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氷点下にかかる虹

真冬は氷点下になるシカゴ郊外。マイナス24℃の世界に初めて身を置いたとき「静かで、きれいだなぁ」と思った。

冷たい空気は、細くて透明な糸が張り巡らされているみたいで、肌が切れそうだと心配になる。いつもは芝生で遊んでいる鳥やリスもひっそり身を潜め、人々は自宅に籠るから声や車の音も聞こえない。

天気は快晴。曇り空より、晴れたほうが気温が下がる。冷気を遮るものがなくなるせいだと、シカゴに来たときに教えてもらった。雲で、暖がとれるのだと知った。


よりによって一番冷えた朝、車を走らせる予定があった。ヒートテック上下、ダウンジャケットを着込む。足元はボアブーツ。車の中は暖かいのだけど、乗り込むまでの10秒で凍えてしまう。

除雪車が間に合わない道路を、そろりそろりと進む。スピードを出すと滑って止まれない。シカゴ周辺に長く住む人は慣れているのか、ふつうに走っているから不思議だ。

あっ、レインボー!

後部座席から子どもたちの弾んだ声が聞こえて、サイドの窓を横目で見た。虹??


本当だ。雨は降っていないのに?雪のときでも出るの?でも止んでからしばらく経つよね?と頭の中でいろいろなクエスチョンが巡る。

途中、広いパーキングがあったので、車を停めて降りた。寒さに身を縮める。そして、広い視野で捉えて気付いた。雨の虹じゃなくて、反射の虹なんだ!太陽を取り囲むように、まぁるい七色の環ができているのだった。


この神秘的な現象をなんと呼ぶのだろう。名前は付いているのかな。これも虹の一種かな。何らかの条件が揃ったときだけ見れるのかもしれない。

私には、まだまだ知らないことがたくさんある。


九州で生まれ、九州で育った私が、高校3年生のときに国際系の学部を志望し、新卒で旅行会社を選んだのは「もっと広い世界が見てみたい」願望の表れだったのだと思う。

2年目から運よく海外添乗へ派遣されるようになった。ほぼ毎月、中国の各都市に行き、台湾、マレーシア、カンボジア、オーストラリアと様々な国に行かせてもらった。観光情報誌を作る制作会社に転職してからは、逆にディープな日本をたっぷり学んだ。


両親、兄弟、親族、みんな根っからの地元志向の中で、アメリカに行くと言い出した私は「異端児」「突然変異」と呼ばれた。縁もゆかりもなかったアメリカへ飛び、サンフランシスコからシカゴへ。

きっと家族と同じで一つのところにいたい性質は自分にもあるのだけど、ときどき生まれる抗いたい衝動が、私を知らない世界へと誘う。


だからなのか。家庭という小さな社会だけに浸り過ぎると、ときどき心がぐずっと窮屈になる。これまで築いてきた人生が消えたみたいで、どこか悲しい気持ちが拭えない。


でも、マイナス24℃の虹を見たとき、進路や就活を真剣に考えていた頃の自分と繋がった気がした。ずっと広い世界に憧れていた。私は、あの未来をちゃんと生きているじゃないか。

それは不思議なほど、安心感をもたらしてくれる気付きだった。一足飛びにたどり着いたわけじゃない。長く、地続きに歩いてきた道の先で、今この景色を見ているということ。


「初めて」や「知らない」に出会える生活は、楽しい。久しぶりにすっきりした気分で、そう思えた。スタバに立ち寄り、冬限定のピスタチオラテを注文した。これも初めて飲んだのは2年前。以来、ずっとお気に入り。

店を出てパーキングまで小走りに向かう。カップを持つ手がキンキンに冷える。たまらず一口だけ含んだ。甘く、少しくせのあるコーヒーが喉の奥へ溶けていく。雪や氷の世界で飲む熱々のラテは、他の季節よりうんとおいしいことも、ここに暮らすまで知らなかった。

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