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【実体験小説】 真夏の訃報 最終話 「アナタのかけら」

若い頃に体験した彼の事故死とそれに続く、リアルで少し、いや、だいぶおかしい出来事を小説風に綴ります。
前回は、霊の目撃談が沢山出るが、私のとこにはこない、と悩むところ。
今日はその続きです。

「アタナのかけら」

つくづく、私は今になって、あなたの事をよく知るようになったのかもしれない。

野毛の居酒屋Sは大衆派で東の雄とすれば、
新山下の沖縄ダイニングUは、著名人も訪れる、ちょっとお洒落な西の雄といったところか。
不動産事業など手広く展開している女性経営者が、趣味の一環で出しているお店で
愛らしく面倒見のよいオーナーの元へ、Nを含め多くの常連が通っていた。
私も行った事はあるが、数える程度だったと思う。
ある日オーナーから呼び出しがあり、お店に向かった。

「これね、雅代ちゃんに。」

お店のカウンターの上には白く小さな骨箱が2つ。
一つを私に手渡しながらオーナーが言った。

「だってねー。大きい骨拾ったあと、残りどうするのかと思ったら、ざざーって捨てようとするからさぁ」
遺骨の話をしてるとは思えない明るさで続ける。
「慌てて、勿体ないからそれくださいーー!!って、」
腕でかき集める仕草をしながら
「そしたら、アッツいの 骨!!! あははははは!」

ご両親に許可を得て分骨として横浜に持ち帰ってきたのだそう。
1つは沖縄の海への散骨用に。
もう一つは火葬にも葬儀にも間に合わない私を案じて。

私は驚く。
居酒屋Sにしろ、ダイニングUにしろ、Nは単なる常連客だ。
その客の為に、通夜を取り仕切り、住宅の片付けまで行う。
片や、死の翌日に彼の故郷に飛び(間際出発の航空券はかなり高額)
火葬・葬儀に参列。
沖縄の海への散骨を提案と、それほど親しくはない私の気持ちを想像して遺骨を持ち帰る。
「なぜ、何のために?」というのは愚問なのだろう。
彼らはそうしたいから。 
そうしたいと思わせるのがNだったから。
生前は関わりを持たなかった、Nの”向こう側の人々”に、私はNの事を教わり、
Nの好きだった”おきなわ”というものを思い知らされた。

一人になってから、小箱をあけた。
中には小さなかけらが2つ入っていた。
掌にのせ少し突っつくと、恥ずかしそうにカラカラと音をたてた。

----エピローグ 20年後---------

先日帰省した折に親から
「お父さん、お母さん樹木葬の枠を買ったの。」
突然の告白があった。
申しわけない事に、我が家は姉弟二人ともが子孫を残せなかった。墓を作ったとて守っていけないのだ。
弟は適齢期オーバーで奇跡の結婚をしたが、50歳になっても浮いた話一つない私を哀れんだのだろう
「3人入れる枠、買ったから大丈夫。あんたも入れるから」
まるでカラオケの個室ようなノリだ。
墓とはそういうもんだったろうか??
なんでも、樹木葬は、お骨のほとんどを木の下に撒き、一部は、墓碑銘代わりの石板プレートの下の穴に納骨できる仕組みらしい。
その3人分の権利を買ったとのこと。
墓参りに来る人もいるだろうから、その際はプレートを目印にお参りしてもらう。それでも最後の入居者が入った10年後には
中身を取り出して樹木の下に合葬、プレートも破棄され、私たちが生きた証は何もなくなるという事。
なんとも清々しい。
「でね、その石版はデザイン自由なのよ!」
確かに、昨今の墓石には恭しく家名や由緒が書かれているというより、「感謝」「ありがとう」「悟」のような言葉が書かれているものが
多い。そのようなものを想像しながら、親のデザイン画をもとに完成したプレートの写真を見る。

確か、眩暈がしたと思う。

狭いキャンバスに所狭しと、富士山とパピヨンの絵、そして、市川家 ありがとう。の文言。
デザイナーの苦労がしのばれる仕上がりだ。
富士山は両親が好きだから。
パピヨンはまだ存命で、12歳になろうとする愛犬だ。
(犬は一緒に納骨はできないのだが・・)、
この後まだパピヨン以外の犬を飼ったらどうするのよ!と突っ込もうとして・・

ハッ!!
Nの骨もここに入るのか・・。

あと数年ののち、一緒に見知らぬ犬の絵の下に入る。
Nは、それもいいさぁと笑うだろうか。
会ったら、まずは何の話をしようか?
盛大だった「Nっちお別れ歌あそびの会」の話?
結局大勢でお酒を飲で騒いだ、「Nっち散骨記念沖縄ツアー」の話?
どちらもやめておこうか。
こうして思い起こすだけでも 
「俺って人気者でしょ?」
と自慢げなアナタの顔が浮かんで仕方がないから。

                        (終)
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長々お付き合いありがとうございました。

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