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非日常が、日常になるとき

水のある暮らしについて思いを馳せている。

大きな川が流れる町で育った。ある女性シンガーの楽曲にも出てくるその川は、春になると曲線に沿って桜が満開になる。ぽつぽつと点在するベンチ。友達と泣きそうな空の下で語ったり、夜風にあたって酔いを覚ましたり、恋が生まれたり、失われたりした。幼少期から10代、20代にかけて、私の日々はその川と共にあった。

30代は海の思い出が多い。私が「カリフォルニアの海」を認識したのは、たしか小学校のとき。矢沢あいの漫画『マリンブルーの風に抱かれて』を読んだ。同じヒロインを好きになる二人の男の子はサーフィンの名手。やがて二人は夢を追いかけるためにアメリカへ渡る。まさか20年の時を経て自分が暮らすなんて思わなかったけれど。

そして、これからの人生は、どうやら湖がそばにあるらしい。

車を走らせていると、あちこちに癒しを見つける。穏やかな水面。そういえば、湖にはあんまり馴染みがない。遙か昔に琵琶湖を訪れたときは大きさに驚いたし、カリフォルニアでも度々旅行先として選んだけれど、日常生活で触れることはなかった。

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「旅行に来ているみたいだね」って、夫と笑う。

うちから車で10分もかからないところにも、住宅や木々に囲まれた湖を発見した。公園が併設していて、敷地内には滑り台やブランコもある。とても気に入ったらしい長男が、ここを「レイクパーク」と名付けた。シンプルでよろしい。

溶け込むのは、景色なのか、私たちなのか。離れがたい場所ができることに、少しだけ躊躇ってしまう。失くす未来が脳裏をかすめる。なかなか治らない癖だ。でも、現実が思い出になるのはまだ先の話だろうから、めいっぱい楽しんでおく。


どこへ行けばいいか分からなかった食材の買い出しも、お気に入りの店ができた。至るエリアで見かけるから、チェーン店なのだと思う。外観も、内装も、小綺麗にしていて、陳列も見やすい。

うちから一番近い店舗を2回目に訪れたとき、スタッフの人にお店のカードを持っているか聞かれた。I'm new here…と答えると「まぁまぁ、それはようこそ」のようなテンションで申し込み用紙をくれた。

レジを打つお姉さんと、袋詰めをするお兄さん。私たちが売り場から持ってきたバナナが大きかったようで、一緒にいた長男が選んだと伝えたら、二人ががりでたいそう褒めてくれた。照れくさそうに笑う息子。不慣れな環境で戸惑うのは子どもたちも同じだろうから、こんな何気ない優しさをありがたく思う。

新生活準備の仕上げは彼らの学校に関すること。入学にあたり、見学、テスト、面接と息子たちにとって緊張を強いられる場面が度々にある中、ナイーブな一面を持つ長男が淡々とこなしている事実に、驚きつつ安心していた。

しかし、やっぱり心細さもあるみたいだ。8月下旬から通う予定の学校で顔合わせがあり、初めて先生やクラスメイトと一時間だけ過ごした翌日。遊んでいると、長男が私の携帯を勝手に触り出した。「どうした?」と聞くと、あるアプリを開きたいのだという。

それは、以前通っていたプリスクールと連絡を共有するもので、学校生活の写真もたくさん載っている。息子は一つ一つ開きながら、友達の名前を呼んだり、そのときの状況を説明したりした。

恋しいんだろうな。彼の中には、もう家族では埋められない心のスペースがある。家の外で立派に交友関係を築いてきたからこそできたものだ。2年通った学校より新しい学校が楽しくなるのは、もう少し時間がかかるだろうけれど。かつて友達と過ごした日々が、息子にとってお守りみたいになったらいい。

家の中から段ボールが消えて、子どもたちの学校が決まって。ご近所ならば、車のナビをセットする回数も減った。

感染状況次第ではあるが、9月からは夫の出張がぐんと増える。その間、私はやや緊張しながら、いつもより早く寝たり良く食べたりして、子どもたちと三人で過ごす。そして、あっけなく仕事に飲み込まれて、自分の言葉を失ったり取り戻したりする。

今しか感じ得ない、心の揺れ動きを。こうして書き留められてよかった。新しい暮らし。湖のある暮らし。地元の町に戻ったら必ず川岸へ向かうように、記憶に眠るカリフォルニアの海が色鮮やかなように、ここもまた、私にとってかけがえのない場所になるんだろうか。

非日常が日常になるとき、すこし寂しい。喪失にも安堵にも似た気持ち。またすぐに忘れてしまうから、これからもときどき日記を書こうと思う。


引っ越し日記、終わり☺︎

最後まで読んでいただいてありがとうございます。これからも仲良くしてもらえると嬉しいです。