支えある場所
僕がやっていることは、(子どもたちが基本、嫌がる)学習だけをしつつも、子どもたちのメンタルを支え続けること、だ。
子どもたちが好きなことややりたいことをするような、それこそその他の習い事のように、モチベーションがあることを教えている指導者(先生)を羨ましく思いつつも、
子どもたちが基本嫌がることを通じてでも、僕は子どもたちのメンタルを支え続けている。
子どもたちが気の向くことも多いであろう、その他の特別活動も多い学校の先生よりは、嫌いな勉強にだけ特化しているのだが、それでも、子どもたちのメンタルを支え続けている。
とどのつまりは、取り組むことはなんでもよい、ということ。
なんでもよいから、取り組むことを通じて、
子どもたちは、様々なことを学び、人間的に成長していく。
そのための支え。
今は、多くの場所で、そういう「見えないもの」が軽視されている。
なぜ、この場所に通うことで、この子たちが支えられているのか。
見えないことは、無視されてしまう。
この記事ももまた、伝わる方に向けて。
取り組む内容はなんでもよい。
僕はただそれが勉学なだけだ。
けれども、そうした支えの意味をちゃんと大人が理解する必要がある。
どうも今は、ちょっと無視されすぎている。
それこそ、技術やノウハウを学べればそれでよい、というような、消費と取引ばかりが先立ってしまうのだ。
本当にそうか。
そんなもので人は学び、成長できるのか。
はたまた、そこにあるメンタルは?心は?
この記事もまた、伝わる方に向けて書く。
(おわり)
記事を気に入っていただけると幸いです。NPOまなびデザンラボの活動の支援に活用させていただきます。不登校および発達障害支援、学習支援など、教育を通じたまちづくりを行っています。