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シドニー!!!①~剥製カンガルー編~

オーストラリアの大地を踏むのは、2度目だ。

一度目は、生まれて初めての海外旅行だった。飛行機が苦手だったわたしは当時、海外旅行など絶対に行かないと頑なに言い張っていた。

2015年2月、南半球は真夏だ。ベトナム在住の夫からもうすぐプロポーズされるだろうという、微妙な時期だった。ひと足早く海外に慣れていた夫に、なかば無理矢理連れられ空を飛んだ。飛行機の機内ではずっと目をつむり、SEKAI NO OWARIを聴いていた。そう、あの頃のわたしにとって海外に出ることは、まるで世界が終わるような感覚だったのだ。

ケアンズは静かな町だった。空港から一歩外に出た瞬間、強烈な孤独を感じたことを覚えている。あえて言葉にするならば、「今わたしは、世界の裏側で、ふたりぼっちだ」という感覚だった。そしてその孤独は不思議と、得も言われぬ開放感と表裏一体だった。

町には聴いたことのない鳥の声が響き、夜になるとでかいコウモリが群をなした。足を伸ばせば雄大なキュランダの大自然に手が届き、真っ白く、そして真っ青なグレート・バリア・リーフにも行くことができた。

グレート・バリア・リーフ!

その、いかにもテレビのなかの出来事だったあの場所に、今、自分が立っている。灼熱の砂浜も、真っ赤な魚たちも、海底から見上げた夢のようにきらめく水面も、目に映るものすべてが現実だということが、もはや非現実的に思えた。

その後わたしはひどい船酔いで救急センターに運ばれ、水着のまま長い点滴を受けることになる。不機嫌そうな看護師が「ワット・ユア・ナイム(name)?」と聞き、「どうせ過呼吸かなんかよ」と言いながら思い切り注射をさした。英語もしゃべれず、具合は最悪で、部屋にはガンガンにクーラーが効いていた。心細く寝転がったわたしに、わたしの半分くらいの顔の大きさをした女医がサンドイッチを手渡した。「これ、あたしの晩御飯なの。よかったら食べない?」

そのサンドイッチがえらく美味しかったこととか、帰国した夜のなんでもない居酒屋でプロポーズされたこととか、そういう些細なできごとのほうが今となっては、グレート・バリア・リーフよりも本当の記憶として残っているのだった。

旅が好きだ。

見慣れない景色、知らないルール、聞き取れない発音と伝わらない言葉。バネの固すぎるホテルのベッドに、次々と起こる大小さまざまなトラブル。

ああ、日本に帰りたい。帰り際にはいつもそう思うのに、またしばらくすると旅に出たくなる。我ながら、厄介だと思う。あんなに海外には行かないと言い張っていたのに、あの旅以来わたしは、隙を見ては日本を飛び立つようになってしまった。旅はわたしの日常にとって、始まりの場所だ。まるで後頭部で静かにうずまくつむじのように、なくてはならない起点になってしまったのだった(つむじのない方もいらっしゃいますが、それはそれとして)。

2024年5月。もうすぐわたしのパスポートの期限も切れる。ケアンズにはじまり、シドニーで終わるわたしの10年。結婚もしたし、よく働いたし、ワインのことが大好きになった。さあ、オーストラリア大陸の孤独に、もう一度会いに行こう。


シドニーの夜はノンアルで乾杯

朝出発のANAに乗り込み、シドニーの町に着いたのは午後8時だった。

海外の町に到着すると、まず肌感覚で「町の治安」を測ることになる。それで、今回の旅に必要な結界の強度を知るのだ(たとえば、斜めにかけたバッグの紐の長さとかを)。そういう意味でシドニーは、結界の強度はあまり強くせずとも過ごせるようだった。道路に穴はなく、ゴミはきちんと整理され、暗がりに憩う人々がいる。浮浪者も少ない。おなじ都会とはいえ、パリやバンコクとはずいぶん違う。シンガポールをもうちょっとのんびりしたような、東京から人間を引き算したような、そんな雰囲気だ。

シドニーは朝型の人々が多い町のようだった。というのも、お店はほとんど20時には閉まってしまう。だから平穏な人が多い、のかどうかはわからないが(朝ご飯を食べると成績が上がる、というまことしやかなデータがかつて厚労省のホームページに載っていたが、あれは紛れもない擬似相関だ)、少なくともレストランで夜を食べるなら、19時台には入店しなければならない。

この日は早速夜ご飯を自力で調達することとなった。ホテルちかくのWoolworths(ウールワース)、オーストラリアでよく見かけるスーパーマーケットである。

ところで、日本の酒類に対する規制はかなり緩いことをご存知だろうか。スーパーマーケットやちょっとした雑貨屋、薬局でさえも手に入り、24時間営業のコンビニに行けばいつでも買うことができる。外で飲むことも(場合によっては)許容される。

シドニーはどうか。まず「ワインショップ」に行かなければワインを買うことができない。そのワインショップはだいたい(どの店もそうであるように)20時か21時には閉まってしまう。かなり大きなスーパーマーケットに行っても、ワインはおろかビールさえも手に入らない。おおよそ21時を過ぎる頃には、シドニーは「アルコールが飲めない町」に様変わりする。

これはなにもシドニーに限ったことではない。日本が緩いのだ。フランスのボーヌに宿泊した際、20時をすぎたスーパーマーケットで『Don't sale』と書かれた看板を虚しく眺めながら思ったものだ。いや、ボーヌでは、飲めろよ!

そんなわけで、最初の夜はノンアルコールワインで乾杯することとなった。想定の範囲内である。経験は、ときに人類を絶望の淵から救う。

「ないよりはマシ」とも言う

オーストラリアでは、ノンアルコールワインは日本よりもずいぶん日常的な選択肢であるようだった。各種大手ワイナリーによるリリース。品種に分かれたさまざまなキュベ(と言うか)。ワインの好きなところを聞かれると、2番目に「アルコールが入っているところ」と答えるわたしとしては、正直ノンアルコールワインに関心がそう高いわけでもない。それでも、こういう光景を見るにつけ、酒類のたどる道はおそらくこちらなのだろうと実感せざるを得ない。好むと好まざるとに関わらず。

すべてノンアルコールワインである

世界一の朝食と再会する

シドニーに来たらやりたいこと。それが朝食を食べること、らしい。

世界一の朝食として名高い「bills」の本店があるのがここシドニーだ。10数年前、東京に初上陸したbillsでビクビクしながらリコッタチーズのパンケーキを食べたことを覚えている。すごく美味しいけど、高い。それが当時の感想だった。まだ東京で働き始めて間もない頃だ。こんな高いパンケーキを、値段を気にせず食べられる日がいつか来るのだろうかーー

一号店は古い民家を改装した瀟洒な外観だ

さて、パンケーキが到着するまでのあいだ、なにはともあれ乾杯である。ようやくワインが飲める。なんたってワインを飲みに南半球くんだりまでやって来たのだ。ワインを飲んでいないということは、旅がはじまっていないも同然だ。

定まらない焦点に気持ちの昂ぶりがあらわれている

ところで、ヨーロッパ文化圏の食事は基本的に塩味が薄い。クロアチアを旅したときは、7日目に塩おにぎりの夢を見たほどだ(その日の朝、たまらずMiso Soupと書いてあるスープを飲んだら全く味噌の味がしなかった。あれはただの豆のスープだった。絶望は重ねてやってくるのだ、ときに)。オリーブオイルとハーブだけで焼き上げた地元の魚は、美味しいのだがなんとなく気が抜けている。塩と醤油で育った日本人としては、もっと塩分が欲しいのだ。ああ、塩おにぎりが食べたい…。

ーーと、思っていたのだが、その後旅を重ねるにつれて気付いたことがある。ヨーロッパ文化圏のレストランのテーブルには、大抵塩とコショウが置かれている。そう、塩加減は自分で調整するのだ。は、早く言ってよね〜〜〜?!

ということで、到着しました

10数年ぶりに食べたリコッタチーズのパンケーキは、思った以上にあっさりだった。ふーん、こんな味だったっけ?十分に美味しいが、高さにビビりながら食べた10年前のパンケーキのほうが数段美味しかった気がするから不思議だ。なんでも手に入れば幸福というわけではないのだ、きっと。目の前に座っている夫と、10年前とおなじものを食べられていることこそを幸福と呼ぼう。少なくとも、わたしは。

こうしてパンケーキとサーモンプレート、ワイン1杯ずつを頼んで思い出に浸った世界一の朝食、お会計はAu$100だった。日本円にしてざっと10000円です。………た、高ッ!!

値段を気にせず食べられる未来、まだ来てない模様

シー・ライフ・シドニー

オーストラリアに来たからには、オーストラリア固有の生き物に会いたい。

オーストラリア大陸は固有種の天国だ。調査によると、動植物の8割以上がオーストラリアにしか生息しない固有種らしい。つまりオーストラリアで出会う8割の動物たちは、「知らんやつら」なのだ。実際に今回の旅でも、町なかを歩いているだけで何度も変な動物と遭遇した。いや、動物のほうだって見ず知らずの日本人から、知らんとか変とか言われる筋合いはないと思っているだろうが……

誰や

そういうわけで、オーストラリアに来たからには動植物を見ておきたい。この日訪れたのは、シー・ライフ・シドニー。水族館だ。ダーリングハーバーの海辺に建ついかにも観光地らしい水族館なのだが、これが意外にも楽しかった。

オーストラリアハイギョ。とても愛想がいい。
テングハギのなかま。リーゼントのようなつのが可笑しかわいい。
どう考えても海で出会うと怖いシロワニ。見かけによらず、温厚らしい…ほんとかなぁ。

オーストラリアは固有種の宝庫だが、同時に絶滅危惧種の宝庫(と言うか)でもある。世界自然保護基金のホームページによると、絶滅危惧種の増加には、生息地の減少、外来種、そして異常気象が影響しているとのこと。オーストラリアの固有種たちは、ここで消滅することそれすなわち世界からの絶滅とイコールである。深刻だ。このため、水族館の収益の一部は環境保護にあてられるし、施設のあちこちには「Donation(募金)」と書かれたオブジェが置かれている。入場料は安くないが(Au$46)穏やかに生きている動物たちを守るためなら、どうぞ使ってもらいたい。

このシー・ライフ・シドニー、展示方法も結構凝っていて、わりに長い時間をかけて見て回ったが飽きなかった。途中、『乗るひとはこっち、乗らないひとはこっち』という謎の分かれ道があり、よくわからないまま「まあ、乗らないよりは、乗るほうがいいだろう」と乗るほうの道を選んだら、ペンギンエリアを船でまわるアトラクションに連れて行かれた。なるほど、こどもたちが並んでたわけだ。

思わぬ展開だった。ペンギンもびっくりである。

剥製カンガルーに会いに行く

さて、水族館をあとにした我々は、夜ご飯までのあいだの時間をどこかで雨宿りしながら過ごすことにした。

そう。この旅の期間中、シドニーは毎日土砂降りだった。日本の梅雨だってこんなに気前よく6日も続けて雨が降ったりはしない。どこの旅行サイトを見ても「この時期は気候がいい」「雨は降らない」と書かれているのに、一体なにが起きていたのだろう。あまりに雨が降るので異常気象なのかと思ったが、ニュースはいつもどおりの降水確率を伝えているし(だいたい60%くらいだ)、レストランで「今年は雨がよく降るね」なんて言葉をかけられたことは一度もかけられなかった。それともオージーたちは、こんなに雨が降ることを「気候がいい」と表現するのだろうか。まさかね。

やって来たのは、その名もずばりオーストラリア博物館。オーストラリアのこと、分かりそうじゃないですか。しかも常設展は無料で入館できるとのこと。なんという太っ腹。オーストラリアのことが分かっても、たとえ分からなくても、まったく問題のない気楽な訪問だ。

ところがこの博物館、期待していた以上に充実した時間を過ごすことができた。もちろん無料だから充実しなくとも問題はないし、シドニーを訪れるみなさん、雨宿りにおすすめの施設です。

圧巻の剥製ゾーン
剥製になってまでファイティングポーズを取らされるカンガルー。カンガルーとして生きることも、結構大変なのかもしれない。
クロコダイルの食べ方、知ってますか?まずは、水辺ではぐれた動物にガブリと噛みつき、ゴボゴボと水の中に引き込んで窒息させる。そうして丸呑みにしたあと、数日間じっとしたまま消化を待つんですって。恐ろしい…

今回の旅のいくつかある目的のひとつに、アボリジナルの歴史を知ることがあった。1788年にイギリスがオーストラリアを植民地化するまで、確かにここにあった文化と歴史。「先住民族」とひとくくりにして呼ばれがちな彼らの歴史は、実は複雑な言語と文化の体系に彩られていたそうだ。

色の違いが言語の違いだそう。たとえ隣同士の地域でも、言葉がまったく伝わらないことはよくあったそうだ。

オーストラリア人、と呼ぶとき、わたしの頭のなかにはいわゆる「白人」の姿が思い浮かぶ。色が白く、金髪で、ドイツ人ほどではないが背が高い。ときに結構太っている。ちょっと発音は違うか英語を話し(「グッディ」を「グッダイ」と発音する国だ、この国は)、ヨーロッパ文化圏の生活様式を採用している彼らを見ていると、ここはまるでヨーロッパの一部であるかのように思える。

しかし本来の「オーストラリア人」といえば、見かけも文化もポリネシア系の民族だったのだ。いや、そもそも人類を人種で分けるという行為ほど意味のないことはない。我々ホモ・サピエンスのDNAは、見た目が大きく違うように見える白人と黒人でさえ、有意な差はほとんどないそうだ。

「人類は、孤独なのかもしれない」

アボリジナルの歴史をなぞりながら、隣で夫がつぶやく。我々人類は、たったひとつの種なのだ。かつておなじ「人類」でありながら、ホモ・サピエンスが絶滅させてしまったネアンデルタール人たち。我々はあのとき、このひとつの種を存続させていかねばならないという、深い業を背負わされたのではないか。あの瞬間から人類は、ずっと孤独だったのではないか。そしてその根源的な孤独が、宇宙のどこかに「別のわたしたち」を探す動機になっているのではないかーー

そんな話をわりとまじめに交わしていたら、あっという間に時間が経っていた。わたしたちはとにかく議論が好きなのだ。最後は駆け足で通り過ぎ(たくさんの鳥の剥製があったが、夫は鳥には興味がないようだった)、目的地までのバスに乗り込むことになった。

なお、シドニーのバスはタクシーのように手を上げて止め、任意の停留所ちかくになったらボタンを押すシステムだ。車内の案内はない。これが結構難しくて、わたしたちは降りる場所がわからず目的地を乗り過ごしてしまい(まさかバスに乗ってずっとGoogleMapを見ていなければならないとは思わなかったのだ)、結局Uberを呼ぶことになった。この脱出ゲーム感もまた、文化の違う国を旅する楽しさである。もちろん、お金に糸目さえつけなければだが。

オージービーフとシラーズの夜

2日目の夜は、オージービーフを食べることにしていた。オーストラリアに来たら、オージービーフを食べながらシラーズのワインを飲みたい。それは、歩き疲れたら木陰で休みたいのとおなじくらい、ごく自明の人間的欲求だ。

うかがったのはMEAT DISTRICT CO(ミート・ディストリクト・コー)。牛肉行政地区カンパニー。ここで、オーストラリアでオージービーフ食べながらシラーズのワインを飲みたいという、ごく自然な人間的欲求を満たすことにする。

ところでシドニーでは、ワインはブドウの品種ごとに紹介されるようだった。どのお店のワインリストもそうだったし、ワインショップの陳列の仕方もそうだった。これが、ワインが好きな我々にとっては結構分かりやすくて良かった。というか、品種の違いなんかを気にするのはワインオタクにあふれた日本だけだ、という言説を聞いたことがあるが、オージーだって品種は気にするのだ。ワインオタクの端くれとして、実に気が合いそうである。

ちなみに、いわゆる「ナチュラルワイン」という区分けはどこでも見かけなかった。しいていえば、栽培と醸造の方法によって分けられたコーナーのあるワインショップはあった。なるほど確かに味わいにダイレクトに影響があるのは、SO2添加の有無よりも「造り方」のほうだ、実際は。これだけを見てもワインの消費国としての成熟度合いを感じるが、もちろんそれぞれの国にあったマーケティングがあっていい。みんな違って、みんなワインだ。

スキンコンタクト・コーナー
オーガニック栽培&ビオディナミ・コーナー

さて話をオージービーフに戻そう。選んだのはもちろん、アンガスビーフとシラーズだ。たとえば知人から、これをやるためだけにオーストラリアに行ってきたんだと言われても、「そうかもしれないな」と思うくらいにはオーストラリアの旅の重要な目的のひとつだ。

肉は見かけに反して意外と淡白で、いくらでも食べることができた。そもそも脂がこってり乗っている肉は、「甘いもの」が好きな日本人が開発した和牛くらいのものだろう。果物は甘く、野菜は過熟され、脂の乗った肉や魚を好む。もちろんわたしもそんな日本の食材を愛するもののひとりだが、東南アジアの固く青いマンゴーを手にするたび、食について無自覚のうちに過保護に生きてきたことを目の当たりにするような気がするのであった。

(シドニー!!!②へと続く)

【中編】シドニー!!!② ~野良カンガルー編~

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■ ますたやとは:
関東在住の30代、3000円ワインの民(たみ)。ワイン好きが高じて、2023年3月から都内のワイナリーで働きはじめました。
2021年J.S.A.認定ワインエキスパート取得/2022年コムラードオブチーズ認定。夫もワインエキスパートを取得し、現在はWSETLevel3を英語で挑戦中。

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