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無駄をなくして、無駄をつくる人生。

最近、無駄について考えている。無駄とひとまとめに言っても「時間の」とか「食べ物の」、「お金の」などの無駄の前に着く言葉によってだいぶ変わってくるだろう。ただ、経験の無駄ってあるのかな?と思っている。

そんなわけで、私たちがしているのは、経験をすること。最近はここにフォーカスをしている。経験をするっていっても幅広いけど、私たちが選んだのは知らないことを知ることだ。例えば、知らない人に会う、知らない土地に行く、知らない食べ物を食べてみる。様々だ。なんで選んだかって、いつも自分がイノベーションされていく感覚が好きで、その結果はこれからも使えるんじゃないかなと感じているから。これがあっているかどうか分からないけど。

自分たちの話になっちゃてごめんなさい、、、これからタイトルの通り、無駄を無くして、無駄を作るってどんなことなのかなって書いていきたいと思う。

「人生は無駄だらけ。」何のために生きるかわからない僕には、その言葉が頭にある。生きる意味もわからない、死ぬ意味もわからないのに、生きる??この矛盾を解決してくれる人はいるのだろうか。

意味がわからないことをやることを、人は極端に嫌ってはいないだろうか。お金ももらえないのに嫌いな仕事をする。足が速くならないと分かっているのに、監督に言われたメニューをこなす。成果が出ると保証されてもいない、絶対成果が出ない、幸せになれないのに、喜んでやる人はどのくらいいるのかな。

僕にとって人生も同じ。いろんな考え方は人が生きることを肯定的に捉えるために存在しているけど、それらが消えたらみんなどうするんだろう。死んだ後の世界の方が幸せとか。誰もそのことを知らないから、とりあえず生きる今をどうにかして生きてるっていうのが今生きてる人たちなのかなって感じてる。

じゃあ一生懸命に生きたからって何が待ち受けるのかな。宗教とかにはいろんな死生観があって、それを信じて皆が幸せを感じられる社会が回るならいいんじゃないかなと思う。けど、それらの根拠って存在するのかな。僕は今の時点で完璧な回答を持った死生観に触れたことがない。

そう言った意味で、いいことしても天国があるとは限らない、輪廻を抜けられるとは限らない、悪いことしても地獄に行くとは限らない、いいことしたと思えた結果が後世に悪い影響をおよぼすかもしれない、悪いことしまくっても天国に行けるかもしれない。。。つまり、この世に生み出された秩序や規則があっているのか誰もわからない。常に暫定でありながら、未来を動かそうと人は生きいている。

ここから見えてくることは、人生は無駄。成果はないけど、生き方を肯定しようとする自己満足レースでしかない。自分が幸せと思える場やものを追い求めていく。それはお金だったり、家だったりペットだったり様々であろう。ではどうやって自己満足度を高めていくのか。

人には共感の能力がある。相手の痛みを自分のように感じたり、一緒に喜んだり。相手に共感し、心を働かせることで自分も幸せになれる。そのように心に訴えながら秩序が保たれていることは確かだ。そのような共感という人間臭さを残さなければ、この世界はさらにカオスであったかもしれない。

私たちが見てる方向性として、自己満足のためにその共感に重きを置いている。つまりここで、金銭、物は無駄と捉えた。ミニマリスト的かもしれないが、それらを蓄えたところで見た目にしかならないことを知る。いいものを買ってもいつかはこわれ、飽き、自分のほうが最初に消える。それら外面的な喜びで、継続性はない。つまり本質的な幸せにならない。人生は無駄だけど、私たちはこれらはその中でもさらに無駄と捉えた。そしてそれら無駄をなくすことに努めている。これが無駄をなくすっていう部分。それと同時に、それら無駄(もの、おかねなど)のために使う自分の時間も強い無駄と捉えた。

先ほども出てきた共感の能力は、無駄な人生の中でも継続的に咲く花、もしくはその根になれるのかなと思う。共感は内面的作用から来るもの。人生は自己満足レースだと書いたが、自己満足レースを一歩リードするためのツールになるんじゃないかと思っている。自己満足したもの勝ち(勝ち負けという表現は嫌いだが、わかりやすくなるために使う)ならば、より栄養価の高く、長く続くものを手に入れた方が綺麗な花が咲く。(ここでにある敵のような存在は自分を指す)

栄養とは発見ではないかと。発見は喜び、幸せ、ドキドキを与え、活力をくれる。長く続くために、記憶の定着が求められ、発見が豊かならば、振り返りをたくさんすることで記憶は定着していくだろう。そこから内面的に作用することで、自らの喜びをもたらす。そしてそれとともに死ねる。共感ないし、それによる豊かさは自分の体と一体化されている。これが私たちが生み出そうとしている無駄の部分だ。そしてそれに費やす時間も無駄である。

そのために旅をし、いろんな無駄に出会う。そして心が壊れ、広がり、喜ぶ瞬間を楽しみながら自己を形成していく。人生は無駄だ。

「無駄をなくして、無駄をつくる人生」。私たちは以上のような理由で今のような舵をとっている。将来的にどうなるかわからないし、他の人が間違っているとは言わない。ただしこのような考え方もあるのだ。




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