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歯ごたえたっぷりだが、一読に値する~『21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考』(ユヴァル・ノア・ハラリ)~

*この記事は、2020年8月のブログの記事を再構成したものです。


同じ著者の、人類の過去を扱った『サピエンス全史』、未来を扱った『ホモ・デウス』に続き、今回は人類の今を扱っています。

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第1章から、結構衝撃でした。イギリス人がブレクジットを、アメリカ人がトランプ大統領を選択した理由はハラリによれば、「無用者階級」とされることを恐れた一般大衆が、「手後れになる前に、残っている政治的な力を使おうと必死になっ」た結果だというのです。

恐れとは、ITとバイオテクノロジーにおける革命が、ロボット工学の発展とあいまって、人々の大半が、というか「自分が」間もなく雇用を奪われ、「無用者階級」にされるのではないかというものです。

これまでの人類の歴史において、人類は搾取に対し抵抗してきたわけですが、AI等の進歩により、もはや人々は搾取の対象ですらなく、用済みになると……。


これまでの人類の歴史では、古代ギリシャの時代、ペルシャ戦争で軍船の漕ぎ手として活躍したアテネの無産市民が政治的発言力を強めたことに代表されるように、何らかの形でコミュニティや国に対する存在感を強めた存在が、参政権などの政治的な力を得てきました。それが一気にひっくり返り、ほとんどの人は用済みとなり、政治的発言権を奪われるのかもしれません。


また、そもそもITとバイオテクノロジーにおける革命自体、問題をはらんでいます。なぜなら「人間はこれまでずっと、道具を発明するほうが、それを賢く使うよりもはるかに得意だった」から。「モデルに欠陥があれば、核戦争が起こったり、遺伝子工学で怪物が生まれたり、生物圏が完全に崩壊したりする結果になりかねない」のです。


加えて以下のハラリの指摘にも、納得がいくだけに、がっくり。

選挙や国民投票は、私たちがどう考えるかを問うものではない。どう感じるかを問うものなのだ。

考えるための予備知識が充分ではない人も少なくないのだから、フィーリングで選択する人の数を無視できないという訳ですね。


もっとも、感情をあやふやなものと捉えるのも間違いで、感情は「何百万年にも及ぶ進化を通して磨きをかけられてきた」生化学的メカニズム、そしてアルゴリズムです。「感情は合理性の対極ではなく、進化が育んだ合理性を体現している」という意味では、フィーリングでの選択を否定するのも間違いなのかもしれません。


あるいは別の箇所で指摘されているように、「私たちの考え方の大半は、個人の合理性よりもむしろコミュニティの集団思考で形作られ、私たちは集団への忠誠のせいで、そうした考え方にしがみつく」という方が正確なのかも。


そして私たちの考え方を形成しかねないのが、2020年8月15日放送の「村上RADIO第16回放送」で春樹さんが引用していたヒトラーの言葉。

「プロパガンダは常に感情に向けられるべきであり、分別に向けられるべきではない。いかなるプロパガンダも大衆的でなくてはならず、その知的水準は最も頭の悪い者の理解力に合わせなくてはならない」



そして、全体主義や共産主義に勝利を収めたはずの自由主義が、力を失っているというのがハラリの指摘です。自由主義はハラリによれば本来セットメニューなのに、為政者も大衆も、ビュッフェスタイルで好きな部分だけ採用しようとしている、と。


たとえばトランプは依然として自由市場と民営化を強く支持しているが、それらの恩恵を受けつつも、多国間の協力や、自由貿易さえなし崩しに縮小していけると考えている。


更に、どの国も過去の栄光を再現しようとしているという指摘も、気になるところ。アメリカしかり、ロシアしかりです。過去を理想化したところで、現実には現在より過去が良かったはずはないのに。


いろいろな意味での悪夢を回避するためには、「AIの改良に投入するのと同じだけの資金と時間を、人間の意識の向上に注ぎ込むのが賢明」なわけです。そうしないと、本書に出てくるように、グーグルマップを信じて車で海に入っていってしまう人が続出するだけならまだしも、「ダウングレードされた人間がアップグレードされたコンピューターを誤用して、自らとこの世界に大惨事をもたらすことになる」からです。


また以下の指摘にも、トランプの顔が思い浮かびます。

環境に対する長期的な配慮のために、つらい短期的な犠牲を求められると、ナショナリスト(注:ナショナリズムの信奉者)は目先の国益を第一にし、環境のことは後で心配すればいいと言って自分を安心させたり、あっさり他の国の人に任せてしまったりする誘惑に駆られかねない。あるいは、頭から問題を否定するかもしれない。気候変動に懐疑的な態度を取るのが、右翼のナショナリストであることが多いのは偶然ではない。


でも、そんなことをしていると、とんでもないことになりかねません。

地球温暖化のせいで極地の氷床が解ける(原文ママ)につれ、地球から宇宙へ反射される日光が減る。つまり、地球はより多くの熱を吸収し、気温がさらに上昇し、氷がなおさら速く解けるわけだ。このフィードバック・ループが決定的な臨界点をいったん超えてしまえば、歯止めの利かない弾みがつき、たとえ人間が石炭や石油や天然ガスを燃やすのをやめても、極地の氷がすべて解けてしまう。


上記のような臨界点を、「ティッピング・ポイント」と呼ぶことを、「ビッグイシュー日本版 VOL.380」で知りました。


心に残ったのは、アショーカ王の寛容の法勅の引用。

帰依が過ぎて自らの宗教を褒め称え、「我が宗教を賛美しよう」と考えて他の宗教を非難する者は誰であれ、本人の宗教を害するばかりである。したがって、宗教間の接触は良いことだ。人は他者が信仰する教義に耳を傾け、それを尊重するべきである。神々に寵愛され、万人を慈愛の目で眺める王(注:アショーカ王のこと)は、誰もが他の宗教の善き教義に通暁することを願う。

誰もがこのような精神を持てば、宗教間の対立なんて無くなるはずなんですけどね。

寛容については、以下の記事もご覧ください。



ドキッとしたのは、以下の言葉。

人は憎しみの対象を現に殺害することがないまま、何年も怒りで腸が煮えくり返る思いをし続けることがありうる。その場合には、他者は誰一人害さないが、それでも、自分自身を害してしまう。したがって、人はどこかの神に命令されたからではなく、自分自身のために、怒りをどうにかする気になるのが自然なのだ。もし怒りからすっかり解放されれば、不快千万な敵を殺害するよりも、はるかに気分が良くなるだろう。

ほんと、憎しみって自分自身を害しますよね。以前、どうしても許せない人がいて、それこそ何年も怒りを抱え続けたことがあります。ひょんなことから相手を許すというか、「もういいい」と思えるようになったのですが、その時のほっとする気持ちは覚えています。あまりにあっけなくて、拍子抜けもしましたが。


それ以来、もう誰に対しても怒りを覚えなくなった……というわけはなく、その後もいろいろな人に怒りは覚えていますが、なるべく引きずらないよう、努力しています。


教員として心に留めておかねばならないのは、以下の言葉。

教師が生徒にさらに情報を与えることほど無用な行為はない。生徒はすでに、とんでもないほどの情報を持っているからだ。人々が必要としているのは、情報ではなく、情報の意味を理解したり、重要なものとそうでないものを見分けたりする能力、そして何より、大量の情報の断片を結びつけて、世の中の状況を幅広く捉える能力だ。


ただ一方で、必要な情報は依然として与えねばならないわけです。加えて、自分には不足している情報がある、つまり知らないことがあることを自覚できるようにしなければならない。そうしないと、不足した情報で上っ面な意見を振り回す人間を作り出しかねません。


『サピエンス全史』や『ホモ・デウス』と違い1冊なので、少し気楽に読めるかと思いきや、どうしてどうして歯ごたえたっぷりでしたが、一読に値します。


見出し画像には、アショーカ王の柱頭のデザインが刻まれた、インドの硬貨の写真を使わせていただきました。


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