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正義は勝てない

日々ニュースでも見かけますが、自分のFacebookに写真を撮っている人たちのマナーの悪さについて書きました。
以前も嫌な思いをする事が合って、今回だけではなく、もう日常的になってきて、いろんなひとに知ってほしい思いがあって書きました。
わたしの口の悪さもあってだと思うけど、愚痴は友人限定にしようと言われて、Facebookは公開範囲を狭めました。(ご指摘ありがとうございます)

書いた内容にプラスして、伝えたかったことをこちらにも書いておきます。

わたしが働いているお店は、伝統工芸品を扱うお店です。書いてしまうと大体の場所がバレますが、和傘や提灯、和紙、木工品や刃物などを取り扱っています。窓には提灯のディスプレイがあり、いつも明かりを灯しています。
普段から観光客が多く、ちょうど今の時期は一番多く人が訪れる時期でもあります。

お店(=わたしの職場)がある場所は、景観が良いので定期的に写真教室が行われていたり、フォトスポット(インスタ映え)を求めて訪れるひとや、ブライダルの撮影などもあります。お店それぞれですが、わたしがいるお店では写真を撮ることは自由です。とはいえ、最低限の常識、マナーはある前提で。(と思っています。)

今日は、お店に写真教室らしきカメラ集団が来ました。
わたしは写真教室の集団や、カメラを持った集団が怖くて、というのもいつもどおり店番をしていたときに、全く知らないおじさんカメラ集団がお店に入ってきて、何を買うでもなくお店の中をただ騒がしく撮りまくられたことがあったり、カメラ構えられながら「こっち向いて〜?」と言われたり、「撮っちゃった!」と言われ、すでに撮られていたこともありました。

知らないおじさんに勝手に撮られた気持ち悪さと怖さがずっと残っていて、今でもお店の前からカメラがこちらを向いているのがわかると、奥に逃げます。相手は商品を撮っていて、わたしのことは撮っていないかもしれない、フレームから外れているか、後ろでボケているかもしれない、でもカメラがこちらを向いているだけでアウトなんです。
だけど、接客中やお客さんがお店の中にいるときはそうにもいかず、とても怖くて嫌な思いをしています。それと、お客さんのことを撮られているんじゃないかという心配もあります。

今日はお店の前でガラス越しに撮影がはじまってしまって、お店の前に大勢の人が群がりました。
そのときは幸い、ほかのお客さんはおらず、お店の中にはわたししかいませんでしたが、動物園の檻の中の動物の気分でした。(いつもこうだけど)
わたしはじっと外の撮影者たちを見ていて、彼らはずっと提灯や店内をガラス越しに撮っていました。終いには、出入り口まで塞いで撮影をはじめてしまい、後ろでお買いものしたそうなお客さんが入りたそうにしたいるのにずっと自分の欲を満たすためだけにファインダーを覗いていました。周りにいたカメラ持った人たちも何にも言いませんでした。撮った写真を確認したり、撮っている人にアドバイスしているように見えました。

お買い物したそうなお客さんは気を使ってずっと待っていたけれど、わたしは我慢ならなかったので、撮影していた人に「お店の出入り口を塞いでの撮影はお控えください」と伝えました。
そしたら、「うわあ、びっくりした!やっぱり怒られちゃった〜!は〜あ!」と言われました。なんだこいつってすっごく思った。気持ち悪いと思った。何がは〜あなのか教えてよって。こっちがは〜あなんですけど。

その一言で、カメラ集団はどこかへ行きました。「撮っちゃだめなんだってー」と聞こえたけれど、それは大きな解釈違いです。迷惑かかる撮影を控えてほしいだけです。
またどこか移動して迷惑行為をするんだろうなと思いながら、待っていたお客さんをお店の中にいれました。外からは名残惜しいのか、まだカメラを構えているひとがいました。何を撮ったんだろう。

なにか一言もらえたら、と思いました。ひたすらカメラを向けられて気味が悪いです。

この町に写真を撮りに来るひとだけではなく、全国どこでも写真を撮っている人たちのマナーが悪いというのを目にします。わたしも写真を撮っている身なので、悲しいし悔しいです。
一部のマナー違反で撮れなくなるものや場所が増えています。カメラを持っている人、写真を撮っている人=マナーの悪い人と言われるようになります。

失礼ですが、マナーが悪いと感じるはだいたい年配の方です。(今日の写真教室もこれまでもそうでした)若いひとたちは「撮影してもいいですか」と聞いてくださったり、こちらから「ほかのお客様の顔が入らないようにしてくださいね」というとしっかり守ってくれます。
もちろん、年配の方でも確認を取ってくださる人はいますし、逆にマナーの悪い若者も大勢いますけれど。後に写真を撮りたいと思った物や場所が撮れないなんて悲しいことなので、自分の欲ばかり優先してしまいがちだけど、後の人のことも考えてくれませんか。

マナーは守れない、モラルもわからない、そんなひとはカメラ持つことをやめたほうがいいです。いますぐに。
自分の欲を優先して、周りに迷惑をかけてまで撮影しなきゃいけないものですか。

わたしは誰かの撮影したい欲を満たすために商品を陳列したわけではないです。撮影されるために店番をしているわけでもないです。
何度も言うけれど店内を撮ることは構いません。この町もすてきな場所なので撮ってほしいです。禁止されていることや、迷惑にならない程度に、思う存分撮っていいと思っています。

ニュースやネットでは、日々、写真撮影について話題になっています。
春先に人の家の畑に大勢の人が入って、一本の桜を撮影する光景には目を疑いました。SNSでは外で前撮りしていたら、知らないひとたちから勝手に被写体にされ撮影されていたという写真や呟きも見ました。
そのカメラマン達の感覚はどうなっているのかと考えてしまいます。散々ニュースになっているのに減らない迷惑行為、どうしてなんでしょうか。
やってはいけないことを、なんでやってしまうのでしょうか。わかんないんでしょうか、知らないんでしょうか。同じことされたらどう思うのでしょうか。わたし、勝手に家の畑入ってあげましょうか?あなたの事、勝手に撮影してあげましょうか?

「もっといい写真を撮りたかった」なんて、迷惑をかけて撮った写真は、どれだけきれいに撮れていたとしてもクズです。クソです。価値なんて全く無いし、最低で最悪です。評価するにも値しません。消えてくれ。一刻も早くカメラなんかやめたほうがいいです。あなたにカメラなんて必要ないです。
(加筆:言い方がよくないねと言われたけれど、こちら側はそう思うほど、ほんとうに嫌な気持ちだったんです)

「そんなカメラマンばかりじゃないよ!」というひとたちは、今のわたしの立場をぜひ経験してください。もちろん、すてきなカメラマンをわたしも知っています。まわりに大勢います。でも、おかしな偽物のカメラマンも大勢います。現に、今日来ました。
わたしが性格的に神経質だからかもしれないけれど、どうしても気になってしまうし、カメラを持った人が来るたびに神経をすり減らしています。今日、このことがきっかけで仕事を辞めるという選択肢を考えました。気持ち悪くて、これからも続くようであれば精神的に耐えれそうにないと思います。大袈裟だなと思うかもしれないですが、一度怖い思いをしたトラウマはそんな簡単に消えません。嫌なことほど覚えています。それが途切れることなく、これからもずっと感じ続けなきゃいけないと思うとぞっとします。

写真の撮り方講座をする前に、写真を撮りに行くときのマナー講座でも受けてきたらどうですか?と声を大にして言いたい。
大の大人がマナーも守れないなんて恥ずかしくないですか。写真撮影だけでなく、ポイ捨てや、吸ってはいけない場所での煙草も。やっていることが人として恥ずかしくないですか。マナーが守れもしない人がよく堂々と続けているなと日々思います。

それから、写真教室の講師も撮影時のマナーについてお話しないのでしょうか?それともそれ相応の講師なのでしょうか?(これは煽りかもね)
今日は講師が同行しているように見えましたが、何もわかっていない年配集団の集まりだったんでしょうか。
まだ前回の集団のほうがよかったです。「撮っていいですか?」と聞いてくれたし、大勢でお店の中に入ってきたけど、撮影したらサッと出てくれたし、「ありがとう」、「お邪魔しました」、「お騒がせしてすみません」というお礼やお詫びの言葉がある方が多かったです。(そうじゃないひともいますけど)

あ、撮影していいか確認を取ればいいんだねという話ではないですからね?

被害を受けているのはこちらなのに相手のほうが楽しそうにしている。そんなのおかしいくないですか。
なぜみんなが認識して守らなければいけないことなのに、ずっと誰も言わずにいる?なぜ注意できずにいる?なぜずっと怯えている?正しいのはこちらなのに。

誰も言ってくれない。誰もちゃんと見てくれない。じゃあ言うしかないじゃん。わたしは、とあるきっかけから、ずっとそう思ってきました。
自分の中の正しさをいつも殺して、みんなだんだん大人になっていくけれど、ほんとうにそれでいいの?見てみぬふりばかりでいいの?
空気読めないねと言われるのが怖くても、言わなきゃ相手もわかってくれないこともある。空気読めたら、相手だってとっくに気づいてるはず。気づいていないんだから言葉で伝えなきゃって思います。

わたしは、ずっと自分の中の正しさを守ってきました。それでもいつも、正義は勝てない。今日だって。
わたしひとりで「そんなことしちゃだめだよ!」って言っても、悔しいことに大勢声に飲み込まれてしまう。
みんなで大きな力になりたい。みんなで立ち向かいたい。マナー違反はだめだよって言えるようになってほしい。違反しちゃったときに、ごめんなさいを言えるようになってほしい。言える人が一人でも増えてほしい。
それは、これからもいろんな写真を撮りたいから。みんなに撮ってほしいから。撮れなくなりましたとか、マナーが悪くて困っていますとか悲しいお知らせを聞きたくないから。気持ちよく写真を楽しいんでほしいから。これ以上嫌な思いをする人が出てほしくないから。
わたしからしたら、当たり前の事、当たり前にしませんか。という言い方になってしまうんですが、その感情は少し抑えておきますね。

書き始めが22時代だったんだけど、気づいたら1時で言いたいこときっともっとあるんだけれど、もう眠くなってきて頭も回らなくなってしまったので、最後にちょっとだけ。
撮影するときに、まわりのひとに迷惑をかけていないか一度まわりを見渡しませんか。
知らない人やお店は撮影していいか、声をかけませんか。
禁止されていることは潔くやめませんか。
あの人がやっているから、みんながやっているから大丈夫、という考え方やめませんか。
普段から「ありがとう」と「ごめんなさい」、ちゃんと言いませんか。
普段から人として、最低限のことしませんか。

ほんの少し考えればわかること、ほんの少し気配りできれば変わること、気づいてほしい。みんなの中の正しさをちゃんと守ってほしい。
思い出してください。写真の楽しさは、マナーやルールを破ってまで撮ることではないはずです。

2019年7月15日 岩田あや乃

追記①
やっと全部書いた。最後の内容が薄くて悲しい。眠たい。
言葉を選び選びだったので、思ったよりも時間がかかってしまいました。(ほんとうはもっと汚い言葉だったとは言えない)
書いておかないと自分の中の正しさが死ぬと思いました。わたしの正義はいつも勝てないまま。”あのとき”も。いつもひとりで立ち向かって失敗するし、「協力してって言わなかったからじゃん」と責められたこともあるし。(意味わかんないよね、言ったら変わってたの?と聞きたかったよ)
でもSNSが、ネットの世界が、広げてくれたら、勝てるのかもしれないって、思いました。今度こそ勝ちたい。いけないことしていい思いできるなんて間違っているよ。

追記②
今朝、沖縄の飲食店が”日本人の入店禁止”(期間限定で)にしたというニュースを見ました。どういうことだと思ってみていると、日本人のマナーが悪いため入店禁止にしたという内容でした。わたしが言いたいことがそのニュースの中にありました。

日本人の入店禁止に反対という意見が多かったけれど、わたしは賛成です。(実際、売上が心配ですが……)反対して、「やりすぎだ」と言ったひとたちは、一度経験してみると良いと思います。経験もしてないくせに同じ土俵に立とうとしないでください。こちらはどんな思いでやっているか知りもしないくせになんで反対できるんですか。

それから、お店が提示したルールを守らなかった人たちが悪いんだから、矛先はお店ではなく、違反した人たちに向けるべきです。
なぜお店が責められているのでしょうか。そのお店に実際行ったことはないし、接客も受けたことはないので、もしかしたらお店側の何かが悪いのかもしれないけれど、ニュースを見る限りではルール違反のお客さんたちでした。
違反した人たちへ怒りをぶつけてください。「お前たちがマナーやお店のルールを破るから入店できなくなった」と。そのお店に行きたいのなら、そのお店をみんなで守ってください。違反している人に声をかけてください。陰でこそこそ「あのひとやばいよね」とか言っているんじゃなくて、堂々と「いけません」と言うべきです。

みんな大丈夫ですか。便利になりすぎて、感覚マヒしていませんか。なんで、こんな、少し考えればわかるようなことも、わからなくなってしまったんだろう。
どうか、ニュースになっていたお店が穏やかに営業できますように。

③ 文章の中でわたしが最低なこと言っている部分があるんですけど(かなりブーメランみたいな感じになっている!)わたし自身写真を撮っているからこそ思うこそ、そう思ってしまうくらい苦痛に感じていて、言い方が良くないことはわかっていて、わざとそういう表現にしました。そんな中で撮られた写真が褒められていたら、たまったもんじゃないです……。






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