「黴の楽園」

黴の楽園に出かけた。黴。いくつもの色で視界は埋め尽くされてしまった。色ある黴の色なき胞子を吸込み、酔っ払ってさまよい、やがて新宿のネカフェに僕は泊まった、色とりどりの黴が放出した胞子たちを肺に詰めてだ。聴覚への想像力があるなら、君にも僕と一緒に浮遊する黴の歌、その歌のありさまを聴いていてほしいと思う


飛んでゆくものの質量は、つまり錯誤して生きるものの、衒いの程度で決まるようなんだ


と高校時代の、死んだ友人がいう夢を見た。ネカフェのリクライニングチェアーの前に置かれたモニターに、膨大な質量の色が渦巻き、言葉を持たない複数の声が踊っている。そういえば路上でピアノを弾いていた男の指はひどく長く、体の他の部分以上に白かった。彼もこの空気中に充満した目に見えぬ胞子、色彩の原型をその肺に吸い入れていたのか。僕のように視神経から脳幹まで、極彩の愉楽に浸りきっていたのか。質量というものは既になく、彼もただ記憶の中の気まぐれな閃光でしかない。僕がここに留まる理由の本質を僕自身にではなく、彼に問い詰めてみたい。総ての雨滴が地表に落ちきる前に。暗い中空に湿度が高ぶる今、この合間に


歌え
と迫られている
漫然と弛緩する体を歌にせよと
黴はどうしようもなく歌を歌っている

 お前の体は歌わないのか

 お前の体につながる一切は歌わないのか

強くそう迫っているのは君だ
僕の友人ではない、これを読んでいる見知らぬ君が今まさに迫る

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