見出し画像

【雑記】過学習のいいところ

ここ2週間ほど
百人一首を1日一首、ペン字で書き写す
ということをしていました。

狙いとしては、手書き瞑想(なんだそれ?)、朝に5分でもいいから机に向かう習慣作り、あわよくば百人一首を全部覚え直す…というもの。

我が家には1歳4ヶ月の娘がいるのですが
もう数ヶ月したら、毎朝の保育園の登園前に
机に向かう習慣を始められたらなぁとぼんやりおもって考えついたもの。

読書習慣も言葉遣いもそうですが
子どもになにかプラスになる習慣を身につけてほしいなと思うのであれば
本人にやりなさいと言うのではなく
まず自分がやって習慣化してみることが大事かなと思うのです。
それを見て、楽しそうだな、やりたいなと本人が思えば
勝手に真似してやるようになるし
興味がないならやらないままでもまぁ良いかなと。

そんなこんなで始めた百人一首ですが
早速我が家のパソコンが壊れて
百人一首プリントを印刷できなくなったので
今8日坊主くらいで止まってますが
代わりに仕事関連の勉強は捗る今日このごろ。

元々自分の性質として過学習なところがあって
好きな科目の勉強のしすぎ、苦手科目は完全スルー、苦手と得意の凸凹があり過ぎで
子ども時代日本の学校にいた頃は
地味な不便が結構あった。

2〜3個の教科だけ突出して出来るから
「他の科目もやれば伸びる!トップ校行けるよ!」
などと行って学校や塾の先生に苦手な分野の補習させられたり(トップ校興味ないし、苦手科目はやりたくないから苦行でしかなかった)

その結果得意を伸ばしてくれる海外への道がひらけたので良かったけども。

大人になった今では、自分が得意&興味ある仕事選べるようになったので本当に生きやすくなりました。

さて。
私は子育てや教育にも興味があるので
この分野もだいぶ過学習気味なんだけど
ここらへんに関しても専門問わず専門書や論文から、個人の体験談、エッセイなどまで片っ端から読むので
知識が大分貯まってきていて
そこから使えそうなものだけ使って
必要そうなものだけ小出しで伝えたりできるようになってきました。

大体の場合は自分の子どもの年齢、月齢に当てはまる部分のものだけでなく
その後の年齢を対象にしたものまで幅広く読んでいくので
頭の片隅には、1年後、3年後、5年後、10年後…のビジョンがなんとなくぼんやりと存在はしている。
もちろん実際に子どもがどう育っていくかは実際に経験してみないと分からないことがほとんどだけど
たくさんの時間軸、専門の軸、文化や価値観の軸などを包括的に取り入れてみると
自分の中で一番の大前提となる大きな軸のようなものがわかってくるし
何年か前から子どもに働きかけることで数年後に効いてくるようなものもたくさんあって
そういう事を少しずつできる範囲で進めていくこともできる。

なんというか
昔は過学習でバランスが取れなくて、周りと違って辛いとか
インプットに比べてアウトプットが足りなくて辛いとか
色々な悩みはあって、好きではなかったけど
過学習というのも悪いものでは無いのかもなと
最近は思えるようになりました。

ただ、年の功というか経験則として
全力100%でやってしまうと、自分の場合はやり過ぎになってしまうことが多いので
各方面30〜40%の力で
その代わり色んな分野の色んなことを同時並行で
薄く薄くまんべんなくやるように心がけています。
それで、社会の中では良いバランス。

普段の生活にしても
一つの分野の専門(研究職)へ進もうとしてた頃よりも
子育てと仕事と趣味と、あれやこれやと
すべてちょっとずつ(当社比)やってる今の方が
特別な何者かにはなれてないけれど
毎日の充実度、幸せ度は上な気がします。

おわり。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?