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我三十にして立つ

子曰く、「吾(われ)十有五にして学に志(こころざ)す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)う。七十にして心の欲(ほっ)する所に従いて、矩(のり)を踰(こ)えず」

↑これ、読んでたんですよ。この前。急に思い出して。

改めて読み返してみて「本当にその通りだなぁ!」と感心したの。皆さま同じなのかは知らないけれど、私は自分のことのようですごい!と思った。

勉強をおもしろいと思って夢中になって勉強し始めたのはだいたい15歳の時。もともと数学と生物が好きだったので、この2つの教科は夢中になって勉強してました。完全なるスタディ・ハイでしたね。そして、運命の出会いを遂げる英語。第一印象は最悪だったのにひょんな事がきっかけで激しく恋に落ちてしまう……そんなメロドラマ顔負けの惚れ方をしてしまいました。そこからは寝ても覚めても英語にどっぷり(睡眠学習してたので、文字通りの意味で)。おかげさまで今があるんですけれど、あの時のありあまるエネルギーはどこから出てたんだろう?というくらい学に志しまくってました。


それで、もうすぐ30なんですけれど、ちょうど今「立つ」頃だなぁと感じていたんです。経済的にも精神的にも本当の意味で自立して、自分の力で生きていこうと思えるようになってきた頃。もうすこし若い頃に感じてた焦燥感とか、不安とか、誰かによっかかって生きたいという気持ちとかそういうものがすっと溶けて消えていったような感覚です。それは強がりでもなくて、独りよがりでもなくて。あくまで他者と共に生きていくことは変わりないんですけれど、なんというか、サラサラパウダーシートした肌のようにベタつかないスッキリした佇まいです。

このままいくと、40で惑わないようになるらしいので、30代の10年間は自分の存在が揺るがないようにコツコツと努力して着実に結果と自信を積み重ねていくことを目標にしていこうと思います。そして、20代までの間にさまざまなところから集めた沢山の種を自分の耕した土地に蒔いて、育ててゆこうと思います。まだ最初は弱々しい葉っぱなのだろうと思うのですが、多分10年もするうちに立派な木や畑になっていって、だから惑わなくなるのでしょうね。

そうしたら、50になる頃には私のとりとめのない人生の経験が上手いこと1つにまとまって天命となることを願ってます。

そこまで行ったら、最後まで論語に従った生き方にもなるものでしょう。きっとね。


おわり。

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