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今日の私は、1年越しでようやく気が付いた自分の中の壁

11,533日目

うまくまとまってはいない。
でも自分の頭を整理するためにも、私のコーチとの対話を書いてみたいと思う。

コーチングセッションではなく、「コーチとの対話」と書いた理由は何か?

1年前に受けたコーチングセッションについてお話する機会が欲しいと考え改めて時間を取ることにしたからだ。

この依頼をするのに長くかかった。ようやくコーチと話してみたい、と踏み出すことができた。
「まるでかさぶた。でもまだ完全に内側が癒えてはいない状態」
勇気を持って久しぶりにメールをした。


===これまでのセッションでの内容===

ずっと取り扱ってきた、未来志向で成長欲求のある戦略的な一面。時々、気持ちより頭が先行してしまい、心が置いてきぼりになる。

その自分の一面を、コーチと「レンズ君」と呼んで意識して分離するようにしていた。(賢そうなイメージでメガネを連想して「レンズ君」だったか?由来はうろ覚え…)自分とレンズ君を分離することで心が置いてきぼりにならずに、いい状態で行動を選択できるようになってきた。

しかし、レンズ君は悪いものなのか?
私としては、未来に向けた成長を促してくれるので完全懲悪ではなく、心の声と照らし合わせてレンズ君のつけ外しをできるようになればいい、そう考えてきた。
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1年前: 2023年4月17日 のセッション

1時間の予定だったセッションが2時間になった日。
私が感情的になってしまったこと、が強く心に残っている。

このセッションでも、未来に向けてどう行動していくのかをテーマに話していたが、徐々にそれが本当に心の声なのかわからなくなってきた。
頭でやるべきだから(やった方がいいから)というレンズ君の声かどうか、心から感じていることなのか見分けがつかなくなってくる。

そんなタイミングでコーチからいくつか心重視にこうしてみては?との提案があった。

急に「わかってるよ」という気持ちが抑えられなくなり、「わかっているけれどできない自分に対する怒り」「レンズ君を撲滅しなくちゃいけないのかという悲しみ」そんなものがごちゃごちゃになって感情があふれ出した。

クライアントとして受け取ったコーチの提案から「レンズ君は早く取り除いてしまえばいい」という風に聞こえたのもあったのかもしれない。

とにかくごちゃまぜになった感情と考えが溢れて、2時間で何となく収まった解はあったけれど、正直わだかまりの残るセッションとなった。

今年の対話: 2024年4月8日 

改めて、あの時何が起こっていたのかの振り返りの時間。

「レンズ君は早く取り除いてしまえばいい」という想いはあったのか、と聞いた。
すると、クライアントである私にとってよさそうだと雰囲気から感じていた上で、コーチ自身の願い(『ない方がいいのでは』という気持ち)も入っていたかもしれないと答えてくれた。

もしかすると、レンズ君をつけ外しできるようになりたいという私の意思が、コーチの中で私はレンズ君は外したいのだというところに置き換わっていたのかもしれない、と。

この「レンズ君」に対する見方がずれを生じて、インパクトとしては「早く取り除かなくてはいけないもの」と押し付けられているような印象を持ったのだ。

振り返ると、【レンズ君について、コーチは取り外した方がいいと考えているのかもしれないという感覚】はこの数回前のセッションから薄々と感じていたことではあった。

でもなぜか、(心理的安全性の高いコーチングの場でさえ)コーチに私の感覚・違和感を伝えられなかった。

なぜか?


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「期待に応えたい」という声があったからだと思う。

コーチは私のためを思ってくれる存在であるから、コーチの願いを大切にしたいと思ってしまったのだ。

私は、特に人の期待に応えるのは強みで、小さい頃から頑張ってこれたから。

自分がコーチをしている中でこんな考えのクライアントがいたら「そんなことしなくていい…!」とはっきりと絶対に言う。それなのに、無意識の癖で、目の前の信頼する人を裏切りたくはないという気持ちが芽生えてしまったのだ。

それが、レンズ君を消している私の方がきっといい状態なんだと思い込もうとしたけれど、でも何か違う…そんな思いから感情が抑えられない事態に至ったのだと思う。

目の前の人の気分を害したくない、期待に応えたい、という強い信念が実は自分に無理をさせる結果になっていたなんて、正直びっくりした。

本当にいたい自分でいるための壁だ。
期待に応えたいという壁

無意識に好きな人や目の前の人に合わせて、期待に応えようとしてしまうこと。

話している内容が深く相手を信頼しているからこそ、巧妙に、気が付かないうちにこの壁は入り込んできていたことに気が付いた。

人に合わせられる、ということは強みでもあり、意識的に使えば全く問題ないものだということは知っている。

いつの間にかなりたい自分ではないところで無理をしてしまうことがよくないことなんだ。

まずは、期待に応えたい壁の存在に気づくこと。大体の場合、違和感という形で私に教えてくれる。

そして、気が付いたら「もしかしたらあなたの期待や願いとは違うかもしれないけれど、私はこうありたいのです」ということを言えるようになることが目標。

ーーー

1年越しでコーチと対話したことで、ようやくわかった。

去年は感情的になってしまった自分がすごく嫌で、正直何が起きているのかこんな風に冷静には捉えられなかった。

コーチに私が感じたことを伝える、コーチとしてはどういう想いだったのか聞くという行動を起こしたことで、かさぶたがちゃんと傷になって、次に向かう新しい部分になっていけそうな気がする。

そして、うやむやになんとなく放っておくことができたことに対して踏み出した私はえらい、って褒めている:) 向き合って心から話をしてくれたコーチにもとても感謝。


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