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私の転職話~病院退職して訪問看護師になるまでと現在~

いつかの記事に、なんで訪問看護師になったか書こうかな。なんて、
つぶやき残していたのを思い出してしまった(笑)

プロフィールにも概ね看護師になってからの至って普通な経歴みたいなのは書いているのですが。

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病院で働いていた時は、
看護師=病院勤務は当たり前だろと思っていたので、疑問とかなかったかもしれない。
ただ、
毎日毎日大変だった。
新卒で働いた看護学校付属の病院は、拠点病院というやつで、
3次救急対応で、
診療科も多かったし、
教育体制も抜群だったので、
本当に色々な事が学べた。
なのに、私というやつは、
とにかく医療処置とか急変とか怖かったし、
夜勤も毎度毎度ハラハラしていたし、
大なり小なりミスすれば、インシデント&アクシデントレポートってやつを、おっちょこちょいの私はわんさか書かさせれて。
点滴さすの失敗すれば、
患者さんにも怒鳴られて(T^T)
はぁーぁって感じだったけど、
これが試練なんだと 若かったのもあるけど、
頑張ってましたよね。
がむしゃらってやつ。

そんな日々を7年位過ごして、
看護師としては鳴かず飛ばず…
楽しくもなく。

結婚して出産して、育休から復帰して。
子育てとの両立という壁が立ちはだかる。
けれど、実家も遠くなかったから
何かあれば母がサポートしてくれて。
本当にありがたかった。

そんで旦那が転勤になり、
私が病院退職したのが2011年の2月末。
有給消化しながら引越しまでの日々を待っていたのだけど、
そこで東日本大震災。
ほぼ無一文みたいな状態だったけど、
娘と2人生き延び、実家にしばらく戻って暮らした。

なんとかその年の秋に、心身ともに立て直し、先に転勤で関東へ行っていた夫のもとへ引越し。

働かなくては精神だったので、
転職サイト経由で見つけてもらった託児所付きの病院で働くことに。

子供はまだ2歳前とかだったから、
熱出す、流行りのものはもらってくるは日常茶飯事。
そして子供が落ち着けば自分がダウン。
2週間とか仕事に行けないこともあった。
もちろん欠勤ってやつにもなった。
よく助けてくれた母も、遠くなり頻繁には助けてもらえない。
旦那も当直やらあるもので、はっきりいってワンオペでしたよね。
出勤すれば毎日リーダー業務。
後輩や学生のフォロー&指導。
関東によくある中規模な個人経営の病院。
東京の大学病院から手術したいドクターは来て、バンバンオペするけど、その後はおまかせ…
               へ?まかせた?って誰に?

1人で2部屋持っても8人全員手術患者さん。
オペ室出しては迎えに行って、状態チェックして…記録して…
その他に終末期の患者さん、化学療法の患者さん…呼吸器ついてる人。
指示受けに、検査介助に、スタッフのフォロー、医者の八つ当たり…
もうごちゃごちゃです(笑)
へたしたら、その間で〇〇委員会だの、新人研修だのなんのって…
今書いてても笑うしかないレベル💣

ほんと良くやっていたと思います。
頑張ってたよ、ほんと自分。って言ってあげたい!
今はもうそんな日々は絶対考えられん!(笑)
頑張れたのは病棟のスタッフに恵まれていたから。

師長さんに怒られた私を慰めてくれる主任。
ナイスヘルプしてくれる医療事務さん。
和ませようと、病室のど真ん中でEXILE踊ってくれた、おんもしろいヘルパーさん(笑)
時々おいしいもの奢ってくれる女医さん(笑)

病院勤務が楽しいと思えるのは、
きっとチームワークの良さがあってこそ*°

けれども、
毎日気づいたら夜8時…
病院の託児所に娘迎えに行って、
おやつで持たせていた、ランチパックのピーナッツ味。(バナナかパンを持たせるきまり)
先生が「〇〇(娘)ちゃん、このピーナッツの焼印 ママが付けてくれたって喜んで食べたよ」って。( ߹꒳​߹ )泣く。
ごめん、しかもママじゃなくてヤマザキさんだから。もっと心苦しい( ߹꒳​߹ )
帰りの車で寝ちゃった2歳の娘の顔みて、泣きながら運転したことも(T^T)

帰ったら帰ったで、2人の時の定番の夕飯だったやきそば&納豆ごはんに助けられ…(笑)
もう毎日ヘロヘロだったんです。
そのせいで、娘はやきそば嫌いに(._."ll)(笑)

こう書いてみると、
すごくしんどくさい日々だったのですが、
看護師としては、色々な事を吸収し、とても成長した期間だったと思ってます。

なので子供との時間、母親としてはゼロ点だったかもしれないけど、
看護師という仕事がとてもおもしろくなってきた時期でした。
その頃、昇任のお話も頂いたけど、
やっぱり子供の事を思うと、ほぼワンオペで、こんな生活はこれ以上出来ないと思い、断って転職を決めました。

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自分でみつけた転職先。
近所の有料老人ホームへ転職。


結論ブラック企業ってやつでした(笑)
人がいない。
長時間労働。
入居者への虐待まがいの対応。
何かと言えば、病院から在宅に来たからそう感じるのよって片付けられる。
(これはあくまでも私の働いた施設でのこと。全てがそうではないです。)

まぁ在宅の事は、全く知らない。

在宅看護。やっぱり1人では成り立たない。
けれどなかなか、チームワークが生まれない状況の職場だった…。

もっと在宅でなら、その人の人生に寄り添う事ができて、本当に必要なサポートができるのは、訪問看護かな?と思ったのが始まり。

これまた訪問看護の事なんて、何も知らないからオープニングの事業所へ転職してしまう😅
訪問看護は色々な事業者が、
訪問看護事業に参戦しているので、
転職する方はそのへんも確認した方が良いかなと思います。

勤務体制、給料、手当て、福利厚生など、全く違います。
病院勤務では当たり前だった給料やお休みの条件といったところも、全くそれぞれで違います⚠️
管理者(とか経営者)が看護師ではないこともある。

結局、ここを退職する理由もそのへんが理由でした。
入職してフタを開けてみたら、医療や看護を全く知らない(興味ない)、別フィールドの経営者(管理者)。
看護の事はまかせてくれれば、まだしもだったけれど、管理者が看護とか医療にかかわっていない人だと、経営重視目線オンリーだったりして、現場と色々な面でズレ生じ、現実色々難しい。
経営や利益といった言葉も、訪問看護では聞く事が多いかもしれない。
確かに利益をあげなければ、給料はないようなシビアな世界ではある。

看護師は共感し合って働くのが好きな生き物。
きつい&つらく大変な仕事だから、看護師ってのは、スタッフ同士共感してなんぼよね。
(私はそこがちょっと苦手な面だったりするんだけども🙃)

訪問看護は、私はThe 看護師よ!ってスタンスの人は、働くうえで、ちょっと違和感やギャップがある分野かもしれない。
看護師っぽさがない人の方が、利用者さん親しみやすくうまくやれるかもと思います。
そう、線引きは大事だけど、この親しみやすさが、ミソです。きっと!
看護においては、
 見守る・任せる・待つ が必要!かなと思う。
もちろん、それだけではいけませんけれども。

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結局オープニングで勤めた訪問看護ステーションは、ゴタゴタが続き、管理者(経営者)と話すらできない状況となり、どんどんスタッフが辞めていった(꒪д꒪II

もう空中分解みたいなものでした。
結局そこは大きな会社に、買収されて生き残っているみたいだけれど……。

病院辞めてから、まぁ、外の世界はシビアで色々勉強になったし、
ジプシーってやつでした🚙🐫△!
病院という所はやっぱり守られてますよ、看護師さん(笑)

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医療&介護に関する大手会社の訪問看護ステーションへ転職。


ここを選んだ理由として、
とりあえず、
色々な意味で安定している!
看護師や看護に理解がある!

自分1人じゃない、家族や子供がいる私は、もう不安定なところでは働けないし、
大冒険もできないよ(笑)

現在のステーションは5年目を迎えて、
まさに転換期!
やっと利益は黒字化したっぽいけど、
業界で生き残るには、カラーを出せ!とか
いろんなとこに挑戦し続けている会社です。

なかなか斬新な提案をしてくるので、
現実化するかどうかは別にして、
おもしろいなと思っている。
訪問看護を通して、色々な場で看護を提供できる機会もある。

今はそんな新たな事業ってのに関わりつつ、毎日あちこち回っています🚘

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訪問看護師としての仕事は、
看護師としてこんな世界があったんだ!と言えるほど、新鮮で楽しい。

1時間なら1時間、その人のために時間を使って看護ができる素晴らしさ⟡.·*.

もちろん大変な事も多いし、辞めたい時もけっこうある(笑)

あと何年真夏に汗だくで、何件もお風呂介助できるかなとか😅
夜中に飛び起きるオンコール。心臓にきついな…とか😇
色々考えるよね(笑)


そんな事を考えつつ、
辞めずに続いています。
訪問看護師 6年目のわたし(笑)✌🏻

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また長っΣ(´□`;)
最後まで読んだ方イマスカ?(-ω-;)
ありがとうございました<(_ _*)> 






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