人類学に触れて同棲を決意した話
「そろそろ彼氏と一緒に住むんだ」
「え、うそ、彼すごいね」
周囲に伝えたとき、表現は違えどみんなの反応は同じだった。
「あなたに同棲を決断させた彼、すごいね」という意味だ。
そう、彼はすごいのだ。
28歳の独身が、4年近く交際した人と一緒に住むのは、世間一般から見たら自然な流れと捉えられることも多いだろう。
私に対する反応が異なるのには、当然理由がある。
ひとりでいるのが大好きだからだ。
「一番の仲良しが自分」みたいな感覚で、ひとりは最高に楽しい。
喜んだり、落ち込んだり、感情が動くたびに「へえ〜、そういうときにそんなこと思うんだね」と新しい自分に出会ったりするし、感情の理由がわからなければとことん対話してみたりする。考えすぎてどうにもならなくなってしまうしんどさはあるけど、いつも新鮮だし、飽きることはない。
一人暮らしに寂しさを感じたことはなくて、楽しくて仕方ない。
「年々ひとりが好きになっちゃってるし、誰かと一緒に住むとかできるのかな〜」とか思い始めていた。
そんな私を受け入れ、ずっと好きにさせてくれた彼が「そろそろ…一緒に住まない?」と言ってきた。
「どうしよう」
正直な気持ちだった。
変化が苦手というのもある。
でもそれだけではない、何か引っ掛かるものが自分の中であった。
これからも一緒にいてほしいと思う相手だし、一緒に住みたくないわけじゃない。
だけどなんか前向きになれない。素直に喜べないことを申し訳なく思ったし、前向きになれない理由がわからないこともなんだか不誠実に思えた。
私はこれからどう生きていきたいんだろうか、ぐるぐるとしているなかでなんとなーく惹かれて読んだ本にこんな話があった。
読み終わったあと、私は何ひとりで生きてる気になっちゃてるんだろう、と恥ずかしくなった。
「ひとりが好きな私」がいて、それを侵さない彼がいるのだと思っていたけれど、「ひとりが好きな私」が存在できるのは、彼のおかげ(もっというと、私と関わってくれる人々のおかげ)なのだと気づけた。
そして、同棲に対する恐怖の正体は、「環境やライフスタイルが変わることによって、自分らしさのようなものが失われるのでは?」という思いだったことにも気づいた。
私と他者の間はくっきりと分かれているわけではなく、マーブル模様のように交わっているのかもしれない。一緒に暮らすことで変わることもあるのかもしれないけれど、私が私であることにかわりはなくて。むしろ、私はいつも変化をしていて、一緒に暮らすこともまた、私を形成するひとつの要素になるだけだ。
そう思えたら、謎の恐怖と抵抗感はすーっと消えて、同棲は私にとって自然な選択になった。
と、1年ちょっと前に書いたまま投稿せずに保存されていた。笑
同棲を始めてはや1年。すっかり忘れていたこの記事だけど、このときに学んだことは、今でも私の価値観に大きく影響している。
それまで、個があって初めて相対があると当たり前に思い込んでいた。でも、相対の中に初めて個が生まれるということが分かってから、少しだけ生きるのが楽になった。
確固たる自分があると思うと、他者と折り合いがつかないときに「どうして分かってくれないんだろう」と、勝手に苛立ってしまうけれど、変化し続ける世界の中の一部が自分であると思えたら、分かり合えないことがあってもそんなに気にならなくなった。不思議なくらいに。
もちろん変わらず不条理なことはあるし、解せないこともある。なんでも許せるようになったわけじゃないし、絶対に解消しなければいけない問題もある。
ただ、一人で生きているわけではないと理解をしてからは、昔よりも自分以外の問題についても考えられるようになった気がしていて、それは以前よりもずっと生産的だと思えるのだ。
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