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男の子は男らしくあるべきか

父と、私と、兄弟と、昼食を食べたのち、

私は自然に皿を洗い、残ったおかずを片付けた。父と兄弟は何もせず、ただヒルナンデスを見ていた。


ふと疑問に思った。あれ、なんで私が洗い物をしているんだろう。

母は父にあなたが洗うと油が残っているから洗わないでほしいと伝えている。なので父が洗わないのはわかる。


問題は兄弟である。私は兄弟の年齢を明かしていないのだが私と歳が近い。男性である。

彼は当たり前のように私が洗っているところにぽいっと自分の食べていた食器を置き無言でさっていく。これが毎回なのだ。

私は父や母に女の子だから〇〇しなさい、と言われたことはない。もちろん他の兄弟も、と言いたかったがふと思い出した。


古い記憶ではあるが、母が兄弟に男の子なんだから泣くんじゃないと言っていたことを思い出した。


私はこの本を読んだ。

私は実は教育学に興味を持っていて、女の子でストレートと分類される私は男の子の問題は本や友人から得る必要がある。

女性の権利について議論されることはあるけれど男性に対するそういった議論はあまり見かけなかったので、ニュース記事を読んでいたときに見つけたこの本を手に取ろうと思った。そもそもこの本を読み始めるまでマスキュリニティというワードを聞いたことがなかった。

この本には大きく分けて二つのことが書かれている。一つは、「男らしさ」や「女らしさ」と定義されるものたちは生物学的なものや生まれながらのものとして存在しているのではなく、社会的、文化的に自然に、無意識のうちに作られた概念であるということ。

もう一つは、その「男らしさ」問題のせいで男女双方に苦しんでいる人たちがたくさんいるということ。男性性を意味するマスキュリニティは、男なんだからこうあるべきだという私たちの中で無自覚で育てられた感覚を指し、いわゆるステレオタイプな考え方である。
その問題のある「男らしさ」という概念をこの本では「マン・ボックス」と呼び、「マン・ボックス」は、教育やスポーツ、メディアを通じてどのようにして形成されていくかが描かれている。

「マン・ボックス」に因われた少年たちは、男なんだからという言葉に支配され、人に対して支配的・暴力的であることをかっこいいと認識する。同性愛者を侮蔑し、感情を表に出すことを恥と思い、他人の感情を無視して強欲になることに憧れる。また、女性に対して、強気で女性をモノにするようなプレイボーイであることがカッコいいと思うようになる。
これらの“男らしさ”のおかげで多くの女性は傷つき、男性も「生きづらさ」を生み出している。

男なんだから乱暴であるべきとか、弱いところを見せてはいけないとか、そういったどこからか自然に発生してきた固定概念にきっと今の男の子たちも支配されている。女の子に自由を!!権利を!!という活動のおかげで放って置かれてた男の子は全ての問題を生物学に則って男の子なんだからしょうがないと片付けられている。

妊娠後期の妊婦らに胎児の動きを言葉で表現してもらった実験
胎児が女の子だとわかってる妊婦 →は「元気で、でも激しすぎることはない」など、穏やかな表現
男の子だとわかってる妊婦 →は動きを「パンチ」「地震」といった言葉で表現
性別を聞いてない妊婦 は 特定の傾向見られずというようにただ男の子というだけで表現が変わる。私たちが普段どれだけ男の子というのをバイアスをかけて見ているのかが顕著に現れているのでは無いか。

LGBTQや性の多様性が叫ばれているけれど、それらの権利を守るのはもちろんだけれど、まず今ある二つの兼ね合いやぶつかりを消化しないともっと混乱を招く結果となってしまうのでは無いだろうか。

《書誌情報》
『ボーイズ 男の子はなぜ「男らしく」育つのか』
レイチェル・ギーザ 著 冨田直子 訳
四六・並製・376頁
ISBN: 9784866470887
本体2,800円+税
https://diskunion.net/dubooks/ct/detail/DUBK228
好評6刷


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