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戸越銀座商店街を訪れて〜「彼杵」の話

長崎県西彼杵郡。

私の同級生で夫のルームメイトだった彼は、就職して家を建て、長崎県西彼杵郡に住んでいる。 

現役の頃は数年に一度出張で東京に来ていて、
その時には必ず声をかけてくれ 夫と三人で楽しい時間を過ごした。

毎年年賀状を出しているが、
「西彼杵」の読み方がわからない。

年賀状はパソコンでつくるから、読み方がわからなくても郵便番号を入れれば住所はできてしまう。

「なんて読むんだろうね」

いつも夫と話していた。


彼女の苗字。

漢字は簡単で読むことはできるけれど、珍しい苗字だった。

その苗字の人に私ははじめて会った。

「珍しい苗字だけれど、ご主人の苗字?」

ある日彼女に聞いてみた。

「そうなんです、主人の苗字なんですけど、珍しいですよね。私も初めて聞きました」

という。

そして続けて、

「出身は長崎県なんです。多分知らないと思うけど『そのぎ』というんです。
漢字が読めなくて『彼に杵』って書くんです」

頭の中に同級生のことが浮かんだ。

「あの漢字って『そのぎ』って読むんだ!同級生が住んでいて、ずっとなんて読むのかわからなかったの」

確か2回目に車に乗せてもらった時の会話だった。


彼女の訃報が届いたのは2月初め。

あまりにも突然の出来事で言葉がなかった。

彼女は長年視覚障害者のマラソン伴走ボランティアをしていて、グループの事務局を引き受けていた。

面倒見がよく、明るく元気な人だった。

もちろんマラソン経験は豊富。

最近ではトレイルランにはまっているといっていた。

犬が好き。
セカオワが好き。
野球が好き。

ライブのチケットが当たって一緒に行くのを楽しみにしていたけれど、
コロナで中止になってしまった。

地元にあるBCリーグの野球チームの試合を見に行こうと話していた。

私の膝や腰が痛くなり走るのをやめてしまってからも、
時々ランチをしておしゃべりした。

最後に会ったときは、何となく元気がなかった。

「更年期で頭痛がして調子がいま一つ」
と言っていたのを思い出す。

一月末に入院、急変して2月初めに旅立った。

52歳。あまりにも突然で若すぎる。


連休後半、商店街巡りがしたくて戸越銀座商店街に行った。

駅を中心に1キロちょっとの商店街。

最近、大型ショッピングモールに押されて昔ながらのお店が減って寂しく思っていたけれど、

ここに来たら昭和の懐かしい町並みを見ることができた。

食べ物屋さん、雑貨屋さんを眺めながら歩いていたら、

「冷たいお茶の試飲いかがですか?」
と声をかけられた。

声の方を振り返ると、パラソルの下にはじけるような笑顔の女の子。
大学生ぐらいだろうか?

気温はどんどん上がって暑い。

「冷たいお茶」という言葉に惹かれて試飲することにした。

お茶は数種類あって、好きなお茶を飲ませてくれる。

おススメは「和紅茶」というので飲んでみることにした。

紅茶なのに渋くなく、すっきりしている。おいしい!

「よかったです!このお茶水出しで、『そのぎ茶』っていうんです。
知らないかもしれないけど長崎県の『そのぎ』というところで作られているお茶で…」

知っている。
知っているよ。「そのぎ」

同級生のことは年賀状以来忘れていた。

彼女が逝ってしまってから、しばらくはグループの皆が別れを惜しんでいたけれど、今は前を向いて走っている。

私も一ヵ月半ほど前にグループメンバーに会って彼女の話をしてからは、頭の隅の方にいっていた。

何だか不思議な気分だった。

松任谷由実の「緑の町にに舞い降りて」という曲で、

「MORIOKAというその響きがロシア語みたいだった」

という歌詞があるけれど、

その時の私は「そのぎ」の響きが、外国語のように聞こえていた。

それは今も同じ。

そよそよと吹く風が耳元を撫でていくような感覚。


そのぎ茶。

忙しい朝に飲むのではなく、ゆっくり水出しして静かな時間に飲んでみたい。

彼女のことを思い出しながら。

素敵な笑顔で勧めてくれた、お茶屋さんの彼女を思い出しながら。

今年の夏は新婚旅行で行った長崎に旅行しよう。

そして、夫と同級生と美味しいお酒を飲んでみよう。

楽しみ!


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