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やっぱり人は一人じゃ生きていけないんだと思った話。

Gyebaleko!(ジェバレコ!)
ウガンダからこんにちは。
早いもので(?)ウガンダに来てもうすぐで4か月が経とうとしています。
日本も秋口でしょうか。月見バーガーが恋しい季節ですね。(ウガンダにはマックがありません)
実は10月末くらいから、少しばかり心を病んでしまい、先週しばし首都で休んでいました。

別に何か特別大きなこと起きたわけではありません。
ただ、(こんなこと書いていいのか分かりませんが)配属先から毎日のように「資金を持ってこい」と要求されたこと、ドライバー代を過剰請求されたこと(本人は正当な値段だと言っているが)、カウンターパートに心無い言葉を何度も言われたこと、そもそもスタッフがオフィスにほぼ来ないこと等から(他にも多々ありますが省略します)、わたしは配属先に対し不信感を抱き、途中から「配属先と一緒に」何かをするということを諦め、一人で活動をしていた結果、日々のストレスや孤独感が心にたまり、限界が来てしまったようです。そして、そのストレスを家族や大切な人と電話をするたびにぶつけ、

「私は困っている人を助けにきたはずなのに、人を助けるどころか、大切な人に迷惑をかけて傷つけてしかいない…」

と余計自分が嫌になっていく一方でした。

夜は寝られず、朝は早朝に目が覚めてしまい、二度寝ができない。
8時くらいに、そろそろ起きなきゃと思うも、身体が重くて起きられない。
ようやく昼前に起き上がるけど、何もする気になれない。
家から出たくない。出来れば人に会いたくない、話したくない。

ふと「ちょっといつもの自分と違うな」と気づき、JICAの健康管理員さんに心身の変化があった旨を連絡したところ、「明日にでも首都に上がってきてほしい」とのことで、翌日首都に上がることに。

自分でも正直「大袈裟だなあ…」と思い、その時は1泊で帰るつもりだったので荷物も最小限にして来たのですが、健康管理員さん、そして担当の調整員さんと話をすると、溢れるほど涙が出てきて、自分でも気が付かないうちに心が病みかけていたことを、その時になって初めて気づきました。

たった3か月。どんだけ自分は弱いんだ、と悲しくなりました。
それと同時に、自分で自分の弱さを認め、この経験が自分を強くするんだ、もっと強くならないといけないんだ、と自分に言い聞かせました。

その日は首都配属の先輩(シニア)隊員の方のご自宅に泊めてもらうことにしたのですが、「来週まで泊まっていいよ」と言ってくださり、
確かに翌日帰れるような心持ではなかったので、お言葉に甘えて結局1週間も滞在させてもらうことに。

久しぶりに食べる日本食。
久しぶりに浴びるお湯シャワー。
快適なベッド。
そして何より、信頼できる人がすぐそばにいる安心感。

首都滞在中も、心配してLINEをくれる同期。
そして、どんなときも、離れていても、一番の身方になってくれる家族。

普段、人を疑うことに慣れてしまったせいか、久しぶりに感じる周りの人の「純粋な優しさ」に、心が満たされていくのを感じました。
そして自分は「孤独」に苦しんでいて、必要なのは、「人の温かさ」だったんだろうなと思います。

人を傷つけるのも人。人を癒すのも人。
そして、人は弱いからこそ一人では生きていけず、人を支え、人に支えられながら生きていかなければならないのだ、と実感した1週間でした。(金八先生みたいですね)

任地に帰任する日曜日の朝。
「メイ!ずっと見てないけど大丈夫か!前一緒に訪問したグループが、メイが作ると言ってたチラシ、みんな待ってるってよ!」と、よく話をしていた農家さんから電話がありました。
配属先の人じゃなくてもいい。こうして自分のことを気にかけ、必要としてくれる人を大切に、何とかもう少し頑張ってみようと思います。


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