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頭の固い女、感性で生きる

今年の夏、いろんな人から立て続けに「頭がめちゃくちゃ固い!」と言われた。頑固親父的な比喩ではない。リアルな頭の話。日本帰省中に訪れた、美容室、整体院、マッサージ。各方面に渡る身体のプロたちから言わせると、私の頭皮は珍しいレベルでガチガチに凝っているのだそうだ。

え、それって大丈夫なんですか、と気にする私を横目に、みなさんそう伝えながらどこかうれしそうだった。整体師さんに関しては「やりがいある〜♪」と心の声が漏れていた。ほぐしてナンボの世界では、固ければ固いほど腕がなるのかもしれない。

マッサージのお姉さんは、可愛らしいお顔立ちからは想像できないほどの力で、私の頭や頬をグリグリグリと揉みしだきながら言った。

「頭が固い人って、血行の問題もあるけど、脳をいっぱい使ってるとも言われるんですよ。まぁ、要は考えすぎですかね。」


ぐ、ぐさり。…考えすぎかぁ。よく人に指摘されるやつだ。いつも何か考え事している、別の世界に飛んでいると、夫や友人に指摘される。家族のこと。仕事のこと。海外生活のこと。息子の学校のこと。語学のこと。自分のやりたいこと。もくもくもく。

他の人と比べて、自分の考える量が多いのかは判断できない。けれど「がんばりすぎないでね」「のんびりすればいいのに」と、昔も今もよく周りから諭される。きっと考えた分だけ、人よりもあくせく動いてしまうのだろう。身軽でいたいと願っているのに、これをデフォルトに生きてきた人間は、どうすれば休まるのかが分からないのだ。末期。


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身体メンテナンスと同じ頃。そんな一連の内容を、仲良しの先輩女性と飲んだときにそのまま話した。お酒を片手に、ずいぶん取り留めがなかったと思う。すると彼女は、まるで何もかもお見通しのような力強さで、こんな言葉をくれた。

「本来のMicaさんは、もっと感性で生きる人だと思う。書くことも、あなたはテーマなんて頭で考えちゃダメ。真面目に立ち止まったり行動したり、そのまんまを発信すればいいのよ」


聞いた瞬間、ふっと憑きものが取れた気分になった。感性で生きる。そのまんま。そうしてもいいの?ただ、それは思考でいっぱいの私とは真逆のスタイルのように思えた。つまり…えっと、つまり??感性で生きるって、たとえば???

まったくピンとこないほどに、私はずっと頭で考えて生きてきたのだろう。あぁすればこうなるから、これが足りないからあれを。そうやって常に何かを目指し、外側に答えを求めた。叶えたものはいっぱいある。でも、いつも追い立てられていたし、近しい人たちに迷惑もかけた。


感性で生きる、とは…


その言葉と共に浮かんだのが、今年体験した大きな出来事だ。敬愛するELLEGARDENのライブ。あの日、会場でひしひしと全身で味わった感覚。


あのとき私は、頭よりもうんと先に心が動いていた。考えるより先に涙が流れていた。その感覚は普段ないもので、とても心地よくて、浸っていたくて。なんというか、あの空間で私は芯から生きていたし、他に何もいらない充足感があった。

ライブは非日常だし、「感性」というより「感受性」の問題なのかもしれない。でも、とにもかくにも、頭よりも心。考えるよりも感じる。そういう時間が私を満たしてくれるのだと、身をもって体感していたんだ。


ー感性で生きるとは、頭で考えるのではなく、心から湧き出たものに身を委ねることー


ふむ。しかし、こうやって癖のように定義付けするうちは「感性で生きる」とはまだまだ程遠そうだ。体現できている人は、自分でそう意識していない気がする。

きっと、私にも私ならではの感性がある。文章を書いたり、異文化で過ごしたりするうちに、磨かれたもの。もともと生まれ持っていたもの。たくさんの人と出会い育んだもの。

思考から感性が生まれるのか、感性から思考が生まれるのか。よく分からないが、必要なのは、そういった自分の感覚や直感を、安心して信じることなのだと思う。頭ではなく心に従って。過去や未来ではなく今を、感じたままに生きてみたい。

頭の固い女には、"考える"よりもうんと難しそうだけども。

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