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ピアノレッスン 「私の舟歌は続く」

職業柄なのか、

他人の「手」が気になることがある。

まじまじと見ることはないけれど、ふと視界に入った手に、

「この人はどんな人生を送ってきたのだろう」とか、

「手を使う仕事をしているのだろうか?」などと、勝手に思いを巡らせたりする。

若いころは事務の仕事で、一日中建物の中にいた。

一人暮らしをしていたから少しだけ家事をしたけれど、主婦に比べたら微々たるもの。

白くすらっと伸びた指は若さの象徴だった。

今となっては、自転車に乗って日焼けした手の甲。

指の関節には節ができ、全体にしわが出てきた。

よく言えば、だんだん味が出てきたのかもしれない。


「少しぐらい間違えたっていいじゃない
機械じゃないんだから」

先月92歳で亡くなられたフジコヘミングさんの言葉。

彼女の手を見た時、

「ピアノを弾くには頑丈な手」

という印象を受けた。

しかし、その手から奏でられる音は慈愛に満ち 心の奥深くに染みていく。

彼女の生い立ちを知り、あの手から奏でられる響きは、

苦難を乗り越えてきた彼女にしか出せない音だということを知った。


今日もピアノのレッスンでチャイコフスキーの「舟歌」を弾く。

先月までは、

「早く終わりにしたい」

「今日はいいでしょうと言ってもらえるだろうか?」

と思いながらレッスンに臨んでいた。

連休があり、少しピアノから距離を置いている間にフジコさんの訃報に触れた。

「私だから奏でられるピアノ」

を追いながらレッスンしていこうと思ったら、少し力が抜けた気がした。

曲の細部にもっと心を向けながら、

私の「舟歌」はもう少し続く。

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