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#21 「症例報告:再発子宮頚癌TC療法施行中の腫瘤増大に対するCCRT介入後PD-L1阻害薬著効例(仮)」とゴレンジャー

昨年、6月末の広汎子宮全摘術は、産婦人科主任教授と腫瘍専門医のナガシマ先生(いまの主治医。事情あり、コチラのお名前だけ明かさせて欲しい)と同じくスペシャリストの専門医のS先生という、教授曰くの、ベストチームで当たってくださった。
子宮と卵巣、卵管をとり、リンパ郭清を行う、産婦人科の中では一番大きな手術のうちのひとつ。ワタシの子宮は重度の内膜症もあって、予定時間を大幅に超過しつつ(8.5時間!)無事成功。
事後、教授からは、
「根治と言って良いでしょう。病理でも、46のリンパ節含め全て、他に癌はありません。」と言っていただいた。
戦いは終わったのだーと、ワタシは完全に武装解除していた。職場復帰が、何よりも嬉しかった。

そんな中での再発。
後々の会話で教えてくださったのだけど、
ワタシと同じように、若く(筆者注、ココでの一般論なので、アラフォーは立派な中年だというご批判はお受けできません)自ら根治と確信した症例で、半年経たずの再発は、数百例診て来た中でも、初めてのことだ、とのこと。
自分も責任者として診るが、ここらからは、ナガシマ班で完治を目指してもらう、と仰った。

ナガシマ班!
入院3日目にして、そのベールが明かされた。

産婦人科の回診でーす、今日は全員で来てみました〜、
明るいお声がした。

今回の入院担当医は、D先生という、コレまた素敵な女医さん。そこだけ春風が吹いているような、病院ドラマから出て来たような先生だ。先の、お声の主だ。
いつも、オペ着のまま病室を訪問してくださるO先生は、由美かおる(しかも初登場時の妖精のような雰囲気の頃)だ。カッコ良すぎる。大好きだ。
ナガシマ班というからには、主治医は、ナガシマ先生で、全幅の信頼をおける、理知的なのに、患者の気持ちにも敏感に寄り添える、優しい先生。

先に、病室に入ってこられたのは、先頭に、春風姫と由美かおる。
それから、眼光鋭く、求道者のような雰囲気のN先生(絶対、黒田官兵衛だ!)その後ろには、ごめんなさい、まだお名前のわからない先生。

おお、コレが!これが、長島藩なのか!

姫お二人(但し、このお二人の姫は、深窓の姫君などではなく、何年か前の大河ドラマで、柴咲コウさんが演じていた、自ら闘う姫だ)に、
殿は、、、
アレ?ナガシマ殿は??

当主のナガシマ先生の存在感が、柔らかすぎて、一瞬、ご一緒におられることに気が付かなかった。が、姫の後ろでいつも通り穏やかな笑顔を浮かべていらっしゃった。

頼もしや、長島藩。
ワタシは、ハナから全てをお預けしております。
コレからの治療プランをお聞きし、コチラの様子を確認されて、回診終了。
ワタシは、頼もしき長島藩ゴレンジャーのカッコいい後ろ姿に、どうぞよろしくお願いいたします、とペコリと頭を下げた。


そこで、ふと気づいたのだが、
このように、経験豊富な先生方にとってしてもの、稀少な再発難渋例は、一例報告ながらそれなりの意味もあろう。
冒険小説だって、とんでもないピンチの連続がないと、お話にならない。「経験とは、良質な失敗のことである」とは、誰の言葉だったか。
成功から学べることは、実のところ、全然多くない。
むしろ、成功体験を重なることは、未来への視野狭窄の原因となるため、定期的にゴミ箱へ、というのは、ご存知の通り、企業経営者の言葉からもよく聞かれることだ。

そんなわけで、一例報告の論文の仮タイトルとして、ざっとこんな感じ?とつけたのが冒頭のソレ。
論文なんてどうでもよいのだが、ワタシの難渋例が、先生の新しい経験になって、医学の進歩に貢献できるとしたら、素直に嬉しい。

長島藩ゴレンジャーの先生方の回診が終わった。
いい雰囲気。
異質なもの同士が、7:3以上の割合でミックスされると、違いが互いに力が発揮され、組織が活性化し始めると読んだことがある。組織あるところ、経営学のメガネは有用だ。いろんな再発見の喜びを与えてくれる。


榊原先生に、
四度目の転職後、ワタシのキャリアの第二章を賭けた、最後の転職との覚悟にあたり、仕事と博士論文の執筆という巨大事業の完遂は、まさに、サグラダファミリアで、
意志薄弱、自己規律乏しい自分には無理だ、と伝えた時のこと。

まず一言目に、
「研究は止めるな。」と言われた。
そして、こう、続けられたのだった。

「自然科学と社会科学の境界が、いよいよ無くなり、自然言語(私たちが普段話している言葉)で叙述できる論文で勝負できる学問領域は、社会科学分野においても消滅しかかっている。
しかし、経営学は、まだ、その可能性が残されている、数少ない領域だ。
勉強は、やめてはいけない。
続けなさい。今が正念場だ。

と、言葉をかけてくださった。多分、渾身の、お力で。

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生きている限り、一生勉強よ。
母の姉、ワタシの伯母から言われた言葉だ。
その時、ワタシはまだ小学生だった。

駆け落ち同然で脱藩し、奔放な人生を選んだ母とは対照的に、伯母は、実母(ワタシの祖母)がその全てを賭けた日舞のお稽古場と沢山のお弟子さんを引き継ぎ、名取となって、期待に応えて生きた女性だ。所作も控えめな心映えもいつも美しくて、素敵だった。
お茶碗の持ち方や、箸捌きも、伯母から教わった。

ワタシの、いま、経験しているコト。
そこで、愛する人たちから貰う、優しい、心からの、言葉、慈しみ、思いやり、愛。
どんなにか、忙しく、大変な日常を過ごしておられるだろうに、心を寄せてくださる、人たち。

入院してから、痛くて泣くことはないけれど、こういう想いに触れると、涙が、あとからあとから溢れてきて、止まらない。

ワタシが、いま、何とか知りたいと思っているのは、この、人間の内面の平和から、世界の平和へと結ぶ、細い細い回廊のありかと、その進み方だ。

一度目、二度目の読書では、まだまだ、深められなかった。まだまだ、学び足りない、時間が足りない。


さあ、今日はコレからプランB発動だ。
治療計画書には、完治を目指す、と力強く、明記してある。
放射線治療で、異常なスピードで暴走するがん細胞に、核弾頭をお見舞いすると同時に、ワタシとほぼ同い年、無敵のシスプラチンを投与。
痛くても辛くても、長島藩ゴレンジャーもいてくださる。

思い出してくださる、大切な人たち。
怖いものは、何一つとして、ない。


写真は、伯母が大好きだった、呼子のイカ!!!
中洲の川太郎にて。


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