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ていうか、人生にたいした意味なんかなくていいのかも


私には、夢や目標がない。


夢や目標がないなら、せめて人の迷惑にならないようにしたいのに、仕事で大活躍するわけでもない。

何も成し遂げられないのに、何を成し遂げたいかも分からないのに、私が何かを楽しむなんておこがましいと思っている。


友人に誘われて行く旅行では、楽しみながらも思ってしまう。
「これって人生において意味あるのかな。他の人よりも出遅れているのに、こんなことしてていいのかな。」

コメディ映画を見ると、たっぷり笑ったくせに、なぜか悪いことをした気持ちになる。
「何も学びを得ていないけど、いいのかな。」



罪悪感を抱いてしまうのが嫌なので、楽しいという理由で何かに没頭することは避けるようになっていった。



その割に仕事はうまくいかない。

つまるところ、何もかも面白くない。
仕事はうまくいかないし、せっかくの休みだって罪悪感しかない。

二酸化炭素を排出するだけの人間やんけ…という気持ちになってくる。




でも、最近思う。

私の人生の責任は、結局私にしか取れないのに、私は誰に何を認められたくて、勝手に辛い修行をしようとしているのだろう。



楽しいだけで、仕事にも成長にもつながらないように思うこと。

友人とくだらない話で涙を流して笑った時間
綺麗な景色を見て、パワーをもらったこと
海外の人や昔の人、自分と異なる暮らしに、思いを馳せること


本当に、それらを排除した人生を送りたいのか。
何かを成し遂げたあとでないと、それらは手にしてはいけないのか。


だいたい、物事に意味があるかどうかなど、リアルタイムでは分かるわけないのだから、囚われるのはもうやめにした方がよいのではないだろうか。

自分が楽しいと思うこと、美しいと感じるもの、心が揺さぶられるものに囲まれて生きること、それ自体が幸せなことで、それは何かと引き換えでなければ手に入れてはいけないものではない、ということを忘れずにいたい。

「楽しいから」「好きだから」だけが理由で意思決定をしても、意味がないことをしても、バチは当たらないだろう。



そもそもこんなことを思ったのも、実はボーっと見ていたバラエティがきっかけで。

「私たちみたいな古い人間って意味を求めすぎなのね。ごめんね。楽しい、ただそれだけなのよね。」

「ただ、楽しいから」という理由でYoutuberになった若者に対して、「なんのために?」「なんでやろうと思ったの?」と聞きそうになったのを堪えた、マツコデラックスの言葉だった。


ほんと、意味を求めた先に何があるのだ、私よ…。




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