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選択肢がもたらす幸福と、その周辺について

家から歩いて数分の場所にスターバックスがある。在宅仕事の合間にするお散歩、ESLが終わった図書館からの帰り道、ときどきコーヒーを買いに行く。

便利な世の中だ。アプリでちょちょいとオーダーしておけば、着く頃にはだいたい出来ている。さくっとピックアップして終了。強制的に店内飲食が不可となって以降、その便利さに助けられたシーンは数え切れないほどあった。解除されてからも、引き続き同様の流れに準じている。

しかし、先日はアプリでオーダーしようとして、なんとなくやめた。お店で決めようと思った。

てくてくと、何を考えるまでもなく歩いてお店へ向かう。木々は冬の装いままだが、雪は溶けた。気温は一桁ながらも、日光は暖かい。春の予感は、氷点下の暮らしで固くなった心を解きほぐしてくれる。

出勤前の朝は混み合う小さな店内も、昼過ぎにはずいぶんとゆとりがある。よくオーダーするのはカフェラテだが、この日はピスタチオラテにした。ピックアップしたら自宅で仕事をしながら飲もうと思っていたけれど、これまたなんとなく、お店のテーブルに座った。

いつぶりだろう。スタバの店内で飲むのは。前回の時期も場所もまったく覚えていない。引っ越す前に訪れた、カリフォルニアのどこかにある店舗。まさか最後になるなんて思いもしないまま。

ピスタチオラテは少しだけ甘く、ゆるみはじめた心にちょうどよかった。顔を上げて、こんな壁紙だったんだなぁと辺りを見回す。店員さんに目を向けると、とても多国籍な面々だった。活気を感じる。活気。自粛生活において、無縁だった言葉。

選択肢があるのは、いいことだと思った。コーヒータイムを過ごすのに充分なメニュー数。いつものカフェラテにしてもいいし、めずらしいピスタチオラテにしてもいい。店内で飲んでもいいし、公園でも自宅でもいい。それだけでも、豊かに感じる。

この2年間、たくさんの選択肢を奪われたことが、心を窮屈にした原因だったのかもしれない。抑えて、守って、慎ましく。そんな日々。

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先日はシカゴ市内を訪れた。St. Patrick's Dayという祝日にともない、年に一度だけ緑色に染まるシカゴリバーを見るため。フェリーで染料を巻くようで、川を染めるという発想にたいそう驚く。数日は緑色が続くらしいと聞き、イベント当日は−11℃だったので、気温が上がる翌日に向かった。

車で街中を通っていると、違和感を覚えた。しばらく正体がわからなかったのだが、それは「マスクをしている人が少ない」光景がもたらした感覚だった。普通の状態が違和感になるほど、口元を隠した人間の姿が当たり前になっていたのだと気付く。

私が暮らすイリノイ州で、現在マスクは任意となった。見ている限り、アジア系の人々に着用者が多い様子。私たち日本人はもともと予防を含めたマスク習慣がある。一方、アメリカ人はよほどの大病でない限り付けない。彼らにとってマスクを付ける毎日は完全なるイレギュラーだったはずだ。緑色の川みたいに。

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まばらなマスク姿の人々を見ていたら、以前友人に「任意が苦手だ」と話したことを思い出した。

「してもしなくてもいい」さらには「する場合は自分で塩梅を決めていい」シチュエーションが、私はどうやら得意ではないらしい。基準がわからずに延々と悩んでしまう。はい、絶対に一律このぐらいでお願いします!と言われたら、すぐYESと言えるのに。

なぜ任意が苦手なのか、自覚している理由は二つほどある。一つは思考の浅さを突きつけられるから。どちらでもいい場面において判断基準は自分軸となる。しかし私は特定の狭いポイント以外は本当にこだわりがなく、そんな性質の弱さが露呈する。

もう一つは、分断を生み出しかねないからだ。

2年前に疫病が流行り出した頃、私たち一家は泣く泣く日本帰省をキャンセルした。感染拡大を食い止めるためにできる最低限のことだった。

無念さに打ちひしがれていた最中、当時近所に住んでいた友人から日本帰省する旨を聞いた。彼女は「今のうちに」と言った。いや、今のうちにって、すでに日本もアメリカもかなり緊迫した状態のはず…と思ったけれど、口には出さなかった。

彼女は、彼女の信念に沿って決めた。私は、私の信念に沿って決めた。ただ、それだけなのに。何かがさみしく、はがゆく、もどかしかった。

任意とは、つまり自分で選択できること。その自由が生み出す分断に、私はほんの少しだけ物悲しさを覚えてしまう。無論、移民の多いアメリカで暮らす自分にとって、文化や慣習の違いによる分断など日常茶飯事だ。だから、そういった感情は、近しい人や特定のシチュエーションにだけ発生するのだが。

私はたまたまピスタチオラテを好んで選び、一緒に行った相手が別のドリンクを選んだとて、気にも留めない。なに飲んでるの、美味しそうだねって笑うだろうすべてにおいて、そのぐらいの軽やかさを持ちたいと思う。

今年はきっと、昨年よりもいろんなことを選べる春になる。選択肢のもたらす幸せが、この2年間で欠けた部分を少しでも埋めてくれるといい。

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