念イケメンのケア役を一手に引き受け続けたあげく途中退場の浜辺美波さんには、何かしらの栄誉賞を贈りたいと思います。どんだけ男運ないんだ。

要素その4 シン・ゴジラとの徹底した対比

2016年に公開された庵野秀明監督の「シン・ゴジラ」は、従来のゴジラ映画とは全く異なるアプローチで大ヒットした名作であり、同時に新作ゴジラに対する大きな壁ともなる存在でした。特に国産ゴジラで作ろうものなら間違いなく比較されてしまいます。
山崎監督自身、シン・ゴジラの公開時に「次に作る人のハードルはすごく上がる」と発言したあげく自分にブーメランが返ってきた可哀想な立場ですがw、とにかくシン・ゴジラと異なる方向性で作品作りをしてきたことがうかがえます。
・個々人のドラマを最小限にして「組織」としての人物造形に徹したシン・ゴジラ VS 主人公周りの個人関係にフォーカスしたゴジラ-1.0
・政府、官僚、自衛隊の活躍を描いたシン・ゴジラ VS 政府を一切放棄して民間の自警団的な組織だけに希望を託したゴジラ-1.0
・全く感情の読めないバケモノ的な表情と手足の動きが少ないシン・ゴジラ VS 生物的な動きに満ちて怒りや苦しみなどの感情も豊かなゴジラ-1.0
総じて、思いっきりディープな年長者・オタク好みの演出で攻め続けた結果一般層にも支持が広がったシン・ゴジラに対して、まずは子どもを含め幅広い層を楽しませ、賛否両論前提でゴジラマニアにも挑戦するゴジラ-1.0という印象を受けます。果たしてヒットの規模としてどちらが上回るのか?リピーターが通い続けるのは前者でしょうが、初動の勢いは後者の方が強いので、今後の動向が気になります。

まとめ すごく良い意味で「普通のエンタメ」に戻ってくれたゴジラ

2004年に国内でゴジラ映画の制作がストップし、シン・ゴジラという異端なヒットを挟みながらも、主にハリウッドにメインの座を譲ってきたゴジラですが、ここへ来て王道真ん中を行くエンタメとして国内でもリブートに成功できたと思います。
ストーリーでの突っ込み所は多々あれど、シン・ゴジラで強烈に伸びたマニアックなベクトルを良い意味で大味なものに戻してくれて、90年代のVSシリーズのように皆で楽しみつつ、もっとこうしたほうがいいだろ!という議論も巻き起こる作品になりました。ゴジラの多彩な側面(ALL)を残しながら原点(ZERO)の作風を堅持してくれたバランス感覚に素直な賛辞を送りたいです。
一番印象的だったのが、終了直後に小学生の男子たちが「あんなの絶対死ぬじゃん」とぼやいていたこと。いいぞ少年たち。君たちが次のゴジラを作るんだ!

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