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【詩】「町」或いは「記憶の外の死者」

病院の四階から南への眺望は海のはずだが
さまざまな建物が密集し何も見えない
霞がかった空の下辺が、町の端を飲み込んでいく
大きなガラスの向こうで
仰向けの猫の腹のように
明るい春の情景がゆったりと動いている
建物の間を遠く新幹線が走り抜けるのが見える
これは滅びの手前の景色だ
僕のこの、誰かを愛したくなるような
穏やかな充足も
死の手前の肥大して緩みきった幻であろう
今日は春分の日
不揃いな建物の間に顔を出す樹々は
枯れていたり芽吹いていたり新緑であったり
もちろん古く暗い常緑も少なくない
暖房の効く部屋には音すら入らないが
本当はこの町に
「涅槃西」とか「貝寄せ」とか呼ばれる
強い西風が吹き荒れてもいるのだ

この世界は滅びの淵を揺蕩うが
僕の愛する古い時代の娘よ
君はもうずっと前から死んでいる
僕は時間の蜃気楼に置き去りにされているが、君は
若い姿のままで自分の墓に腰を下ろし
何を見るともなく
花をつけた春草のようなものを
手に弄んでいるのだ
貧窮の晩年を送った夢二の絵にも似て

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