見出し画像

友情

訳はできるけど、ニュアンスとしては全く違う外国語に、我々はたまに遭遇しますね。
訳せないというか、そういう概念自体聞いたことがないという言葉はどうでしょう。

「自由」「正義」「友情」
なんと、このへんの言葉はそういう必要に迫られて明治以降作っちゃった言葉なんです。それより前の人間は使ってない。つまり日本人にそういう概念はなかった。

「自由」は福沢諭吉が作った言葉。
「正義」にいたっては概念としても、相当あとに生まれていて、20世紀のアメリカの哲学者ロールズが確立したといわれてます。(新撰組の「義」はちょっと違いますもんね。)

「友情」もなかった。
なんてちょっと信じられませんが、あれが基本的に対等な人間関係の産物である以上、やっぱり最近の概念なのでしょう。どっちにしろ輸入モノであることにかわりはありません。

ところが戦国時代に生きた石田三成という人物はおもしろい人で、「自由」はないにしても、「正義」とか「友情」とかそういう近代の感情で動いていたフシがあります。

近年の石田三成の中でも出色なのが「真田丸」の山本耕史。頭切れるけど、つまんないこと気にしてちょっと器が小さい、けど、基本的にめちゃくちゃいい奴。歴代でいえば「葵徳川三代」の江守徹という素晴らしい役者がいますが、山本・三成も負けてません。

関が原において、亡き太閤の恩に報いるというのは西軍の大きなモチベーションですが、一方加藤清正や福島正則のように当時の5大老筆頭・徳川家康にも大恩があるとなると、悩みつつ今後のことも考えて東軍に加わるわけです。石田三成に言わせれば、恩を比べること自体おかしい。どちらが正義か?政権をのっとろうとしている家康は糾弾すべき悪以外の何者でもないわけです。現代に生きる我々には当たり前に思えるそういう感情も、下剋上当然、功利主義の当時の日本で、これはよほどの変わり者とみなければなりません。(続く)PS:次は結構いい話です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?