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世界の街で見る祈り

シカゴへ引っ越して通い始めたESLでは、授業の合間に15分の休憩がある。わずかな時間、児童書コーナーへ出向き、読みやすくて面白そうな本を探すのが日課。

ある日、クラスに戻ると、メキシコ出身のミゲルが私を待ち構えていた。よく焼けた素肌に白い歯。鍛えられた身体。ナイスガイといった言葉がよく似合う。

きみのバースデーはいつ?とミゲルは私に尋ねた。もうすぐだよ、と日付を答える。すかさずペンを走らせた彼のメモを覗くと、15人ほどいるクラスメイト全員の名前と誕生日が書かれていた。

私が感心しながらぼんやり見ていると、ミゲルは「あの子とあの人ときみが同じ月だから授業の休憩中に軽いパーティーをしよう」とテキパキ計画を練ってくれた。

その日以来、美味しそうなアジア料理を調べては「ここはどう?」とか訊いてくれる。当日、テイクアウトして持ってきてくれるらしい。

面倒見の良い人、というのがコミュニティには一定数いる。誰かのために動ける人。明るい声かけをする人。思うだけではなく、伝える、行動へ移せる。それができる人は決して多くはない。

先日の国際女性デーに、ミゲルはわざわざドーナツを買ってきて、みんなに振舞った。偉大なる女性たちへ、と言葉を添えて。

Donuts are better than flowers for women!! と先生が言って、みんな笑って、美味しく食べた。クラスメイトの思いやりがブレンドされたドーナツ。これだけで、今日は家事を丁寧にしてみようとか、もう少し仕事をがんばってみようとか思えるものだ。

私がよっぽど物足りなそうな顔をしていたのか、ミゲルは余った分をもう一つ私にくれた。

甘いドーナツを二つも食べた。国際女性デーだからいいのだ。


肌を刺すような風が吹く、真冬の朝。ESLのクラスメイト10人ほどでボランティア会場に集合した。Windy Cityとも呼ばれるシカゴは、強風に見舞われると、極寒地としての本領をいかんなく発揮する。

寒い、寒いと凍えながら入ったその施設では、とある団体による食糧配給の準備と出荷が行われている。ドライフードのパッケージを段ボールに詰めて、発展途上国へ届ける取り組み。


毎年、不条理に亡くなる何百万人もの子どもたち。原因に、肺炎、下痢、マラリアといった予防可能な病気が挙げられる中、5歳未満の子どもたちの死亡原因の約半分は、依然として飢餓だという。

専門家によって開発された、必要な栄養素を補うA5サイズほどのパッケージ作り。参加者はグループに別れて、ビタミンパウダー、ソイパウダー、ドライベジタブル、ライスをそれぞれ袋に詰めていく。分量を計り、手早く封をしたら段ボールへ。

これだけで子どもたちのお腹を満たすのはむずかしいかもしれない。けれど、「生きる」大きな手助けになるのだとしたら。


これまで、ボランティアや寄付の経験があまりないままに過ごしてきてしまった。

昔、情報誌の編集部に勤めていた頃。あるときのミーティングで、会社側から発展途上国への寄付金を募る話があった。

その流れがあまりに唐突であり、うっすらと大人の事情を嗅ぎ取った私は「しない」と突っぱねた。「どうして」と尋ねる編集デスクに対して、周りの人さえ大切にできていないし、自分は毎日温かいご飯を食べているのに、気持ちの折り合いがつきません、といった類の返答をした。

まだまだ尖っていた20代半ば。世界のことも知らず、知ろうともせず、狭すぎる視野で放ってしまったその言葉と、時を経ていくうちに湧き出た後悔が、心にずんと残っている。誰かが少しでも救われるならば、きっかけなど何でもよかったのに。

今の私はようやく体感を得たのだと思う。たくさんの国の人と関わる中で、痛ましい惨状が現実のものであること。我が子を産み育てる過程で、子どもたち一人ひとりがかけがえのない存在であること。


「Hope starts with food」希望は食から始まる。団体のホームページにあった一節。命の危機に瀕している人たちに対して、自分ができることは少ない。でも、差し出されたきっかけを手に取るだけで、支援は誰かに届く。そういった循環の一員になれる。

祈りとは、小さな行動なのだと思う。そう腹落ちしてからは、少しずつだけれど自分なりに貢献できるようになった。金額や規模はわずかでも、心がけが積み重なれば、それはいつかどこかへ。

甘いドーナツとボランティア。人が人を想う輪の内側にいられた感覚を、ずっと忘れないでいたいし、つなげていきたい。


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