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「効率が良い」って、本当にそんなに良いことなのだろうか?

効率よく学習して、短期間で英語を身につけたい。プログラミングを身につけたい、テニスが上手くなりたい。ギターが弾けるようになりたい。そんな思いは誰にでもあるだろう。僕自身もそのうちの一人だ。

しかし最近になって、「『効率が良い』というのは、本当にそんなに大事なことだろうか?」と考えるようになった。効率を追求することが悪いわけではないが、弊害も随分大きいと思うようになったのだ。

効率を追求すると、失うものもある
今から25年以上も前に、自転車で青森から東京まで旅行したことがある。311の津波で壊滅的な被害を受けた多くの小さな町や村を実際にこの足で踏みしめ、空気の匂いを嗅ぎ、泊まりに、土地の料理を食べた。もうずいぶん遠い日のことだが、今でも記憶に色濃く焼き付いている。

行きは新幹線だったから、移動はあっという間だった。見たものといえば上野駅と新青森駅の駅舎くらいで、食べたものといえば駅弁だけ。確かに効率はいいが、東京から青森の間に存在する小さな村々も、美しい景色も、そこに住む人々とも知り合う機会はなかった。効率を追求すると、実は手に入らないものがたくさんある。そんな当たり前のことに気が付いたのは、これが最初だったかもしれない。

もう一つ例をあげよう。例えば、新しい街に引っ越したとする。そうしたら大抵の人は、スマホを最大限に活用して街を開拓するに違いない。そして、これは間違いなく効率がいい。しかし、いくところは食べログが紹介するお店や、検索上位に出てくるところに著しく偏ってしまう。また目に入るのはスマホの画面ばかりになり、街そのものをろくすっぽ見なくなってしまうのだ。

僕が若かった頃はまだスマホもGoogleマップも食べログも存在しなかったから、紙の地図を片手に見知らぬ街をさ迷うしかなかった。Google マップに比べるとずいぶん効率が悪かったが、思いがけない発見がたくさんあった。「ああ、この道はこの街道につながっているのか」「この裏路地のラーメン屋さんは意外に美味しいね」などなど。そうこうするうちに、やがてその街に体そのものが馴染んでいった。

同じ事は学習にも当てはまる
同じことは学習にも当てはまる。例えば僕は久しぶりに自炊を再開したのだが、クックパッドのおかげで戸惑いは驚くくらい少なかった。レシピを検索しては、いろいろなものを作ってみた。

しかし、どうも応用が利かない。クックパッドに頼っていると、食材をどう組み合わせると何ができるのか、どんな調味料を使うとどんな風味になるのか、いつまで経っても感覚が育たないのだ。そこでクックパッドはやめにして、メチャクチャな料理を色々と作ってみた。随分失敗もしたが、やがて感触が芽生えてきて、残り物で手早く簡単なものを作れるようにいった。効率は悪かったかもしれないが、効率の良さを選んでいると得られない「何か」が、間違いなく手に入った。

そう。効率の良い学習方法というのは弊害も大きい。効率があまりにも良いからこそ、そこで思考停止してしてしまうこともあるのだ。世の中には5年も10年もピアノを習っているのに、楽譜を見ないと何も弾けない人が5万と存在する。あれなど「効率の良い学習方法」のもっとも典型的な害と言ってもいいだろう。また、手取り足取り先生に教えられすぎると、自力で開拓する能力がいつになっても育たない。「教えられすぎ」という問題も、十分に意識しておいたほうがいい。良い先生というのは、実は教えすぎないよう気をつけ、自力で開拓する余地をたくさん残しておいてくれるものなのだ。

では英語は?プログラミングは?水泳は?
では英語はどうだろう? プログラミングは? テニスや水泳は?
特に英語には「効率的な学習方法」と呼ばれるものが星の数ほども存在する。しかしどうしたわけか、ネイティブとバリバリ渡り合えるような英語力を身につけた人と遭遇することは滅多にない。これは一体どういうわけなのだろうか?

実は、目的を部分限定すれば、効率の良い学習方法というは間違いなく存在する。とりあえずTOEICで高得点を取る、英検2級に受かる、といった具合だ。こんなふうに目的を限定すると、最適化した学習方法というものは間違いなく存在する。それは例えば専用の問題集だったり、単語帳だったりする。さらにネットを使えば、一瞬でにして星の数ほどの学習方法を見つけることができる。ゴミ情報が多いのも確かだが、役立つ良質な情報も多い。そう、インターネットは間違いなく学習の高速道路なのだ。

しかし、それだけでは届かない世界もある。当たり前だが、TOEICで高得点を効率よく取ることと、ビジネスの現場でネイティブとバリバリ渡り合える実力をつけるのは、全く別の話だ。本当に応用の効く力をつけたいと思ったら、効率という考え方からは一度離れて、自分なりに試行錯誤を繰り返していく必要がある。

プログラミングも同じだ。ああでもないこうでもないと創意工夫を繰り返すうちに、プログラミングの世界がより身近なものとなる。間違いを犯すのが怖くなくなる。むしろ、間違えることが新しい発見につながることがわかってくる。ちょうど新しい街で迷うのと同じなのだ。

うまく組み合わせよう
効率を追求する時期は確かに必要だし、そういった学習方法が別に悪いわけではない。例えば英語なら、中3までの内容をしっかりと復習し、あとは単語帳とTOEICの問題集をグルグル回せばTOEICでそこそこの点数はすぐ取れる。ギターを弾けるようになりたかったら、とりあえずコードを20くらい覚えてしまえば、タブ譜を見ながら簡単な曲をすぐに弾けるようになる。キッカケとしては悪くないのだ。

しかし、いつまでのこういった「効率的な学習法」に依存していると、その先が開拓できない。基礎的な力が身についたら、お仕着せの教材は捨ててその世界にドップリと浸ってみよう。自分なりに冒険をし、道に迷いながら自分の世界を少しずつ広げていくのだ。

英語なら学習用に加工されたものではなく、ネイティブ向けの書籍や記事を読んだり、ポッドキャストを聞いたり、実際にネイティブと喋ったりしてみよう。ギターならお気に入りの曲を耳コピしたり、人前で演奏を披露したり、友達をバンドを組んでジャムってみよう。そうしてこそ初めて、自分の世界が広がっていくのだ。

親や指導者のすべきこと
学校の勉強というのは、学習方法も正解もあらかじめ決められているから、与えられたやり方に沿って学習すれば良い成績が取れるようにできている。しかし、一度学校を卒業すると、僕らは突如として「正解がない世界」へと放り込まれる。しかも、僕らは、正解なんてどこにもない、数百年の一度の変革きの真っ只中を生きている。

子育てをしていると、つい子供に最短距離で歩ませたくなってしまうのが親心だ。これはよーくわかる。しかし、親や学校が教える「最短距離」は、とんでもない時代遅れである可能性も否めないのだ。効率を追求することを全否定するつもりはないが、その弊害も頭に留めておく必要がある。

今。僕らがもっとも身につけなければならないのは、「自分なりの学習方法を編み出すチカラ」なのだ。こんな効率優先な時代だからこそ、少し効率を横に置いて考えてみてはどうだろうか?

そんなふうに思う今日この頃です。

PS:
僕がフィリピンで経営している語学学校、Brighture English Academy では、とりあえずその場しのぎができる英語力ではなく、実践の場で応用がきく英語力の育成を目指しています。興味のある方は下記までどうぞ。

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