DJと地元の爺婆20180114のコピー

知ってます?「サードプレイス」の本当の意味。8つの条件をクリアして、社会的・経済的価値を、より高める。次の時代のカギはココ!

「サードプレイス」って言葉、聞いたことあります? 巷では「家と職場・学校との間の第三の居場所」のような意味合いで、カジュアルに使われるようになっているようです。けど、改めて調べてみたら、実はほとんどの人が、その意味を把握せずに使っていることがわかったんです。というわけで、今回は、一緒に「サードプレイス」とは何かを学び、考えましょう。

なぜ今、サードプレイスを考えたくなったのか?

そもそも、どうして今さら「サードプレイス」という言葉が気になったのか。「喫茶ランドリー」をオープンさせたことがきっかけでした。オープンして間もなく、こんなやりとりを耳にすることが増えてきたのです。

相手:「まさに喫茶ランドリーは、サードプレイスですね!!」

相手:「いや〜、あそこにある○○○○も、同じようなサードプレイスなんですよ〜!!」

私:「....(え、喫茶ランドリーが、そこと同じになるの?)」

私:「(同じなわけないやないけ!)」

そういうやりとりが、どんどん増えてきた。そこで、わき起こってきたのは...

「サードプレイスとは、本当のところ何なの?」

という疑問でした。サードプレイスとは、「家と職場の間の第三の居場所」、本当にそんなものなんだろうか?と疑いながら、まずはその出所を調べていったわけです。

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Ray Oldenburg, The Great Good Place: Cafes, Coffee Shops, Bookstores, Bars, Hair Salons, and other Hangouts at the Heart of a Community, New York, Marlowe & Company, 1989

そもそも「Third place(サードプレイス)」という言葉の出所は、アメリカの社会学者オールデンバーグさんによるもの。1989年に書いた書籍『The Great Good Place』の中で「Third places」について、述べられています。

かつてまちの中に庶民が自由に集まって議論を交わす場があったものが、20世紀に入ってから世界中で消滅しつつある。その場の例がタイトルにある「 Cafes, Coffee Shops, Bookstores, Bars, Hair Salons, and other Hangouts」というわけです。そういう世界的な徴候を危惧して、オールデンバーグさんは、地域の人々が身近で日常的に集まれる場「Third place」の大切さを説いたのでした。大きくはそういう話。

そして、本のタイトルに「Third place」が使われたのは次の本でした。

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Ray Oldenburg, Celebrating the Third Place: Inspiring Stories About the “Great Good Places” at the Heart of Our Communities, New York, Marlowe, 2001.

2001年に出版された『Celebrating the Third Place』。オールデンバーグさんが選ぶ、約20の「Third Place」的なるものの実例が、紹介されています(地元密着型のコーヒーショップ、飲食店、ガーデニングストア、書店など)さらにそこには、オールデンバーグさんのつぶさな観察により発見された、サードプレイスに共通する下記のような8ヵ条!がまとめられていたのです。

□1.個人が思いのまま出入りができ、もてなすことを要求されず、全員が心地良くくつろぐことができる中立地帯としてある
□2.会員等アクセスに制限がなく、あまねく人々が入ることができる
□3.会話が楽しく、活気で満ちている
□4.アクセスがしやすく、中にいる人々が協調的である
□5.常に「新参者」を快く受け容れる「常連」がいて、いつも心地良い空気をつくる
□6.日常に溶け込む簡素な外観(デザイン)をしている
□7.明るく遊び場的な雰囲気を持っている
□8.もうひとつの家、リビング、家族的な存在である

こんな詳細な条件があったなんて……

ここからは、8つの条件を紐解いていきますよ!

せっかくだから、ひとつ、あなたにとって、これこそが「サードプレイス」だな!というものを頭の片隅に挙げてみてください。お店でも、公園でも、何でも良いと思います。ひとつ挙げたら、それをこれから読み込んでいく一つひとつの条件を照らし合わせながら、一緒に考えていきましょう。さぁ、あなたが挙げたそれは、全8ポイント獲得となり、最高クオリティのサードプレイス認定を受けられるのか!?

では行きましょう!

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□1.個人が思いのまま出入りができ、もてなすことを要求されず、全員が心地良くくつろぐことができる中立地帯としてある

ひとつ目は、ひとりの人間が、一個人として、気兼ねなく入ることができるってこと。このポイントは、ほとんどのお店がクリアしてそうですね。チェーンのコーヒーショップでもファミレスでも、基本は個人であっても気軽に入ることができます。

入ったあとのことも書かれています。何を強要されることもなく、自由にくつろぐことができかどうか。「もてなすことを要求されない」というのは、中に入ったからといって、とりわけ他者に対して強要される“ふるまい”はないということです。

「全員が」というところもポイントです。もしそこに子どもがいたら、ママがいたら、おじいさんがいたら、彼ら全員が、心地良く存在できているのか、気遣いや居心地の悪さはないのかということです。

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□2.会員等アクセスに制限がなく、あまねく人々が入ることができる

まずサードプレイスは、「会員制」のようなアクセス制限があるのは該当しない。さらに、明確な入店不可が書かれていなても、「女性だけの○○」「子どもの○○」などというメッセージが発せられているのもある種のアクセス制限となります。つまりターゲットを絞り、それを対外的に謳った時点で、そのお店や施設の「サードプレイス」としての純度が下がるということです。

そっか、つまり「サードプレイス」には、純度、クオリティがあるってわけですね。

「コミュニティカフェ」を謳う施設が、それを掲げることによって、人を寄せ付けなくなるというのも、純度を下げていることに含まれます。たとえば「○○好き、集まれ!」的な会やスペースも同じです。最近流行のオシャレカフェ付きで特定の層が賑わう公園なども、もはや「サードプレイス」とは言い切れない。ある層の求心力を高める一方で、ある層を排除する力も高めているのですから。

赤ちゃんから高齢者まで、デートをしたいティーンからサラリーマンまで、どの層にこびるということなく、その場や店が、あまねく人々を受け容れますよという顔をしながら、そこにただ存在するということがポイントというわけです。(これも公園で想像するとわかりやすい。世界のすばらしい公園や広場は、「サードプレイス」としての純度が非常に高い!)

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□3.会話が楽しく、活気で満ちている

その場のベースには、いくつもの楽しい会話たちで満たされていることが必要だということでしょう。さらにそれはわざとらしく発生させるのではなく、日常として「会話=コミュニケーション」があるかということを言っているのだと思います。

もちろん、ひとりで黙って過ごしていることが駄目だとは言っていません。しかし、結果として、会話がなくほとんどの人がパソコンで作業をしているような場所は、「サードプレイス」ではない。この点で、日本のスターバックスは、かなりあやしくなってきます。逆に、隣の席の人に話しかけられる空気を持つ蒲田の喫茶店や、ポートランドのコーヒー屋は、この条件を満たしています。

また、この項目は、友達同士のふたりの客がやってきて、楽しそうにお話しをしているってことを指しているわけではありません。会話というものがベースにあった上に、他人とのコミュニケーションを受け容れる空気が、そこにあるかということ。これは次の項目へとつながります。

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□4.アクセスがしやすく、中にいる人々が協調的である

立地として、サクッとひとりでも行くことができる場所にあるかということ。建物の上階や、人里離れたところでは駄目。逆に、純粋に考えていくと、人が棲んでいるまちの、人目に付く1階にとなるでしょう。

さらに前項目とつながるように、オールデンバーグさんは、「協調的」という言葉を使います。

「サードプレイス」を「居場所」と安易に訳す人が多いのですが、居場所とは、物理的な場・空間だけを指すのではありません。むしろ、それ以上に誰に対しても、その場所での存在を快く受け容れる空気で充ち満ちている場、であることが大切です。それを根底から成りたたせるのが、ここで言う「協調性」協調とは、他人を気にかけて同一になることではなく、違う他者を認め合うということです。

この時の他者というものは、“自分とは全く異なる他者”なんだ、というところまで想像しなくてはいけない。ここも大切なポイントだと思います。

いやはや、何だか深い話になってきました。

ここまでくると、日本にある一般的なカフェは、もはや「サードプレイス」の純度がかなり低いということがわかってきます。

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□5.常に「新参者」を快く受け容れる「常連」がいて、いつも心地良い空気をつくる

さて、残り3つです。このポイントもいつも私たちが、喫茶ランドリーレコードコンビニに触れては、話していたことでした。

どういう場も、中にいるお客、スタッフ、すべての人が協調性を持ち、その上で、その場所全体が「会話=コミュニケーション」によって育まれていくと、必然的に、「常連」という群が膨らんでいきます。

しかし、コミュニティは、できた途端に壁をつくります。常連同士でピース写真を撮っている光景は、外から見た人には、とても入りづらいわけです。けど、そんなときも、常連の態度や声をかけるちょっとした言葉ひとつで、目の前で不安に思う人を、快く受け容れることができる

たとえば、喫茶ランドリーの奥の席で、常連さんたちが、パーティーをしています。店内には、仕事をしている人から、談笑している人までいますが、少し騒がしくもなってくると、嫌な気持ちになる人も出てくるでしょう。排他的な気持ちを抱く人も少なくないでしょう。

しかし、そこでどういう言葉と態度で接するかで、人との関係は変わります。さりげなく「よかったら、ピザをどうぞ!」の一言を、お店にいる人たち全員に伝えることができれば、その空気は変わっていくことになります。

あらゆる「新参者」に対して、全開放で受け容れる。そうして、常に常連の卵が生まれ続ける、常連が定まらない状況をつくることが純度の高いサードプレイスのひとつの条件だということです。

これは、お客さんの話のようで、実はお店全体の根底にあるマインドに寄るところが大きいのは言うまでもありません。つまり、まず最初は、その場のオーナーがまず、そういう状態をつくることに意識的であるか、またそういったコミュニケーションの能力があるかどうかにかかってくるのです。

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□6.日常に溶け込む簡素な外観(デザイン)をしている

6つ目は、外観デザインの話です。

通常、外観(デザイン)は、中で行われるサービスのブランディングに合わせて、人の目を引くためにデザインされます。また、ある特定のターゲット層に合わせて、その人たちに刺さる外観をデザインします。これ至極当たり前の話です。しかし、「サードプレイス」の純度を高めるためには、あまねく人々に対してさりげなく「どうぞ」という表情を持たなくてはいけない。

格好つけ野郎や、ぶっきらぼう野郎の表情ではいけないのです。赤ちゃんから爺ちゃん、婆ちゃんまでが安心して触れられるのは、印章に残らない簡素なデザインだと、オールデンバーグさんは分析しています。

そういう外観デザインは、気取った奴らを排除する力があるとも。日本には、いわゆる「オシャレ」という言葉で済まされがちな、スンっとしたデザインを良しとする傾向にありますが、あぁいったオシャレ空間は、ある層(気取った奴ら)の心を躍らせる一方で、多くの人に居心地の悪さも提供しています。特定の人に受け容れられるデザインではなく、もっともっと日常に溶け込むデザインを考えるべきだと。

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□7.明るく遊び場的な雰囲気を持っている

一言で言えば「楽しい」「ワクワク」でしょうか。その対極は「シンプル」で、ちょっと背筋が延びてしまうような雰囲気のことだと思います。遊び場というものは、常にものが動きます。だから、少し時間を置いて行くと、モノが増えていたり、モノの配置が変わっていたりするものです。

チェーン店しかり、お店や場とよばれるものの多くは、数年経っても、変わるのはメニューやポスターだけ。そういう空間内では、人は自分が自由に行動して良いと思うことができません。常に他者の手垢が残り、空間の雰囲気も変化し続けるところであれば、人は自分の意思を能動的にそこへ委ねても良いと無意識に働きはじめます。それが、「サードプレイス」には大切だと。

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□8.もうひとつの家、リビング、家族的な存在である

さぁ、ラスト!

まるで自分の家にいるかのような安心感、そこにいる人たちが家族のような存在、自分の今の人生においてなくてはならない存在であるということ。モノやサービスがその人を満たしているのではなく、あらゆる面から、自分の心理的な健康を大きく支える、生きていく上で大切な存在になっているということです。

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日本の施設やサービスに、最も抜けているのが「サードプレイス」的視点だった?

こうして8つの条件を、一つひとつ考えていくと、今の日本に生み出されているモノやサービス、施設のほとんどは、純度の高い「サードプレイス」には到底なりきれていないことがわかってきます。

その原因は、どれも、「売る」こと、「動員」を確保することが、第一の目的になっているから他ありません。まずはターゲティングをして、どうするかを考える。

一方で、純度の高い「サードプレイス」たちは、「売る」以前に、世の中に、まちに、社会に「どう存在すべきか」が、まず考えられています。それでは、ビジネスにならないよ、と考えがちですが、世界の「サードプレイス」を観察していくと、そうではないことがわかってきます。「サードプレイス」として「どう存在すべきか」を突き詰めた上で、「売る」を追求することもできる。いくらでも、世の中に存在するあらゆる施設やサービスは、そのふたつを両立させることはできるのです。

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私たちはグランドレベルを通して、とにかくあらゆる社会の問題は、「1階」のつくられ方がカギを握ると言い続けています。メディアから流れてくるニュースはすべてグランドレベルの問題だと言っても過言ではありません。

だからこそ、グランドレベルには、最高のクオリティが求められます。見え方だけ1階をオープンにつくったようなB級、C級では、社会に対して小さな効果しか見込めません。たとえば「喫茶ランドリー」は、そこある「人・まち・日常」を大きく支える最高のクオリティを持つ1階を、私たちがつくるとこうなる!というひとつのサンプルです。

私たちは、「喫茶ランドリー」のような公園を、住宅地を、公開空地を、マンションの1階を、オフィスの1階を、美術館や市役所のエントランスを... つくっていきたい。

実はそんなとき、そのグランドレベルのクオリティを図る指標として、この「サードプレイス」の8ヵ条はわかりやすい。これからグランドレベルを観察していく時にも使うことができそうです。

さぁ、あなたが挙げた「サードプレイス」は、8ヵ条のうちどれくらいをクリアできたでしょうか。もし、8ポイントにたどり着けなかったとしたら、まだまだその施設や場所も、やれることがあるということです。そのポテンシャルを活かさない手はありません。

ぜひそんなお手伝いもさせてください。

それでは、今日はこの辺で。

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「マイパブリックとグランドレベル — 今日からはじまるまちづくり」(著:田中元子/晶文社)の3版が決定しました!まだ手に取られてないかたは、ぜひ!


1階づくりはまちづくり

大西正紀(おおにしまさき)

*喫茶ランドリーの話、グランドレベルの話、ベンチの話... まだまだ聞きたい方は、気軽にメッセージをください!

*喫茶ランドリーは、レコードコンビニと活版印刷所バー・リズムアンドベタープレス合同のスタンプラリーイベント、フリーマーケットなどを経て、日々、さらにさまざまな使われ方をされています。近々のレポートもまた近いうちに。

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