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苦手なものを知ってもらうということ

これは最近、わたしが努めていること。

苦手でも できちゃうこと

わたしにとって「苦手なもの・こと」とは、一部を除けば「どうにか頑張れば乗り越えられなくはないこと」とイコールだった。"一部"っていうのは、ど~~~がんばっても鳥類の見た目が恐ろしくて苦手だから、鳥類に触ることや動物園の鳥獣エリアに行くことだとか。これはどう頑張ったってできない。

その他の……たとえば「生トマトが苦手」だとか「大人数が集まる交流会が苦手」なんかは「チーズと一緒に食べればなんとか食べられる」、「ゆくゆく宝になる人脈ができる場所かもしれないと自分に言い聞かせて行ってみる」といった根性論で突破してきたことも多かった。


苦手なものを知ってもらえると、うれしい

友人とご飯に行って「そういえばトマト、ダメだったよね?」と気にしてくれたとき。「8月にバーベキューの予定あるけど……真夏のアウトドアなんてメメは絶対来ないよね?w」と確認してくれたとき。動物園に行って「そのまま進んじゃうと鳥エリアだよ」と声をかけてくれたとき。

うれしいな、と思う。
だからわたしも、ワサビが苦手な友人とお寿司屋さんに行ったときには、ノールックで「サビ抜き」をタッチパネルで押せる自分でありたい。

うれしいと同時に、わたしとあなたの関係がうまく回っているなぁと感慨深く思うこともある。お互いに、無理は押し付けない。もし万が一、押し付けたくなるときでもあっても「わたしはあなたがコレを苦手だと知っているけど、一緒にコレをやりたい理由がある」をきちんと示せるだろうし。


正直パンク寸前だったこのごろ

あまり父が亡くなったことを、自分がうまく何かをできない理由やきっかけにしたくないのだけど、まぁ血の繋がった親を看取るというのは普通に考えて人生に最大2回しかない大きな出来事のうちのひとつだ。

目の前のことよりも「心配ごと」に頭がいっぱいで身動きできなくなる終末期。いなくなった喪失感で自分の生活の価値観が変わる、亡くなったあと。

自分の脳が動かずとも身体が反射的に動くことでなんとか社会に紛れこんでいるような感覚。連絡が来たら返信する、仕事を振られたら対応する。もやもやが生まれたらこうやってnoteや手帳に文字を書く。読みたい本を書店で「探す」(=脳を動かす)ことはできないけれど、目の前に差し出された本を「読め」といわれて読むことはできる。一昔前のロボットのようだ。

以前からわたしを知っている人からすれば、わたし=複業の印象が強いと思うけれど、実はここ4ヶ月ほどは会社員とライターのお仕事1社を中心にがんばっている。挙手制で仕事をいただけるタイプのお仕事たちはすこしお休みをいただいている現状。「この方の記事を担当させてください」と名乗り出て、公開されるその日まで、業務をつつがなく完遂できる自分がどうしても今は想像できなくて。今のボヤボヤした自分を自分が一番信用していないので、手を挙げることが恐ろしいと感じてしまう。

それでも、この状態が半年も1年も続くようではわたしも辛い。状況を変えたいし、今の「しんどい」を少しでも軽くしたい。じゃあ、わたしは何から始めたらいいだろう?そんなことを考えたときに辿りついたひとつが、苦手なものを知ってもらうこと、だったのだ。


大人数が、苦手です

まず、今の自分を立て直すために、本来苦手だけど頑張ろうとしていたことを「実は苦手です」と相手に伝えることに取り組んでいる。「自分ならできるはず」と思っていたことを「実は、今はすこし難しいんです」と打ち明けている。

先日も「実はあまり大人数の交流会は得意ではないんです」と打ち明けた。Zoomであれオフラインであれ、一定数以上の人数の中で発言することにとてつもないストレスを感じてしまうのだ。今のわたしがこの"苦手"を予定に組み込んで生活できる気がしなくて、思い切って打ち明けた。

「苦手」だけを一方的に伝えるのはただのワガママだと感じている自分もいる。そのうえ、ややこしいことに「交流したい」意思だけは一丁前にあるので「少人数でお話できる場があればぜひ」と添えた。打ち明けた相手の方は「そうだったんですね!今度、東京で◯◯さんと僕と3人でご飯に行きましょう!」とすぐに別案をくれて、ほっとした。

正直、言われた側は気持ちよくないことだってあると思う。心を込めて作った手料理に「僕、手料理って苦手なんだ」と告げられたら。そんな人もいるよねと頭では理解できても協調や納得ができるかと言われたら別問題だろう。リーダーとしてチームビルディングに重きをおく人であれば、わたしの「大人数は……」な苦手申告は興を削ぐものかもしれない。

それでもわたしは、ともすれば嫌われるリスクを背負ってでも「苦手です」「上手くできそうにないです、ごめんなさい」を伝える生き方を選んでみたのだ。少なくとも今は。これはHSPを自称するわたしにとっては一大決心だった。


苦手申告はドキドキハラハラ

「これを伝えて、もし嫌われたらそれも仕方ないよね」と一緒に食事をしていた友人につぶやきながら、一大決心でメッセージ送信ボタンを押す。「こういう方法でも可能ですか?」という提案もできるだけ添えるよう努力もしながら。何回も書き直した「これ実は苦手なんです」文章が電波に乗って飛んでいく瞬間は、やっぱり汗がでるものだ。

今のところ、ありがたいことに「そうなんだね!」「それは仕方ないよ、話してくれてありがとう」と受け入れてくれる人たちばかりで本当に本当に感謝している。

果たせない・果たすにはわたしが"苦手"に真正面から向き合わなくちゃいけない、そんな約束を雪だるま式に抱えると心が圧迫されていく。無理して「検討します」「やってみます」しか発せなかった口をやっと矯正しようとしている。


苦手を知り合うのもいいんじゃない?

みんなのプロフィールには、好きで得意なことやお仕事、スキルがたくさん書いてある。

でも、実は「苦手なこと」をお互い知り合って関係を築いていくのもいいんじゃないかな。ということでわたしの苦手なことリストを書いて今日は、さようなら。

・4人以上の会議が苦手です(1on1大好き)
・初対面同士の交流会が苦手です(お仕事をしているその時々で、タッグを組んだり密にやりとりしたりしていくうちに自然と仲を深めたいです)
・やりがい搾取が苦手です(とくに業務委託では報酬の発生しない自助努力等を強く求められると気持ちが離れます)
・「適当にやってください」が苦手です(気を楽に!の意味と気遣いだと理解していますが、アウトプットの方向性や成すべきことは事前に細かく指差し確認しておきたいです)
・夏の外出が苦手です(レジャーはほぼ断ります…)
・鳥類が超超超超苦手です(テレビに一瞬でも映れば叫んで目を瞑ります。iPhoneの絵文字も無理なほど……)

おわり

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