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水俣病患者「マイクオフ」の先へ

2024年5月1日、伊藤信太郎環境大臣が、水俣病患者団体の話が遮られたり、マイクの音声が切られたりするのを見て見ぬふりをして、1週間後に謝罪に出向いた。この問題を多くのメディアが取り上げたが、これを機に、むしろ国からどのような懇談を患者らに持ちかけるべきかを「四大公害病」を書いた経験から書いておきたい。3つある。


1. 判決を反映した認定基準の見直し

公害健康被害補償法(当初は公害被害救済法)に基づく水俣病の認定基準は、国の都合で変遷した。1970年に認定申請を棄却された患者による行政不服審査請求に応じて、国は認定しなおせと差し戻し、1971年には当時の大石武一環境庁長官が「疑わしきは認定せよ」と指示した。

ところが1977年、症状の組み合わせがなければ認定しない、いわゆる「52年判断条件」ができた。石原慎太郎環境庁長官(当時)のもと、環境庁企画調整環境保健部長名で通知され、認定基準は厳しくなった。1979年の環境事務次官通知でもまた、棄却しやすい判断条件が追加された。

それゆえに、棄却された患者による裁判が多発、問題が長期化して、1996年、村山政権では政治解決「水俣病総合対策医療事業」が実施された。さらに、2009年には国会が最終解決と銘打って「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法」(以後、水俣病特措法)を議員立法で制定した。

しかし、認定される汚染地域は、公害健康被害補償法を踏襲した狭い地域に限定されていた。そのため、またもや救済されるべき人々が救済されず、裁判を起こし、長い時間をかけて判決でやっと補償を受けることが可能になることがあった。

環境省は、これらの確定判決を反映させて、認定基準を改めるべきだ。しかし、環境省は、判決を「個別案件」であって制度全体に反映させる必要はないという立場をとってきた。伊藤大臣は、このことをどうすべきなのかと患者に語りかけるべきなのだ。

2. 水俣病特措法で命じられたことの不作為が続いていること

先述した2009年の水俣病特措法の第37条(調査研究)には、「政府は、指定地域及びその周辺の地域に居住していた者の健康に係る調査研究その他メチル水銀が人の健康に与える影響及びこれによる症状の高度な治療に関する調査研究を積極的かつ速やかに行い、その結果を公表するものとする」と定められている。

ここでいう「指定地域」とは、公害健康被害補償法第2条に基づいて指定された汚染地域のことで、「その周辺の地域」とは、第2条では補償の対象外とされた水俣病患者がいる地域のことを指す。

ところが、メチル水銀の影響を受けた「その周辺の地域」がどこまでなのかを特定することをサボる不作為を「政府」は続けてきた。(議員立法で行政がやるべきことを明記した法律にはこのようなことが起きる。

その不作為を是正するための追及が国会で行われることもこれまでにはあった。

市田忠義議員:(略)「指定地域及びその周辺」、わざわざ「その周辺」という文言が特措法には入っているんです(略)この特措法の定めから一体何年たつのか。(略)対象地域外にも被害者が広がっているということはもう明らかなんですから、そういう立場からいっても、特措法の37条で規定されているこの健康に係る調査研究を早急に取りまとめて、全ての水俣病被害者の救済につなげるべきじゃないか。
山口壯環境大臣(当時):昨年11月には国立水俣病総合研究センターが研究の進展に関する報告会を開催したところです。こうしたことも踏まえて、この手法の開発について本年秋までを目途に、どこまでその精度が上がるかも含めて成果の整理を行う予定です。

2022年3月16日参議院環境委員会 議事録より抜粋

この答弁のように、調査研究手法の開発だ、整理だと、のらりくらり言い続けて、認定基準を改善しなければならないという切迫感がまったくない。「患者たちの寿命が尽きるのを待っている」と患者や支援団体には批判されてきた。

3.胎児性水俣病の補償基準

上記の1と2はひとつながりだが、もう一つ、顧みられていないことがある。それについては拙著「四大公害病」の「あとがき」から一部を抜粋したい。

「水俣市街の中心地には、胎児性水俣病患者や母親たちの思いを受けて1998年に胎児性患者の生活支援事業として開設された社会福祉法人「ほっとはうす」がある。直接話を伺った胎児性水俣病患者の金子雄二さん(1955年生まれ)、加賀田清子さん(1955年生まれ)、永本賢二さん(1959年生まれ)、松永幸一郎さん(1963年生まれ)は皆、6歳から7歳ぐらいで歩行や会話が可能になったという共通点がある。また、永本さん以外は皆、30代後半から40代後半にかけて再び歩けなくなり、車椅子に頼る生活になっている。
(略)、今後何が起きていくのかは、現在進行形で人類が学んでいる最中である。このことは補償問題とも無関係ではない。たとえば3年前までマウンテンバイクで1日20キロでも走ることができた松永さんは、股関節の変形で骨が食い込んで痛むようになり、1本杖の助けを借りる歩行が2本杖になり、車椅子が必要になった。認定患者とチッソとの間で結ばれた補償協定のBランクからAランクへの変更申請をこの2年間でチッソに2度申請したが却下されている。補償協定の運用のあり方は、本書で記した公健法での認定問題と共に改善が検討される必要がある。」

私が取材に訪れたのは2013年。あれからもう10年以上になる。今回のマイクオフ騒動では、車椅子に乗った松永さんが明るい色の服を着てちょこんと座っているところが映っているのが見えた。彼は、この間、起きてきたことを3分で大臣に語ることができただろうか。マイクが切られたところばかりが報道されて、彼らが何を訴えていたのかが報道されないので、分からない。

どうか、最低でも以上の3点だけは、環境大臣や環境省の方から、これからやり直す「懇談」の場で、患者や支援団体に懇談を持ちかけてもらいたいと切に願う。

【タイトル写真】

水俣病の原因企業チッソ水俣工場前にて2013年筆者撮影

2024年5月8日 各社報道へのリンク

木内哲平・特殊疾病対策室長が水俣病被害者らとの懇談中に「マイク音消し」環境大臣が直接謝罪
https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000348459.html 
伊藤環境相が涙の謝罪も…「大臣として失格」怒りの声 水俣病マイクオフ問題「水俣病は環境省生まれた原点」直接謝罪へ 
https://www.fnn.jp/articles/-/696286 
伊藤環境大臣が水俣病患者の関係団体に謝罪 懇談会で環境省側がマイクの音を切った問題受け
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1158246?display=1&mwplay=1 
水俣病患者団体「極めて愚弄」伊藤環境大臣が直接謝罪 マイク切られた男性「国会の人たちは一般の人の話を聞いていない」【news23】
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1158647?display=1&mwplay=1

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