人生に怯えていた

 生きるのが辛い、と感じ始めたのはいつの頃からだろうか。高校生くらいの時には「自分は社会で言うちゃんとした生き方はできないだろう」と薄々感じるようになっていたと思う。年越し派遣村やワーキングプアなどの本を人目につかないように読んでいた記憶がある。
 その後、進学した大学は順調に卒業できれば就職の心配はあまり必要がないようなところだった。就職のことだけを考えてそこを選んだのだが、自分はそこを順調に卒業できずメンタルを損ねて辞めた。大学選びは就職率もだが、自分の興味と適性も考慮すべきだったことをその時になってようやく知った。
「自分は努力しなければ悲惨な末路を辿ることになるし、努力しても十中八九そうなる」という強い信念のようなものをいつの間にか持つようになっていた。普通の健康な人はそうした考えを抱いていないことを知ったのは、精神科医やカウンセラーとの対話を随分重ねた後だった。
 

怖かった、怖くて怖くて、怖かった。何に…と言われてもはっきりと言葉にはできない。人生そのものも怖かったし、社会にも怯えていた。
とにかく、ここではないどこかへ逃げ出すことだけを渇望していた。そういう中で、アニメやゲームや漫画に耽溺した。自分が今存在するこの世とは異なるロジックで構成されている世界に浸っていたかった。当時の自分にとってはアニメを見ている瞬間だけが正常に呼吸できているような状態だった。 田舎のTSUTAYAで借りた一本100円のDVDにどれだけ魂が救われたことだろう。アニメは僕の心が完全に狂気に染まるのを防いでくれたような気がする。褒められはしないだろうが、あれは僕には必要な時間だった。
 まだまだ社会には上手く溶け込めていない。だけど少しずつだが人生との付き合いかたは覚えていっている気がする。これから先、僕の人生が一発逆転することはないのだろう。その方法を探してのたうち回っていた時期も随分長くあった。残念ながらそんなものはなかった。少なくとも僕の人生には。でも、それでいいのだと思う。

 「やっていきましょう」という言葉がとても好きだ。「頑張りましょう」でもなく「諦めましょう」でもない。僕はもう人生を頑張れない。
でも、人生を諦めきることもまだ出来なさそうだ。やっていきましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?